第3話
「ねぇ、お弁当食べよ。持ってきてるでしょ?」
「えぇ、まぁ」
俺の返事を聞くまでもなく、花菱さんは鞄の中から弁当箱を取り出して俺の机に広げた。
なるほど、最近の女子高生は人の返事を待たないようだ。何だか、一段落終えた後にウキウキで飲み会に誘ってくる上司を思い出して嫌いになれない。
「廻ちゃんってさぁ、なんで化粧しないの?」
「やり方を知らないんです、絵心もありませんし」
「あはっ! 絵心!」
何がそんなに面白かったのか、花菱さんはケラケラと笑うと勝手に俺の卵焼きを食べた。まさか、友達料ってヤツなのだろうか。彼女の動向はさっぱり理解出来ない。
「おいし、ムグ……。でも、廻って肌は真っ白だし目もおっきくていいよね。なんで髪短くしてんの?」
「乾かすのが楽ですから。花菱さんは、お手入れが大変そうですよね」
「そう! でもさぁ、かわいくない? 高校生になったら、絶対にかわいい色にしようと思ってたんだよ〜」
「ふわふわで、お人形さんみたいです」
聞いて、彼女はにんまりと笑った。容姿を褒められるのは慣れているだろうに、こういう純粋なところは女子高生にしかない魅力なのだろう。
何だか、小さい頃から知っていた近所の娘さんって感じがする。そういえば、あの子は元気なのだろうか。
「廻って、なんかいっつも勉強してるよね。というか、その本はなに? 何の話? カバーかわいくない? 本屋さんで買ったの? あ、今度は唐揚げもらっていい? 代わりにあたしのアスパラ巻きあげるね?」
色々と質問されたところで、そういえば呼び捨てにされていることに気が付いた。この子、距離の詰め方がハンパしゃない。コミュ力の権化、とでも言うべきか。
見習わなければいけないな。
「勉強は、楽しくてやってます。本とカバーは、駅前の本屋さんで。おかずはどうぞ。アスパラ巻き、貰いますね」
すると、花菱さんは「あ〜ん」と言いながら俺の口の前へアスパラ巻きを運んだ。ベーコンの塩っけがグッドだと思った。自分で作ったのだろうか。
「おいし?」
「はい、ありがとうございます」
「んふ。でも、勉強って楽しい? あたし、他に髪色自由な高校なかったからここ選んだけど、受験勉強ダルかったよ?」
「苦労はしますけど、いい事もあります。あと、他にやることもないので」
コンプレックスから来る知識欲、というのは女子高生っぽくなさそうだから控えた。まぁ、花菱さんなら疑いもせずまた笑ってくれそうではあるが。
「いい事って?」
「こうやって、花菱さんが興味を持ってくれました。きっと、一人で勉強してなければ、あなたは私に話しかけたりしなかったでしょう」
「あ〜、ん〜。うむ〜……。えへ」
リップサービス、とは言い難い。彼女が嬉しそうに話しているのを見るのは、俺としても中々に楽しかったからだ。
「勉強、何が一番好き?」
「歴史ですかね。現実には、小説よりもおかしな事がたくさん起きてて面白いです」
「ふぅん、そうなんだ」
この話題には、あまり興味がないらしい。さっきまでと違って、無理に質問を探しているように見える。
「あと、保健体育も好きですよ。色々、学ぶことも多いですし」
何より、全力で運動しても後日に尾を引かないのがいい。若さってホント最高。
「あ、エッチだ。廻って、ムッツリだねぇ」
なぜその方向に持っていくのかはよく分からなかったが、反応が良さそうなので乗っかることにした。下ネタは、むしろ営業トークの本懐である。何度も付き合わされた俺に、死角はない。
「花菱さんは、実技に興味があるんですか?」
「それはあるよ、だって女子高生だもん。彼氏の一人くらい欲しいし、好きになったらそうなって欲しいじゃん?」
「花菱さんなら、すぐに出来そうですけどね」
「出来ないよ。だって、男子って子供だもん。あたしが好きになれない」
彼女の気持ちはさておき、男が子供であるという点については激しく同意である。俺が高校一年の時なんて、将来の『し』の字も考えたこと無かったし。何なら、大学も三年になるまで一切考えていなかった。
というか、大人になっても基本的に子供だった。男って、いつになったら大人になるんだろうか。
「でも、もしかしたら男の幼さをかわいいと思える日が来るかもしれません。花菱さんは面倒見のいい方ですし、カッコいいよりかわいいと思える男と付き合った方が幸せになれるでしょう」
すると、花菱さんはキョトンとした顔で俺を見た。何か、変なことを言っただろうか。
「もしかして、廻って経験豊富なの? メッチャ知ってるじゃん」
「どうしてそう思ったんですか?」
「だって、あたしのママも同じ事を言ってたから」
しまった。これは、少し年増な意見だったらしい。花菱さんのお母さんの年齢が幾つなのかは知らないが、そっちに寄った意見を続けては女子高生らしくないだろう。
「まぁ、勉強ばかりで頭でっかちな私ですから。えっと、そういう知識だけはたくさんあると言いますか、はい」
「うわ、廻の頭の中ってどうなってんの? もしかして、あたしの髪よりピンク色だったりして!」
「多分、ピンクより紫に近いですよ」
主に、ニコチンと悪い酒のせいで。もちろん、前の体の話だけど。最後の健康診断はC寄りのBだったし、保険は満額支払ってた。
「あっは! エロ〜い! ねぇ、どんなブラつけてんの?」
一応言っておくと、俺たちがまともに話すのは初めてだ。はっきり言って、この子の距離感はバグってる。少なくとも、俺はそう思った。
「どんなって、無印で買ったヤツです。色気も何も無いですよ。というか、花菱さんってどれだけエロに興味があるんですか」
「いいじゃん、別に。今まで、そういう話に乗ってくれる子がいなかったんだもん。それで、経験は豊富なの?」
「そんなに気にしますか」
さて、どう答えるのが正解なのだろうか。この子は、さっきのデジャヴュの件に倣うなら勘が鋭い。適当な嘘をつくと、暴いて悲しんでしまう可能性がある。
かと言って、女としての知識なんて何一つない。というか、考えたくもない。俺は、体は女子高生でも心は男だ。決してホモじゃない。でも、男が喜ぶ方法は、自らの経験則からよく存じているワケで。
まいったな。
「どうですかね、内緒です」
結局、適当な事を言って誤魔化す事にした。まぁ、女子の下ネタのグロさにはあまり共感出来ないし。先を見据えれば、ここは逃げの一択だろう。
「ずるーい。じゃあ、好きな人はいる?」
……
「はい、いますよ」
「マジ!? 誰!? この学校の男子!?」
相手は、この学校の生徒ではないし、ましてや男子でもない。当たり前だ。
「いいえ、ここにはいません。上です」
「先輩ってこと?」
「まぁ、出会った時は先輩でしたが、今は私が年上です。そうじゃなくて、彼女がいるのは天国なんですよ」
いや、厳密に言えば今の俺は年下だ。女の年齢を間違えるだなんて、これは失敬。
「あれ、どうしました?」
訊くと、花菱さんは橋に持っていたプチトマトを床の上に落として、拾いもせずに固まっていた。何か、非常にマズイ事をしてしまった。そんな事を考えているのが、ありありと伝わってくる。
この子、優しい子なんだな。
「……ごめん」
どうも、見ていられない。だから、俺は彼女の俯いて垂れた前髪を耳にかけて、優しく頭を撫でた。
「大丈夫ですよ、気にしないでください。彼女は、最期に『いい人生だった』と言ってましたから」
「ぐす……」
「どうして、花菱さんが泣くんですか」
「だって、そんな顔するんだもん……」
一度拭ってからハンカチを渡すと、花菱さんはそれを握り締めてシクシク泣いてしまった。周囲も、彼女と俺に注目している。傍から見れば、俺が泣かしてしまったように見えているのだろう。
寂しそうだからカラオケに誘って、あまつさえ一緒に弁当を食べてくれたアイドル的な女の子を、ボッチ陰キャが突然理由もなく泣かした。
とんでもない字面だ。
「ありがとうございます、花菱さん。私は、それだけ心を重ねてくれる人がいると分かっただけで、とても幸せですよ」
立ち上がって頭を撫でると、彼女は俺の腹に抱き着いてシクシク泣いた。きっと、転生して泣きついた時、かーちゃんが見た景色はこんな感じだったのだろうと、まるで他人事のように冷静に思った。
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