第2話

 × × ×



めぐる、起きなさい」



 言いながら、ガチャリと部屋の扉が開かれる。



「起きてるよ、母さん」



 5年後、俺は高校生になっていた。女物の服を着るのにも慣れたモノで、今日から始まる高校生活の為のセーラー服を、嫌がりもせずしっかりと着こなせている。



「あらら。ママ、たまには起きてないパターンも見たいなぁ。少しくらい、迷惑掛けて欲しいなぁ……」


「仕方ないでしょ、朝は苦手じゃないもの」


「あと、やっぱりママって呼んでほしいなぁ。母さんだなんて、男の子みたいで寂しいなぁ……」


「はいはい、母さんはそろそろ娘離れしてくださいね」


「んもぅ、ママ悲しいよぉ……」



 言って、母さんは『オヨヨ』とわざとらしく崩れシクシク愚痴を言い始めたから、俺はいつも通り頭を撫でた。この人、本当にかわいい性格してんな。



 ここは、ひいらぎ家。俺がある日突然娘のめぐるとして転生した、ごく一般的な中流家庭だ。



 そして、この人は母さんの真奈美まなみさん。36歳、専業主婦。優しくて飯を作るのが上手くて、ちょっと抜けた性格をしてる。娘の俺を溺愛していて、出掛けるといつも腕を組みたがる甘えん坊な人だ。



 いや、それが女の親子なら割と普通の事なのかもしらんけど。とにかく、この人は俺を愛してくれてる。それだけは、しっかりと伝わってくる。



 だから、俺は柊家の廻ちゃんとして、この命をまっとう出来るように生きている。かーちゃんには、転生したあの日以来会いに行っていない。会ってしまうと、腹を痛めて廻ちゃんを産んだ母さんを裏切っているような気がするからだ。



 理由はどうあれ、一回死んでるからな。前の人生が終わったのなら、それを引っ張るべきではないだろう。



 まぁ、そんな感じ。色々あったけど、俺は元気です。今日から女子高生、頑張っていこうかなって思う所存なのだ。



「父さんは?」


「カメラのレンズ磨いてる。入学式、楽しみだって」


「そう」



 どうせ、断っても二人とも見に来るのだ。ならば、下手な事は言うべきではない。年頃の娘らしく、表に出さない程度に喜んでるっぽい反応をしてあげるべきだ。



 いや、よくわからんけどさ。多分、女子高生ってそんなに素直な生き物じゃないだろ?



「いただきます」



 歯磨きを済ませてから食卓に座り、手を合わせてご飯に納豆をかけた。父さんの晴彦はるひこさんは、パシャパシャと俺を撮ってニヤついている。俺が働いていた会社の厳しい課長も、きっと家ではこんな感じだったのだろう。



「撮らないでよ」


「ご、ごめん」



 こういう時、『あぁ、この人は本当に娘に嫌われたくないんだなぁ』と思う。まぁ、元同性としてそれ以上もそれ以下もない。ただ、きっと俺が父親になる未来があったのなら、同じ事をしただろうなって感じ。



 だから、他には何も言わなかった。焼き鮭とほうれん草が、腹を満たしてくれる感覚に身を任せるだけ。テレビでは、ほのぼのしたニュースが垂れ流されていて、本当は日経平均株価を見たいと思った。



「それじゃ、私は行くから」


「父さんたちも、後で行くよ。今日は、何か食べたいモノがあるか?」


「じゃあ、すき焼き。家で」


「うふふ。それじゃ、ママ頑張って用意するね」



 ニコニコで喜ぶ二人を見ていられなくて、俺は小さく頷くと逃げるように家を後にし学校へ向かって歩き出した。



 本当に、申し訳なく思う。彼らが愛するのは、この世界の苦しみなど少ししか知らない年相応の娘だったハズなのに。実際には、ペット紹介よりも日本代表企業の動向を見たがる可愛げのない子供を持ってしまったのだから。



 彼らが偽られる必要なんて、絶対になかっただろう。にも関わらず、俺のような偽物に愛を注ぐハメになって。俺がいたことを知らないかーちゃんより、よっぽど可哀想だと思う。



 ――本当に、可哀想だ。



 果たして、なぜ俺は柊家に転生したのだろうか。皆目検討も付かず、5年も経ってしまった今となっては理由を探ることすら止めてしまったが。



 もしも叶うなら、神様には是非その理由を教えて貰いたいモノだ。



 × × ×



 女子高生になって、既に二週間が経っていた。



 ここ第八高校は、いわゆる進学校だ。部活動での活躍はそこそこで、代わりに地域ではトップの進学率を誇っている。実績の中にはあの東京で一番有名な大学もあり、教師が勉学に力を入れているのがよく分かるいい学校だと俺は思っている。



 元々、俺は頭が良くなかったし。知能や知識にコンプレックスを持っていたから、過去を払拭するように授業を受けている。この生活は、悪くない。というか、結構楽しいよ。



 ただし、孤独だ。



 まぁ、当たり前の話だけど、俺には友達がいない。元々社会に出ていた俺が口を利いても、今どきの女子高生と話が合うワケもないし。かと言って、男子高生のノリもそれはそれで合わないし。姫っぽい事をするのは、メチャクチャ気が引けるし。



 だから、休み時間はずっと黙って本を読んでいる。最近の言葉を使うなら、きっと『陰キャ』という括りに入れられるのだろう。

 しかし、精神が大人なら何にカテゴライズされても気にするモノじゃないし、そもそも陰に居る事が悪いとはさっぱり思っていない。元々、母さんが知ってる廻ちゃんも静かな子だったっぽいから、今のところ別に困ったりもしていない。



 それに、男の頃の俺は遊ぶことしか知らなかったからな。せっかく一度死んだんだから、今度はマジメに生きてもいいだろう。



 ……と割り切っても、やっぱり寂しいモノは寂しいのだ。そのうち、嘘を吐かずに話せる人に出会いたいって思う。いくら楽しいとはいえ、勉強ばかりは退屈だから。



 あぁ。俺の精神も、あの頃まで若返ってくれればよかったのに。ただ、性転換してしまっただけなら、もう少し違う第二の人生もあっただろうに。どれひとつとっても、まったく上手くいかないモノだ。



 なんてね。



「柊さん、ちょっといい?」



 次の授業の予習をしていると、前の席の花菱皐月はなびしさつきさんが振り返って話しかけてきた。



 なんとまぁ、エラい美少女だ。黒のショートカットの俺とは似ても似つかない、長くて綺麗な桃髪。人懐っこそうなぱっちり二重に小さな顔。ちょっと低い身長に、かなり大きめなおっぱい。おまけに、そのサイズに比例するように性格まで良い。



 いるところにはいるものだ。こういう、逸材ってヤツが。



「なんですか?」


「今日の放課後、みんなでカラオケに行くんだけど。柊さんも、一緒にどうかなって」



 困った。



 俺は、最近の歌を知らない。転生する前でもヒットソングを流し聞きして軽く乗れるように準備する程度だったのに、懐メロが使えないこの体じゃ行っても全然邪魔になるだけだ。



 ……でもなぁ。ただ断ると、普通の女子高生っぽくないよなぁ。



「私、凄く音痴なんですよ。だから、ちょっと恥ずかしいです」


「大丈夫だよ。というか、みんなで行くんだから歌わなくたってバレないよ。実は、あたしも上手くないしね」



 言って、花菱さんは俺の机に手をつくと、ニコニコ笑いながら俺の顔を見た。本当に、綺羅びやかでかわいらしい子だ。少なくとも、男の俺の人生の登場人物の中に、似たタイプはいなかった。



「でも、当日にいきなり参加って微妙じゃないですか?」


「そんなことないよ、だって決まったの今朝だし。だから、あたしとさとしで人集めしてるの」



 言われてクラスを見渡すと、向こうの方で宍戸智ししどさとし君が男子生徒相手に話をしていた。



 なるほど。



「分かりました、よろしくお願いします」


「うん、よろしくね。ところで、なんで敬語なの?」



 すぐに他へ声を掛けに行くのかと思いきや、花菱さんはそのままの様子で話を続けた。現在は、昼休みが始まって10分のところ。もしかして、残りの40分もこのままなのだろうか。



「キラキラで眩しいから、実は尊敬してるんです」


「うぇ!? そ、そんな。んぅ、えへへ」



 実際のところ、若い子の口調を知らないだけだ。そもそも、コミュニケーションは突き詰めれば敬語が一番やりやすい。相手によって変化を付ける必要もないし。何より、目的が正しく伝わる可能性が一番高い。



 下手に崩した言葉は、ニュアンスやイントネーションで正反対に受け取られる事も多いからな。



「でもさぁ、何か距離がある感じがして嫌だなぁ。それに、柊さんっていつも静かでしょ?」


「仲間に入れてもらうタイミングを失った自分のせいです、仕方ないですよ」


「暗い! 廻ちゃん、暗いよ!」



 どうやら、花菱さんは俺を元気付けてくれているようだった。傍から見ると、寂しそうだったのだろうか。構ってちゃんみたいで、少し恥ずかしいな。



「私の名前、知ってるんですね」


「知ってるに決まってるじゃん、後ろに座ってるクラスメイトの名前なんだから。も、もしかして、あたしの名前知らない感じ?」


「そんなことないですよ、花菱皐月さん」


「ほっ、よかった」



 なんだか、少し母さんに似ていると思った。ちょっと抜けてて、いちいちリアクションが大きくて。きっと、男女問わずモテるだろうなって思う。

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