飲み会の後で先輩といい感じになる

@satousaitou

第1話


 頬を紅潮させた彼女が、紅い唇を震わせて僕の名前を呼ぶ。

「なんですか、先輩」

 僕は答えた。サークルでの、初めての飲み会。僕は、この間成人したばかりで、お酒を飲んだことがなかった。けれど、今日初めて、この先輩に進められて一口お酒を飲んだ。

子供の時に飲んだ苦い缶ビールを想像していたのだが、意外にもその味は甘かった。

「全然酔わないじゃん。そのクール済ました鉄仮面剥がしたかったのにな」

 口を膨らませて僕に抗議をする。

「お酒は人の本性をさらけ出させるんだよ~。へい、さらけ出しちゃいなよ、ゆ~」

「なら、これが僕の本性なのかもしれませんね」

 そう言って、ジョッキの中身を一気に飲み干した。

 空になった器を机の上に置く。

「先輩は、随分とさらけ出していますね。普段はクールなのに」

「私はクールなんかじゃないよ。人と話すことに緊張してるだけ。特に君は、顔が怖いからね。緊張しちゃう」

 ふふっと笑う彼女に「怖い顔してるつもりはないんだけどなあ」と返す。

「もっと笑顔でいなきゃ。かっこいい顔も、可愛い顔も、笑顔じゃないと映えないんだよ。笑顔は大切。笑顔が素敵な人はモテるんだよ」

 怪しい呂律で、彼女は微笑みながら、そう言った。

「なら、先輩は随分とモテるんじゃないですか」

「お、もしかして私を口説いてる?」

 先輩に言われて、はっとした。確かに、今のは口説いていると思われても仕方のない言葉だ。判断力をお酒に奪われてしまった。

「私を口説くのは十年早いよ、若造め~」

 ポンと、僕の肩に手をかける。

 その顔は笑っていた。

「ほら、こんな年増口説いてないで、同期の女の子達と飲んできな。大学生らしく、ワンチャンスを狙ってきなよ」

 ぐいぐい、っと半ば強制的に背中を押され、僕は反対方向の机に移動させられた。

 僕の失言に気が付いてくれた先輩は、空気が悪くならないように茶化してくれた。

 大人だなあ、ホント。

 ありがとうございます。

 そんな心の中の先輩への感謝は、知らない女性との対話に必死になっているうちに、薄れていった。

 


「カン、ちょっといいか?」

「はい?」

 先輩に背を押されて四十分。コミュニケーションに悪戦苦闘しながらも、同期との親睦を深めている僕の背中を、二個上の先輩が叩く。

「ちょっと来てくれ」

 そう言われて、その場から立ち上がった。正直なところ、会話の種が消えかかっていたので、この場からフェードアウトできることは僕にとって大変望ましい事だった。

 名前の分からない、たくましい先輩の後についていくと、机に突っ伏して寝息を立てている先輩の姿があった。

「わー。すごいことになってますね」

「ああ。何故かはわからないが、急に飲みまくってな。気づいたらビール瓶二本飲みほしやがった。まったく、どんな腎臓してんだか」

 確かに、先輩の両脇には空になった瓶が二本転がっていた。

「このままこいつ置いとくと、変な虫がつきかねん。だからといって、この場の責任者である俺が送ってくわけにもいかん」

 才見先輩はこの大学の中で上位十人に食い込むほどの美人だ。そんな美人が無防備な姿で放置されれば、そこに狼が群れないとは保証されない。

「だから、お前にこいつを家まで運んでほしいんだ。確か、同じアパートに住んでたよな?」

「いや、まあそうですけど。そうすると、僕がその変な虫に該当してしまうのでは?」

 男を寄せ付けさせないために、男に送り迎えを依頼するのでは、本末転倒ではないのだろうか。

「そういう事をちゃんと口に出して言ってくれるから、お前は信用できるんだ。それに、才見はお前を気に入ってるからな」

「それはうれしい事を聞きました」

「ま、てなわけで、よろしく頼むぜ」

 そう言って、先輩は去っていった。











「先輩、先輩。才見先輩。起きてください。家の鍵、開けてください」

 肩で支えた先輩を揺らす。

「ん……。あれ、カイ君じゃん……。おはよ~」

「会長に頼まれて先輩を家まで連れてきました。鍵、開けてください」

 僕の肩から腕を離し、ふらふらとした足取りで扉の前に立つ。

 ギギギッ……、と古い金属を引きずるような音が廊下に木霊する。

「では、僕はここで。おやすみなさい、先輩」

「……………」

「………先輩?」

 袖から、僅かな抵抗を感じる。振り返ってみれば、玄関の前で座り込んだ先輩が僕の裾を硬く握っていた。

 頭が揺れる。

「私、もうあるけなーい。お姫様抱っこで布団まで連れてって」

「さっきまで歩いてたじゃないですか。もうちょっとなんで頑張ってくださいよ」

 心臓の鼓動が高まる。

 酔いが今更回ってきたのか、顔が熱くなる。

 いや、分かってる。これは酔ったからじゃない。

 けど、自分のそんな弱い感情から目を背けたい。

「冷たいやつだなー君は。けしからんぞぅ。先輩の顔をちゃんと立てたまえよ」

「顔を立てたらお姫様抱っこするのは不適当なのでは」

 ぶんぶんと、袖を揺らす。

「先輩命令!私をベッドまで運んで~。お姫様抱っこでね」

「手段にこだわりますね。はあ……分かりましたよ」

 ため息を吐く。少し酒臭い。

 お姫様抱っこ、なんてのは生まれてから一度も行ったことが無い。だから、僕は、昔見た恋愛映画のワンシーンを必死に再生する。

「おー。見かけによらず力強いねえ」

 両手に伝わる感触が、妙に熱を帯びている。

 これは、きっと、酔ったせいだ。

「ひゃー。一回されて見たかったんだよね~こーゆーの」

 上機嫌に足をばたつかせる。

「失礼します」

 先輩の靴を脱がせ、自分の靴と共に玄関に並べる。

「あ、ちゃんと扉のカギ閉めてね。こんな夜遅いんだし、ちょっとの間でも危ないからね」

「……分かりました」

 言われたとおりに扉の鍵を閉める。

 ロックの方法は簡単で、取っ手についた鍵を、横に捻るだけだった。

 だが、僕にはそれが随分重いものに感じられた。

 先輩を抱きかかえたまま、部屋の奥へと進む。僅かな月明かりを頼りにベッドへと足を進める。

「はい。要望通りに運びましたよ」

 先輩を布団の上に寝かせる。動揺を悟られぬ様、顔を隠しながら。

「ありがと」

「どうも」

 暗くて、先輩の顔は良く見えなかったが、何となく笑っているように思えた。

 心臓の鼓動が煩い。

「ごめんね。後輩にこんな事させちゃって。嫌だったら嫌って言っていいんだよ?」

「嫌じゃないので、大丈夫です。綺麗な人の介抱なら喜んでしますよ」

「…………口説いてる?」

「いいえ。一般論です」

 早く、この場を離れたい。

 そう思う反面、このまま先輩と話していたいと思う自分が否めない。

「それでは、僕はお暇しますね」

 顔を背け続け、僕は言った。

 自分の顔を見られたくないから。

 今、あの顔で笑いかけられたら、流されてしまいそうだから。

 だから、僕は必死に顔を背けた。

「そう残念。暗いけど、気を付けてね」

「はい」

 腰を掛けた椅子から立ち上がろうとする。

 その、僕の手を先輩が掴んだ。

「……それで、ほんとにこのまま帰るつもり?」

「………………………………」

 雲の切れ間から覗く光が、部屋に差し込む。

今度は、はっきりと見えた。

「………………………」

「そう。良かった」

 やっぱり、彼女は笑っていた。

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