第17話 思考と感情の優先順位、そしてこぼれたミルクの元を辿る

 西武新宿線、航空公園駅。

 ここまでくるともう”東京の西”の”西東京”ではなく、完全に埼玉県所沢市である。

 航空公園駅東口を出ると、非常に穏やかでのどかな町並みと、自然豊かな航空公園が目の前に広がっている。


「軌道開始後の最初の記憶は”研究室(ラボ)”です」

「研究室?どこのだ?」


 七瀬との戦闘から離脱した後、家や学校へ戻るのもはばかられ、私達は一度、浅草にある先代八宮社長のラボへと向かった。他に行けそうな場所も、頼れそうな相手も、八宮を直せそうな人物の心当たりもなかったのだ。

 ちょうどラボにいた先代は突然やってきた私達の姿と、意識を失ってαに抱えられている八宮を見て目を丸くしたが、何も言わず私達をラボの中へ迎え入れてくれた。

 八宮を先代に預け、彼が八宮の修理に取りかかっている間、私はαに向き合って例の場所について尋ねた。


――― S.F.S.N-t0001.L0708-αが意識を取り戻した最初の場所に向かうといいよ。そこで、羊子ちゃんが知りたがっていることが全部分かると思う ―――


 七瀬のあの言葉が罠である可能性も、なくはない。しかし、どうにも気になった。

 七瀬は今まで、私との約束を破ったことは一度もない。今日だって、七瀬が「全部話そうと思っていた」というのは、本当なのだと思う。ただし、「私が真実を知りたがる理由」である二人を消してから、あらためて私に「真実を知るか、知らないまま平穏無事に過ごすか」の二択を突きつけるつもりだったようだが。(そして、七瀬はきっと、私ならあの二人を失えば「真実を知らずに現状維持する」方を選ぶはずだと見当をつけていたのだろう)

 だからこそ、あの場で2人を破壊できなかった七瀬は、私から「真実を知る理由」をとりあげられなかったと気づいた。そして、投げかけてきたあの言葉。

 おそらく、真実だと、私は直感していた。

 それに、これからどこへ向かうか、どうすべきかの当ても私達にはなかった。それもあって消去法で、七瀬の言葉に従ってみるというのが唯一の”真実へ繋がる手がかり”であった。

 そして、αに尋ねた「最初の場所」の答えが、「北緯35度47分、東経139度28分、埼玉県所沢市、所沢航空記念公園内、地下の研究室」だった。

「行ってごらんになってはいかがです?」

 航空公園に行くべきか否かを悩んでいる私を見て、穏やかに鼻歌を歌いながら八宮のメンテナンスをしていた先代が、ふと鼻歌をとめてそう言った。

 先代は突然ラボに押しかけてきた私達に何も聞かず、また何も言わず、ニコニコと頬笑んで八宮の修理を引き受けてくれていた。

 思わず、私は白髪の老紳士の目をじっと見つめた。

 先代の、白く長い眉毛の下の瞳は、こちらの事情を何も伝えていないはずなのに全て理解しているような色をたたえていた。

「ご友人どのは、そのアンドロイドのお嬢さんの言う場所に行くべきだと『感じて』おられるのでしょう?迷っておられるのは、頭で何か『考えて』おられるからではありませんか?」

「……!」

 その通りだ。

 七瀬のあの言葉に従うべきだと直感が告げているが、頭では、また罠なのではないかと疑ってしまい身動きが取れずにいる。

「答えのない問いに答えを出そうとする時、『頭』は馬鹿ですからね。使い物になりません。そんなときは、心で感じたままに動くことが最善の場合もございます」

 老紳士がニッコリと頬笑む。

「幸い、ご友人どのには、そちらのお嬢さんという心強い助っ人がおられますからね。いざとなれば、引き返してまた出直せばよろしいでしょう。このラボには、いつでも帰ってきていただいて構いませんよ。歓迎いたします」

 差し出がましいことを言って申し訳ありません、と、先代はひとつ頭を下げ、また静かに鼻歌を歌いながら八宮の修理を再開した。 その言葉に背中を押され、αと共に航空公園へとやってきた。

 八宮は、修理にしばらく時間がかかるとのことで、先代のいる上野のラボに預けてきた。 まさか八宮の身に重大な損傷があるのかと焦ったが、先代が言うには「機能を強制終了され、起動スイッチの経路が壊されているだけ。記憶部などには損傷がないため比較的簡単に復旧可能だが、一部の部品が手元になく、工場からの取り寄せになるため時間がかかる」とのことだった。

 安心してほっとする私に、先代は何かもの言いたげな目をして軽くあごを手でこすった。「よほどアンドロイドの構造に精通している人間でなければ、こんな壊し方はできません。最小限の手数で、清世華お嬢様を行動不能にしている……いえ、お相手を詮索するつもりはございません。ただ、どうぞお気をつけて。そちらのアンドロイドのお嬢さんも」

(七瀬……)

 あの時は、七瀬が「美少女」ではなく「美少年」だったことが衝撃的すぎてそれ以外の出来事を熟考する余裕が吹き飛んでしまっていたが、今思い返すと七瀬は以前からαと面識があるかのような口ぶりだった。

 そればかりか、αには”七瀬を攻撃できない”という制約がかけられており、そのことを七瀬自身も把握していた。

 しかし、一方でαは、「七瀬とは初対面」だと口にしていた上、自信にかけられた制約についてもあの時初めて知った様子だった。

 一体どういうことだろうか。

 αの記憶が初期化されたのが16年前。八宮の言っていたとおり私が「誰か」のクローンだとしたら、16年前は、私が「創られた」タイミングになる。

 そして、αの製造年は45年以上前。

 45年前から16年前までの29年、その空白の期間に、αと七瀬が関わっていたということだろうか?

 しかし、と私は思う。

 七瀬は、私と同い年だ。16歳。私立武蔵野田無学院女子高等科1年生。

 αの、16年以上前の空白の期間に、生まれてすらいない七瀬が関われるはずがない。

(どうなってんだ……?)

 まさか、七瀬は年齢まで偽装していたのだろうか?

 しかし、それにしては順当に初等科1年から今まで、七瀬は周囲と同じペースで成長している。

 むしろ、身長が初等科6年の頃から一向にのびていない私の方がおかしいと思える部分すらある。

「こちらです、マスター」

 αが先導する方へ、私もすぐ後ろからついていく。

 とにかく航空公園は広い。一週するだけでも結構な運動量になるだろう。

 公園内をどんどんと進んでゆき、広場に設置された航空機の横を通り抜ける。さらに道を進み、そしてとうとう舗装された道からはずれて木々が生い茂る草むらの方へαが分け入ってゆく。

 その背を追い続けると、いつしか公園の中のひとけのない小さな管理人小屋の前に辿りついていた。

 小屋は建てられてからかなりの年月が経過しているようで、コンクリート製の外壁は元々は白かったのだろうが変色して全体的にクリーム色がかっており、経年劣化のひび割れや塗装の剥がれがそこかしこにあった。

 αが、扉にかけられた「関係者以外立ち入り禁止」の札がかかったチェーンを無視して、小屋のドアノブに手をかける。

 その動作の躊躇の無さに内心少しビビる。 一応は公園内の施設、しかも「関係者以外立ち入り禁止」の札がかけられた建物に、勝手に入っていいのだろうか?

 これは、不法侵入というものなのでは?

(……でも、ま、αは「関係者」っぽいからいいのか……な?)

 ドアには当然だが鍵がかけられていたようで、αがガチャガチャとドアノブを左右に回す。しばらくして、バキン、という音とともに開いたドアをαが手で支え、こちらに顔を向けた。

「どうぞ、マスター」

(強行突破じゃねーか……)

 相変わらずの力業だ。先ほどのは、錠前でも壊れた音だろうか、と思いながらαに案内されるまま小屋の中へ入った。

 小屋の中は、外観と同じく老朽化していた。 しかし、どうにも違和感があるのは、床や家具に埃が一切積もっていないからだろう。

 長い間使われた形跡がない古びた建物全体と内装とは裏腹に、人が頻繁に出入りしているかのような、埃一つない空気感がやけにチグハグな印象だ。

 αが部屋の壁沿いにあった本棚を、本がぎっしり詰まった状態のまま持ち上げて、横にずらす。

 すると、先ほどまで本棚があった下の床に扉が設置されているのが見えた。

 迷いない動作でαが開けたその扉の先には、真っ暗な闇の中へと降りる階段が続いていた。「マスター」

 αが振り向き、私を見る。

「ここから先、視界が悪く足下が不安定です。マスターの安全性確保のため、手をつなぐことを推奨します」

 αが、左手をこちらに差し出してきた。

 その手を見て、今までの思い出が瞬間的に私の中を駆け巡る。

 αを拾った当初、私を助けるためにもげてしまった左腕。そして、アンドロイドに関する知識がまるでない私が瞬間接着剤とガムテープで無理矢理固定してしばらく過ごし、その後先代八宮社長によって元通りに修理され、私や八宮を抱えて数々のピンチから脱出してきた左腕。

 そんなαの左手を、しっかりと握る。

 この先に、何らかの「答え」が待っている。 αは私の手を引いて、真っ暗な中へ続く階段をゆっくりとおりてゆく。私もαに続いて、一歩一歩足下を確認しながら階段をおりる。 徐々に入り口の明かりも遠ざかり、か安全にあたりが闇に包まれた。αの手の感触と、足音だけが耳に響く。

 どれだけおりてきただろう、ふと、足下の段差がなくなり、ひらけた場所に出たようだった。

 真っ暗なのに、何故か、天日干ししたあとの布団のような、どこか懐かしく安心する匂いが近づいてくる。

(……人が、生活してる匂いだ……)

 αが立ち止まった。


 ガチャリ

 

 音と共に、光がこぼれだした。

 今まで暗闇の中を歩いてきたため、眩しさに目を細める。

「目的地に到着しました。マスター」

 どうやら、αが開けたらしい扉の中へ、手を引かれて歩を進める。

「久しぶりだね、S.F.S.N-t0001.L0708-α」

 眩しい光の中から、誰かの声が聞こえてきた。

(何だろう……、この声……聞き覚えがあるような……?)

「そして、エリー……」

 やっと光になれてきた目をゆっくりと開き、声の主へ視線を向ける。

 そこには、車椅子に腰掛けた老人が一人。かれの水色の瞳が、しずかに私達を見つめていた。

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