第15話 秘すれば花とは言うけれど
ガララッ!
窓から朝日が差し込む教室のドアを開く。まだ早朝で人っ子一人いない静まりかえった教室内に、私が勢いよく扉を開けた音が響いた。
ひとまず席について黒板の上にかけられている時計を見上げる。時刻は七時を少し過ぎたほど。日直ですら、まだ来るような時間ではない。
どう考えても早く来すぎた。しかし昨晩は中々眠れず今朝も日の出と共に目が覚めてしまった上、家にいてもソワソワして落ち着かなかったのだから仕方ない。
ため息をついて、視線を窓の方へ向ける。窓からは校門が見え、おそらく朝練に来たのであろう運動部員が一人二人、まばらに登校してくるのが見える。
その中に、亜麻色の髪の幼なじみの姿はまだ見えない。
――― 月曜日に、学校で話すね。羊子ちゃん ―――
土曜の朝、私にそう告げた七瀬の姿を思い出す。そして七瀬は私の返答を待たず回答を二日後に保留して、有無を言わさず私を家に帰らせた。
七瀬自身は私に頭を下げたあと、すぐにくるりと踵を返して家に戻ってしまったのでほとんど表情が見えなかったが、どうにも何か思い詰めているような雰囲気だった。
何やら胸騒ぎがして落ち着かず、日曜もほとんど上の空で過ごした。
歯磨き粉と間違えて洗顔クリームを歯ブラシに乗せたり、麦茶をコップに注ぐつもりが、なぜかラーメン丼に注いでいたりと、あまりにもぼんやりした私の様子はαと八宮が心配するほどだった。
特にαは、月曜日、学校についてくると言ってきかなかった。何しろ、洗顔クリームが乗った歯ブラシが私の口に入る前にパッと手を押さえてとめたのも、ラーメン丼になみなみと注がれる麦茶があふれそうになる前に私を止め、丼から二つのコップにうつして私と清世華に渡したのもαだったのだ。
相当心配だったのだろう。いくら「学校には連れて行けない」と言い聞かせても、「明日、同行の許可を」とかたくなに繰り返すαを必死になだめすかし、留守番を頼むのは一苦労だった。
αの説得に助け船を出してくれるだろうと期待していた八宮も、私の奇行を目の当たりにしていたためか思案げな視線をこちらに投げかけるだけだった。
「……行けるものなら、私も羊子について行きたいくらいですけれど」と、ため息まじりに八宮は言った。
「そこの単純脳筋戦闘用アンドロイドとは違って、私には一般常識も知性も品性もインストールされていますから学校まで羊子についていけないのは重々分かっていますわ……。でも」
八宮の緑の瞳と、αの漆黒の瞳、4つの目が同じ感情をたたえて私に向けられた。
「心配ですのよ、羊子、貴女が……。ただでさえ、今の貴女はいつにもましてポンコツなんですもの。明日、七瀬天満が何かしかけてこないとも限りませんわ。本当に、気をつけてくださいまし」
そう言って、八宮はごそごそと胸元から何か取り出した。谷間が出来るほど胸がない私からしたら未知のエリアだが、「谷間」とはそんなに便利な異次元ポケットのように使うものなのだろうか。
そして、ほんのりと暖かな小さなリモコンのようなものを私の手のひらにのせた。
「何だコレ?」
薄くて小さなリモコンのような何かは非常に軽く、上部に紐が通せるくらいの小さな穴が開いていた。そして中央に赤くて丸い押しボタン式のスイッチがはめ込まれ、その下に電話の受話器のようなスピーカーがついていた。
「押していいのか?」
「今はダメですわ」
八宮が、ボタンを押してみたくてうずうずしている私の親指をパチンと指ではじいた。
「『入居者緊急事態用職員呼び出しベル』ですわ。介護施設で入居者が不測の事態に陥った時に、私達介護用アンドロイドと連絡を取るための端末ですの。徘徊してしまう癖がある入居者の居場所特定のためにGPSも内蔵されていますわ。本来は常に身につけて持ち歩いてもらうものだから、小さく、軽く設計されていますのよ」
なるほど。改めて手のひらの中の端末を眺める。やはり上部の小さな穴は、高齢者が首からさげたりキーホルダーをつけたりするための、紐を通す用の穴なのだろう。
「プライバシーの問題もありますからこの端末のGPS機能は今のところ停止させていますけれど、ボタンを押せば所有者の位置も把握できますし、すぐ私に音声でつながるようになっていますわ」
八宮が確認するようにαを見る。αは八宮からの視線を受け、私の方へ向き直る。
「マスター。八宮清世華からの出動要請があった場合の、行動の許可を」
「おう」
αに頷いてみせる。八宮が、私が端末を持っている手を両手で包んで、しっかりと握らせた。
「私達の代わりに、これを学校へ持って行ってくださいまし。いいですこと?何かあったらボタンを押して助けを呼ぶのですわよ!すぐにこのひとを連れて、羊子のもとに駆けつけますわ!」
そう言ってにっこりと頬笑んだ昨晩の八宮を思い出す。することもないので鞄を開けて内側のポケットから小型端末を取り出し、ちゃんと持ってきたことを確認する。
落ち着かない気分のまま、手の中でくるくると端末を転がしてみた。端末の銀のフレームに、窓から差し込む朝日が反射して鈍く光る。
――― 明日、七瀬天満が何か仕掛けてこないとも限りませんわ ―――
そんなことが、本当にあるのだろうか?
初等科でいじめの標的にされていた時ですら、七瀬は相手に反撃などしないで、ただひっそりと泣いていただけだった。
七瀬だって怒る時もあるけれど、本質的に優しくて大人しく、誰かを攻撃したり、争いを好むような性質ではない。
「不都合な真実」に気づいてしまった私の口封じをするために七瀬が攻撃を仕掛けてくる姿なんて、今のところ全く想像がつかない。
αと八宮が心配してくれている気持ちはありがたいし、だからこそこうして端末を学校まで持ってきたわけだが、実際にこの端末が必要になる事態が起こるとは思えなかった。
ただ、七瀬をひどく傷つけてしまう可能性にキリキリと胸が痛む。こんどこそ、泣かせるかもしれない。七瀬と今まで築き上げてきた友情に、修復不可能なヒビが入るであろう予感をひしひしと感じる。
そうなってしまうことを恐ろしく思うと共に、もういっそ、ひと思いにぶち壊してくれ、とすら思ってしまう。そんな相反した気持ちの板挟みである。どうしようもないまま、焦燥感だけがぐるぐると胸の内を渦巻いている。
七瀬は今まで、私との約束を破ったことはない。今日だって、約束通り話してくれるだろう。今まで私に隠していたことを、全部。
ガララ……
教室のドアが開く音がして、私は慌てて端末をスカートのポケットにしまった。七瀬かと思いきや、クラスメイトの女子が入ってきただけだった。
時計を見上げると、時刻は8:00少し前。どうやら女子は日直のようだ。普段はギリギリに教室に駆け込んでくる私が既にいることに目を丸くしつつも、教卓を拭いたり黒板消しをクリーナーにかけたりと、当番の仕事をこなしはじめた。
再び窓の外へ目を向けると、校門をくぐって登校してくる生徒の数が徐々に増えてきていた。
そろそろ七瀬も登校してくる頃合いなのではないか。じっと目をこらして校門をくぐる生徒一人一人を観察するが、まだ彼らの中に七瀬の姿はなかった。
次第に教室の中も人が増え始め、クラスメイト達の活気でワイワイと騒がしくなり始めた。
時刻は8:20過ぎ。
あと10分で授業が始まるというのに、七瀬はまだ教室に姿をあらわさない。
校門に駆け込んでくる生徒の数も、そろそろ減り始め、だんだんとまばらになってきた。
(オイオイ、こんな日に限って遅刻か……?優等生の七瀬らしくないな……)
とうとう予鈴が鳴り、教室内で賑やかに騒いでいたクラスメイト達もそれぞれの席につきはじめる。
窓の外に目を向けたが、校門にはすでに人気はなく、登校してくる生徒の姿は一人も見えなくなっていた。
8:30。本鈴のチャイムが鳴り響く。七瀬の遅刻が確定した。
土曜の、別れ際の七瀬の様子を思い出す。あの時の七瀬はやけに張りつめた雰囲気だったし、私と同じで、昨晩も中々寝付けなかったのかもしれないな……。
そんなことを考えながら、教室に入ってくる先生の靴の音を聞いていた。出席を取り始めた先生に、クラスメイト達が一人一人答えていく。
七瀬の名前が呼ばれる番になった時、先生は名簿をコツコツとペンで叩いて言った。
「七瀬さんは今日、体調不良のため5限目から出席予定です。では次、中森さん……―――」
淡々と出席をとり続ける先生の声が、どこか遠ざかっていくように感じる。
(何だ……?何か”変”じゃないか……?何が引っかかる……?)
七瀬は、寝坊や何か不測の事態の「遅刻」ではなく、朝、学校に連絡を入れた上で意図的に「午前中一杯を休んで」いる。
そして丸1日休むのではなく「5限から出席」する目的はきっと、「月曜に話す」という私との約束を果たすためだ。
モヤモヤとした嫌な予感が強まる。
私には「月曜に学校で話す」と約束をして登校させ、七瀬は故意に午前休をとり、午後から登校……。午後に登校する目的は私との約束を果たすためだとして、午前中休む理由は……?
カチ、カチ、と、パズルのピースのように起きた事柄を並べ直してゆく。
(考えろ……!何で、七瀬は私を学校に行かせる必要があった……?)
最後に会った七瀬の、土曜の別れ際の様子を思い出す。あの時の七瀬は、良く聞き取れないほどの声だったが、「あの子達のせいで」と繰り返し呟いていた。
嫌な予感が急速に胸の中で膨らみ、組み立てられたパズルのピースは一つの仮説を浮かび上がらせた。
心臓がバクバクと早鐘を鳴らす。
――― ……まさか、私からαと八宮を引き離すのが目的だったのか……!? ―――
(なら、危ないのは、私じゃなくて……!)
その可能性に気づいた瞬間私は椅子から立ち上がり、周りの目も先生の制止の声も気にする余裕もなく教室から飛び出した。
下駄箱の近くまで走り出て、急いでポケットから端末を取り出し赤いボタンを押す。
「オイ!八宮!α……!」
八宮からの返答はなく、スピーカーからはザーと言う機械音と、何かの爆発音が聞こえてくる。
――― 何かあったらボタンを押して助けを呼ぶのですわよ!すぐにこのひとを連れて羊子の元に駆けつけますわ! ―――
αと八宮の姿が思い浮かぶ。
「……くっそ!」
端末を握りしめ、私は帰り道を駆けだした。
(チクショウ…!私のバカバカ!大バカのポンコツの脳天気野郎……!)
甘かったのだ。私が。私の判断が。
七瀬に関しては、私の目はおおいに曇っていたのだ。
七瀬は優しい。他人をいたずらに傷つけたりしない。自分自身を傷つけようとしてきた相手「には」、攻撃や報復なんかしない。
でも、私に関しては、どうだ?
親友である「電木羊子」に害をなそうとする相手に対してはどうだった?
以前、私をあからさまに見下げる発言をした八宮には分かりやすくキレていたし、容赦なく壁を作っていなかったか?
自分の甘さを呪いながら、懸命に足を動かして私は家路を走った。
端末が繋がらない以上、αと八宮の身に何が起きているのか分からないし、七瀬が一体何をしようとしているのかも見当がつかない。
しかし、「端末が繋がらない」ということは、家に残してきた彼らに想定外の事態が起きていることに間違いはない。
汗で湿った手から端末が滑り落ちそうになり、スカートのポケットに突っ込む。走り出して早々に息が上がりはじめたが、それでも全力で足を動かし続ける。
あの二人が私を守ろうとしたのと同じように、私だって二人のことを守りたかった。
(無事でいてくれ……!α……、八宮……!)
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