第13話 雨降って地が揺れたり固まったりする

 朝から曇っていた空からとうとう雨が降り出し、窓の外からザアザアと雨粒が地面を叩く音が聞こえてくる。

 薄暗くなった部屋の中、私はギュッと目を瞑ってベッドに座ったまま固まっていた。さきほどの八宮の言葉が、脳内に反響する。


―― 羊子、貴女はおそらくクローンですわ ――


 「クローン」なんて、「アンドロイド」以上に非現実的で非常識な単語だ。

 嘘だ。まさか。ありえない。

 八宮だって、もしかしたらジョークのつもりで言ったのかもしれない。緊張感の走るこの場の雰囲気を和ませるために。それなら私はこんな風に深刻に黙り込むのではなく、今すぐにでも大笑いして「バッカだな八宮、そんな訳ないだろ!」とノリツッコミでもすべきなんだ。

 しかし”そう”できなかったのは、胸の中に、どこかストンと腑に落ちる部分があったからだ。

 両親の不在、空白の幼少時の記憶、突然のαの出現……、それらが今、点ではなく線でつながって私の”常識”を根底から覆そうとしていた。

 本当は、自分の境遇について疑問に思うタイミングが、今までにも何度かあったのだ。 初等科、中等科での授業参観や運動会、文化祭など、家族参加の行事があった際にはいやがおうにも自分の両親の不在を実感した。

 そのたびに、まっさきにその不安を話す相手は七瀬だった。七瀬は毎回、あの宝石みたいにキラキラ光る水色の瞳を細めて言った。

「そんなの気にしなくて大丈夫だよ羊子ちゃん。両親が居ないのなんて普通のことだから」

 そう言って頬笑む七瀬の笑顔に、いつも私はホッと一安心し、”つまらない疑問や不安”を捨てていた。

 八宮の仮説を笑い飛ばせず、これほど自分の中にショックが広がると言うことは、その仮説が自分でも薄々感じていた違和感の核心をついているということに他ならない。

 無意識下で自分の漠然とした不安を押し込めて七瀬の言葉を信じていたのは、今の安心領域を抜け出すのが嫌で、現状維持を選んでいたからだろう。

 違和感と不安の正体をつきとめて得られる”真実”よりも、例え偽物の真実であっても七瀬と二人で笑い合って過ごす”日常”の方が、私にとっては大切だったのだ。

 今更ながらそのことに気づかされ、愕然とした。突然、今まで信じていた”常識”が崩れ、足下が揺らぐような感覚を覚える。身体の芯から凍えるような不安を感じ、手先がかじかんで震える。その指先を、ギュッと握りしめた。

 目を瞑ったまま、真っ暗闇の中にいる私の背中を、八宮の手がゆっくりとなで続ける。

「……ごめんなさい、羊子。貴女を傷つけたいわけではありませんのよ。先ほど私がお伝えしたことだって、あくまでも『仮説』に過ぎませんわ」

 いつもとは違う、落ち着いた静かなトーンの八宮の声がすぐ側で聞こえる。

「さすがだな、人に優しい”介護用”ってのは」

 八宮の優しい声に涙がにじみそうになり、誤魔化すようにわざと憎まれ口を叩いた。

「あら、”介護用”だからじゃありませんわよ?」

 私の憎まれ口を気にとめた風もなく、八宮はカラリと笑い朗らかに答えた。

「”友達”だからですわ。力になりたいんですの、羊子。貴女がどうしたいか、教えてくださらない?」

「……!」

 パチリと目を開いて、声がした方を見る。

 そこには八宮の穏やかな笑顔があった。先日出会った、八宮の父親である「先代」の笑顔と通じる、穏やかで包み込むような暖かい微笑みだ。

 八宮は私の左隣に座って、私の背をずっとなで続けてくれている。八宮の手のひらが当たっているところから、じわりと身体に暖かさが戻ってくる。

 トスン、とベッドが弾み、右の方から影が落ちる。振り向くとαが私の右隣に座り、ぎこちなく私の背中に左手を置いた。

「…………」

 そしてそのまま無言で、左手を上下に動かす。おそらく八宮の動作の見よう見まねなのだろうが、αの左手は私の背から5㎝ほど浮いたところで上下している。αの手の動きで生まれた風が、ゆるく私のうなじに当たって後れ毛をそよがせる。

 しかし、αの真剣なまなざしと不器用ながらも一生懸命な動作からは、「背中を撫でる」という動作の目的は十分こちらにも伝わってきた。

 じわりと視界が滲む。

 両側から背中を撫でられていた私の目から、ポトリと膝に水滴がこぼれた。堰を切ったように、ポトリ、ポトリと続けざまに涙がこぼれ落ちる。

 ピタリと手の動きを止めこちらを凝視するαと、いたわるように優しく背をなで続ける八宮に挟まれて、私は手の甲で涙を拭った。それでもなおじわじわと、涙があふれてくる。

「くそっ……」

 恥ずかしくて、つい悪態が口をついて出てしまう。

 安心して泣くなんて、子供みたいで自分が情けない。

 七瀬と過ごしてきた”日常”が足下から崩れ去っても、私の側にはαと八宮が居てくれる。二人の友人が、自分の力になろうとしてくれているのが伝わってきて、涙が出るほど安堵してしまった。

 ごしごしと両手で顔を洗うように涙を拭って、気持ちを切り替える。

「……悪い。二人とも。情けないとこ見せた」

「構いません」

「ふふ、こんな時は「ごめんなさい」ではなくて「ありがとう」と言うべきですわよ、羊子」

 八宮が飛ばしてくるウィンクに眉をしかめて見せつつも、私は改めて口を開いた。

「……ありがとう、八宮、α」

 八宮はにっこりと笑い、αは一つ、瞬きをした。

 ”これから、私自身がどうしたいか”

 その答えを、腕を組んでじっくりと考える。両隣で私の答えを待ってくれている八宮とα、彼らの信頼に対して、誠実に答えたい。

 今までは、他人に誤解されることなど怖くなかったし、そもそも七瀬は私が何も言わずともかなり正確に私の気持ちを読み取っていた。

 しかし、八宮もαも七瀬ではない。そして、彼らに対しては誤解がないように、自分の気持ちを相違なく伝えたい。

 どうすれば二人にちゃんと伝えられるのか、言葉を選びながら私はゆっくりと口を開いた。「私は、正直なところ『真実を知りたい』と思ってるわけじゃないんだ。本当のことや、正しいことだけが大事かって言うと、そうじゃない、と思う。グレーのままにしておくことが、私や他の誰かの幸せにつながるならそうしておけばいいし、『真実を知ること』が必ずしも良いこととは限らない、と、思う……」

 八宮とαは、私のたどたどしい言葉の羅列に茶々を入れることもなく、じっと耳を傾けてくれている。

 ほぼまちがいなく、私の異様な(と、八宮が指摘している)家庭環境を作り上げてきたのは七瀬で、『真実を知ること』は七瀬の幸せを、ひいては私の平穏な日常を壊すことに他ならない。

 けれど、今のまま、グレーに濁したままではたして七瀬と私は幸せになれるのだろうか。 現に今、七瀬は私と距離を置いている。恐らく私がグレーゾーンから足を踏み出して七瀬の管理下から外れたことを察したからではないだろうか。

 そしてα。彼女を拾った時、最初に決めたはずだ。「手を出したからには、最後まで面倒を見る」と。

「……でも、その『真実』を知ることが、αの本当の”マスター”を探し出す手がかりになるのだとしたら、私は『真実』を知らなきゃならない。きっとそれが、七瀬にとっても私にとっても大事なことのような気がするんだ。……手伝ってくれる?八宮、α」

 αは無言だが私の目を見てしっかりと頷き、八宮は「もちろんですわ!」と胸に手を当てて応じてくれた。

「ありがとう」

 今度は、間違えず二人に答えることが出来た。八宮がにっこりと満足げに頬笑む。

「まずは、七瀬天満に話を聞いてみるのが良いと思いますわ」

 八宮がベッドから立ち上がり、部屋の電気をつける。カチッという音と共に、部屋全体を蛍光灯の光が明るく照らした。

「今まで、七瀬天満だけが貴女のこの状況を知っていながら素知らぬ顔をし続けてきたのですもの。聞いても、そう簡単に本当のことを教えてはくださらないかもしれませんけれど……」

 外では依然として降り続いている雨が、ザアザアと窓を叩く音がする。

 七瀬は私の、たったひとりの親友だった。

 今まで過保護なまでに私の世話を焼き、いつでもつきっきりで側に居ようとしてくれた。

 七瀬と仲良くなったきっかけは偶然だと思っていたし、いつの間にか仲良くなったと思い込んでいた。

 しかし、実際は全て計算され、仕組まれていたことなのだろうか。

 七瀬が私の世話をあれこれ焼き、側に居た理由は「友達だから」だと思っていたが、本当は全部私を騙すための演技で、打算だったのだろうか。

 日が沈み、暗くなってきた外からは雨音だけが聞こえてくる。

「もし本当に貴女が誰かのクローンだとしたら、七瀬天満は貴女を造った人間の関係者である可能性が、非常に高いですわ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る