第12話 胡蝶ドリーム

 教室の窓から外を覗くと、曇り空が広がる金曜日。5月が近づいてくるにつれカーディガンも要らないくらい暖かい日が増えてきたけれど、今日は上着が無いと少し肌寒い。

 休み時間、私は一人で机に頬杖をついてぼーっと外を眺めている。

 週初めの月曜、先生が朝礼で「一年椿組の八宮さんが、ご家庭の事情で急遽、転校することになりました。また海外の学校へ通うそうです」と皆に告げた。「椿組」は、八宮がいた隣のクラスだ。

 八宮は学年を超えて武蔵女内で有名人だったので、しばらく学校中が「八宮の転校」という突然のニュースに騒然としていた。廊下で女子のグループとすれ違うたびに、八宮の話題が彼らの間で交わされているのが耳に入ってきた。

 「実は八宮は重い病気になり、どこか遠くの病院に入院した」とか「資産家と学生結婚した」とか、「駆け出しのミュージシャンと恋に落ちたものの家から反対されて駆け落ちした」など、様々な憶測が飛んでいた。根も葉もない噂話がほとんどだったが、中には「身代金目的で誘拐された」とか、「現在捜索中のD.E.Nのアンドロイドに接触してしまって口封じされてしまった」などという、偶然にもほんの少し真実に近い噂まであった。

 私は本当のところを知ってはいるが、「八宮?うちの戦闘用アンドロイド(違法)が誘拐してきて、今は私の部屋のクローゼットの上段で寝泊まりしてるぞ?ちなみに八宮もアンドロイド(違法)だけど?」なんて、口が裂けても言えるはずがない。

「……八宮さん、私の目を盗んでよく羊子ちゃんに話しかけてたみたいだけど、八宮さんの転校について何か知ってる?羊子ちゃん」

 月曜日の朝礼の後の休み時間、七瀬が私に話しかけてきた。

「知らないな」

 私はそっけなく答えた。

「……羊子ちゃん、八宮さんの転校について、何とも思ってないの?」

「別に。仲良くもないし」

 七瀬は、しばらくじっと私の顔を見つめた。

「嘘。羊子ちゃんって一見他人に興味ない、冷たい人に見えるけど、一度懐に入れた相手にはとことん情に厚いんだから。あんなにしょっちゅう話しかけてきた八宮さんが急にいなくなったのに何とも思ってないなんて、嘘だよ」

 七瀬の鋭い指摘とまっずぐな視線に耐えられなくなり、目をそらす。七瀬は私以上に私のことを把握している。変な言い訳をしても七瀬には通用しない上に、しゃべればしゃべるほど余計なボロが出てしまいそうだったので、私は口を閉ざした。

「……」

「……」

 私と七瀬の間に、重苦しい沈黙が降り気まずい空気が流れる。

「……羊子ちゃん」

 目をそらしていても、七瀬のピカピカした水色の瞳からのビームのような視線を痛いほど浴びせられる。全てを見透かし、じりじりと焦げ付くような強い視線だ。

「私に隠してること、ない?」

 いつもは耳に心地良い七瀬のアルトの声が、今はまるで世紀末に鳴り響く断罪のラッパのように鼓膜に響く。

 七瀬に隠していることは、ある。最初はたった一つ、小さな隠し事だった。しかし、いつの間にやらかくしごとの数も、スケールも膨れ上がってしまっている。

 だが、とてもじゃないが「ある」なんて言えない。

 もはや、私だけの問題では無くなってしまった。

「ない」

「………………そう」

 冷や汗をかきながら七瀬の追求に耐える覚悟をしていた私は、以外とあっけない七瀬の引き際に拍子抜けして、ぽかんと口が開いてしまった。

「先生に次の授業の手伝いを頼まれてるから、もう行くね」

「お……おう……」

 くるり、とこちらに背を向けて教室を出て行く七瀬の後ろ姿を、ぼんやりと見送る。いつもなら教室から出て行く時は何度かこちらを振り返るのに、その時の七瀬は一回も振り返ることなく去って行った。


 それからというもの、七瀬との間に距離を感じるようになった。話しかければ七瀬は今まで通り普通に会話をするものの、七瀬の方から私に話しかけてくることがなくなった。 最初は、七瀬は多忙だからそういう日もあるだろうと思っていたが、七瀬と一切話さない日が今日で一週間続き、どうやら避けられているらしいと鈍い私でも気がついた。

 今まで初等科の6年間と中等科の3年間、そして高等科に進学してから1ヶ月、ずっと同じクラスで休み時間も一緒に過ごし、家も近所だったため登下校も一緒、土日どこかに遊びに行くのも一緒というニコイチ具合で七瀬と過ごしてきたため、たとえたった1週間でも七瀬と離れて過ごす時間の違和感はすさまじいものがあった。

 今まではたとえ喧嘩をしたとしても、翌朝会って「おはよう」と言い合えば、昨日の喧嘩など無かったかのように楽しく話すことが出来ていた。しかし今は明確に、七瀬から私は避けられていた。

(怒ってるのかな……)

 チラリと、教室の後ろの方で、クラスメイトに囲まれて楽しそうに話している七瀬を見る。

 しかし、たとえ七瀬が怒っていたとしても、私が「ごめん」と謝って済む問題なのだろうか。

 七瀬に「何について謝ってるの?」と問われても、私はきっと本当のことを言えない。αと八宮だって友達だ、大事なのだ。あいつらを守ってやると決めたからには、軽率に誰かに彼らの話をすることなんてできない。たとえ相手が七瀬であったとしても、だ。

 私は七瀬がいないと他に誰もいないが、七瀬は私が居なくても友人候補は沢山いる。七瀬は親友なんか選びたい放題だ。

 私は机に突っ伏して、休み時間の暇をつぶすことにした。八宮がいなくなって、七瀬も離れていった学校での私は、とうとう一人ぼっちになってしまった。


「お帰りなさいませ、マスター」

「もう!待ちくたびれましたわ!この人と二人きりだと間が持ちませんのよ!」

 帰宅し自室の扉を開けた途端、αと八宮がドアの前で待機していたらしく我先にと顔を出す。

 αを拾い、八宮を居候させるようになった自宅は、学校とは逆に非常に賑やかなものになっていた。

「うーい、ただいまー」

 部屋に入ろうとすると、αがかがんでスッと頭を差し出してくる。出迎えしただけだろう、お前。それを褒めろと?

 何だかαに妙な褒められ癖がついてしまった気もするが、無視するのも面倒なので要求されるがままにサラサラの黒髪の生えた頭頂部を撫でながら部屋に入り、ベッドに鞄を置く。

 制服を脱いでハンガーに掛け、スエットに着替えていると、何かもの言いたげな八宮の視線に気づいた。

「……?何だよ、八宮まで撫でられたいとか言い出すんじゃないだろうな?」

「ちっ、違いますわよっ!同級生に頭撫でられたいとは思いませんわ!まあ、羊子がどうしてもと言うのなら撫でさせて差し上げても構いませんけれど……って、そうじゃありませんわ!」

 華麗なノリツッコミを決めた八宮が、一呼吸置いて真面目な表情でこちらに向き直る。

「……変じゃありませんこと?この家」

「何が?」

「”何が”って……、もう!自覚していない貴女もおかしいですわ!」

 やってられない、という風に、八宮はかぶりを振った。

「一週間、この家で過ごしておりますけれど、羊子のご両親はいつ帰っていらっしゃるんですの?このファミリー向けの庭付き一戸建ての家に、まるで羊子が一人暮らししているように見えますわ」

「そうだけど。両親は海外で仕事してるらしいぞ」

「いつから?それに、何故伝聞なんですの?」

 妙に突っかかってくる八宮を不思議に思いながら、ベッドに腰掛ける。

「この家にはずっと私しかいないぞ?気づいた時には私はこの家で暮らしてて、両親は一度も帰ってきたことはないな。両親からの生活費は七瀬のところに届くから、それを七瀬から受け取ってるんだよ。海外で仕事してるらしいってのも七瀬から聞いた話で……」

「どうして、ご両親からの生活費が貴女へ直接送られずに、七瀬天満に送られるんですの!?」

 目を見開き急に大きな声を出す八宮に驚きつつ、私は答えた。

「うちと七瀬の両親は仲が良いんだってさ。七瀬の家もうちと同じような感じだし、まとめて送金して、お金の管理は七瀬に任せてるって言ってたぞ?」

 何故八宮は驚いた顔をしているのだろう?こんな家庭は、普通に、良くあるものではないのだろうか?

 首を傾げて私を見ているαを見て、自分がいつの間にか首を傾げていたことに気がついた。八宮の質問が続く。

「……”そう”貴女に言ったのも、七瀬天満ですの?」

「うん」

 こくんと頷く私に、八宮が頭を抱える。

「こーゆー家って、よくあるもんじゃないのか?」

「か、感覚がズレてますわよ!それは!」

 八宮が、皺の寄った眉間を指で押さえながらブンブンと首を横に振った。

「100歩譲って、両親が海外で働いている家庭もあるとは思いますわよ?だとしても、生まれてから一度も両親と会ったことがなくて、生活費は赤の他人へ仕送りされて渡されて、物心ついた頃には一戸建てに一人暮らししてる子供なんて滅っっっ多に居ませんわ!ご両親と、電話でも良いから話したことは!?」

「ない」

「写真家何かは!?」

「ないなあ」

 言われてみれば、確かに両親の存在は七瀬の口からしか聞いたことがなくて、彼らの姿を実際に見たことも、声を聞いたこともなかった。

 生活費とお小遣いは毎月月初に七瀬から手渡しされるし、お年玉は毎年1月1日になるとポストに入っている。

 生活費がなくて困った、なんてことは今まで一度もなかったし、お小遣いが足りなくなることも稀だ。私は洋服や化粧品には興味がなく、それらへのコンスタントな出費がないかわり、時折ゲーム関連で一気に散財してしまうときがある。この前の、中古ゲームを買おうと決めた時などはまさにそれだ。

 ごく稀に生活費にすら手をつけてしまった時などは七瀬に頼むと「もう、羊子ちゃん。無駄遣いは駄目だよ?」と念を押されつつも、貯金からいくらか出して渡してくれるのだ。

 だからきっと私の両親は、自分の娘の金銭感覚のなさを考慮して、しっかり者の七瀬にお金の管理を任せているのだと思っていたし、そもそもこういった関係は一般的だと思って疑いを持ったことすらなかった。

「そんなの、どう考えてもおかしいですわよ!」

 八宮が、腕を組んで憤然と言い放つ。

「今までどうして気づかなかったんですの!?『変だ』と言われたことは?」

「今、お前に言われたのが初めてだ」

「嘘でしょう……?」

 とうとう八宮はヘナヘナとその場に膝をついてしまった。そしてその場にうずくまり、頭を抱えて何やらブツブツと妙な声を出している。

 八宮のそのリアクションを見て、とり乱しかけていた自分の気持ちがスッと落ち着くのを感じる。やはりこういう時は、先にとり乱したものがちだ。他の奴がとり乱しているところを見ると、何だか自分は冷静にならざるを得なくなる。

「常識知らずにも程がありますわよ……」

 頭を抱えている八宮から、弱々しくこちらをなじる声が上がる。

 まさか、アンドロイドなんていう日常からかけ離れた非常識な存在から、常識を問われる日が来るなんて思ってもみなかった。

 少しムッとして、八宮に反論する。

「何だよ。じゃあお前の常識は”一般的”だって言うのかよ?」

 私の常識を問うてくる八宮だって工場と学校の往復しかしておらず、なおかつ実質的には製造されてから1年にも満たない赤子のはずだ。

「当然ですわ!」

 パッと八宮が顔を上げる。

「私は、八宮の最新鋭”介護用アンドロイド”ですもの!施設の入居者や他の介護従事者と円滑なコミュニケーションがとれるよう、一般常識は一通りインストールされていますわ!」

 颯爽と立ち上がった八宮は、誇らしげに胸を張った。つい先ほどまでうずくまって頭を抱えていたとは思えないほどの切り替えの早さだ。

「それにしても不思議ですわ……。誰から見てもこの家の状況は『変』ですのに、指摘されたのは初めてだなんて」

「それは……」

 私は八宮の質問に答えながら、ハッとある可能性に気がついた。

「『七瀬が、普通にしていたから』だ……」 私はテレビを見ない。

 何故見なくなったか。最初のきっかけは、七瀬が「テレビなんて面白くないよ」と言ったからだ。

 ニュースも見ない。

 ニュースは、七瀬から聞いて初めて知ることがほとんどだ。

 この家に来るのは七瀬だけ。

 七瀬以外に、うちの家の内情を知っている人間は誰も居ない。

 私の友人は七瀬だけ。

 だから、七瀬の言うことが私にとっての『常識』だったし、七瀬のリアクションが私の『普通』かどうかの判断基準だった。

 今まで、そんな可能性など考えたこともなかったが、つまり七瀬は、私の耳に入れる情報を意図的に取捨選択し、私の”常識”をコントロールすることが可能だったのではないか?

 八宮は、片腕を組み左手の人差し指を顎に当てて考え込んでいる。

「……羊子、貴女さっき『気づいたらこの家で暮らしていた』と言っていましたわね?それはいつ頃からですの?」

「初等科に入学した頃からだから、6歳くらいかな」

「それ以前の記憶は?」

 脳内を手探りして、6歳以前の記憶を探す。しかし、もやがかかったように一向に思い出せない。

「覚えてないな……」

「何でも構いませんわ。そうですわね……、”幼稚園”の記憶もありませんの?」

 八宮が、真剣な表情で私を見つめている。

「ない、な……。物心ついたのは、マジで初等科に入ってからだ」

「そうですの……」

 八宮は、また何か考え込んでいるようでしばらく押し黙った。肘を組んでいる八宮の右手の指先が、トントンと彼女の左肘を叩く。

「何だよ。まさか私まで『実はアンドロイドでした』なんて、言い出したりしないよな?」

「それはありませんわ」

 まさかとは思いつつも、少し緊張しながら口にした問いを、八宮はアッサリと否定した。

「やけにハッキリ言い切るな」

「あなたは間違いなく「人間」ですわ。アンドロイドは相手がアンドロイドだと、お互いに分かりますもの。……そうですわα、そういえば貴女、どうやって羊子がマスターだと認識したんですの?」

 αが、確認を取るように私を見る。頷いて、八宮の問いかけに答えるように促してやる。αが八宮へと視線を移動させ、口を開く。

「マスターは、マスターです」

「私達にとってはそれで通じますけれど、羊子にも分かるように、具体的な判断基準の説明をお願いいたしますわ」

 αはかすかに首をかしげ、そして戻す。

「身体的特徴での判断です。骨格、網膜、血液型、指紋、遺伝子情報、体温などの複合的要素において、99%以上の割合でマスターとの一致を確認しました」

「なっ……何だよ、それ……!」

 うろたえて一歩後ずさった私の方に、αが振り向く。αの黒々とした瞳に、驚いた顔の私がうつっている。

 骨格に網膜に、挙げ句の果てには遺伝子情報だって?そんな、犯罪捜査にでも使われそうな基準でマスターを特定していたのか。と、いうか、そんなゲノムレベルの数値で99%一致してるって、もうそれは本人じゃん。もはや推理の入り込みようがないくらい犯人確定してるだろ。

 しかし、私にはαと会った記憶など一切ない。もちろん「マスター」になった覚えもない。

 処理しきれない情報に頭が混乱して、気持ちが悪くなってきた。吐き気がして、思わず口を押さえる。

 八宮が私に寄り添い、背中をゆっくりとさする。

「羊子……、どうか、落ち着いて聞いてくださいね」

 背中を上下する八宮の手のリズムを感じ、そのリズムに呼吸を合わせ、しっかり息を吸って、大きく吐く。

「αの製造年は45年以上前ですわ。そして記憶データが初期化されたのが16年前……。つまり、羊子が『造られた』年に、αは記憶を初期化されている、ということですわ」

 ――― 『造られた』 ―――

 止まりそうになった呼吸を意識して吐き出し、大きく吸う。ギュッと目を閉じて、八宮の言葉の続きを待つ。

「羊子、貴女はおそらくクローンですわ……。αの、元の持ち主だった女性の」

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