第11話 花ある君と思ひけり
正午に近づき、穏やかな日差しに照らされ爽やかな風が通り抜ける、工場の出入り口前のエントランスで八宮の「父親」である老紳士と私達は対峙していた。
「……どういうことですの?お父様」
「言葉通りの意味ですよ、清世華お嬢様。さあ、どうぞお乗りください」
老紳士は、彼の後ろにとめてある自動車の扉を開け、私達をそれに乗るように促す。その自動車は工場に来た時と同じ、水色の軽だ。
紳士は穏やかに目を細めて、私達が乗車するのを待っている。とても害意があるようには見えないが、彼の真意が読み取れない。このまま車に乗っていいものだろうか。目の前に佇む、白髪で細身の好好爺めいた男について、この場で一番理解しているのは八宮だろう。確認するように八宮を見る。目が合った八宮は、一つ頷いて口を開いた。
「お父様。彼らと私を無事にここから帰していただけないというのでしたら、その車に乗ることは出来ませんわ。私達をどうするおつもりなんですの?」
「お嬢様方に危害を加えるつもりはありませんよ。警察に通報するつもりもありません。ただ、お帰りの前に私のラボまで、ご同行をお願いしたいのです」
お嬢様方相手に無理強いなど、とても私に出来ることではありませんからね、と、老紳士はαと八宮を見て朗らかに笑った。
八宮が、こちらを見る。目が合った私は八宮に頷いて、老紳士に向かって口を開く。
「もうお分かりかと思いますが、こっちの黒髪の友人もアンドロイドで、戦闘用です。もし貴方が八宮やこいつ、そして私に危害を加えようとした場合、最悪の事態になると考えてください」
「承知しております」
紳士が穏やかに頷くのを確認し、彼が開けているドアから水色の軽の後部座席へと乗り込む。私の後ろをついてきたαも後部座席へ乗り、八宮は来た時と同じく助手席へと乗り込んだ。
(……ん?)
後から乗ってくるαのために、後部座席の奥の方に移動している途中、車内の足下に置かれた何かにコツンとつま先が当たった。来る時には、何もなかったはずだ。
拾い上げてみると、見覚えのある白い工具箱だった。ズシリと重い。
「コレって……」
中を開けて確認する。やはり間違いない。アンドロイド開発室で八宮に渡された、αの修理に必要な工具一式のセットだ。あの後、八宮を連れて逃げるのに必死で、すっかりこの工具箱のことは忘れていた。何故ここにあるのだろう?
「あら!それ、私が差し上げた工具セットじゃありませんの!貴女、ちゃんと持ってきていましたの?」
ひょこ、と八宮が助手席から顔を出して後部座席を振り返る。
「いや、開発室に置いてきちまったはずなんだけど……」
「私がお持ちいたしました」
運転席に座った老紳士の穏やかに頬笑む顔がミラーに映る。
「そちらの黒髪のお嬢さんに必要なものでございましょう?」
「!」
思いがけない返答に、思わず運転席の老紳士の後頭部を凝視してしまう。この工具箱の中身を見ただけで、それが分かるものなのだろうか?工具箱は多種多様な金属パーツが入っているためズッシリと重いが、一見何に使うか、素人にはさっぱり分からないのではないだろうか。
「こう見えても、若い頃は技術者として現場で働いていたのですよ。昔は今のような製造技術はありませんでしたからね、アンドロイドの組み立て、修理も人の手作業でございました……。私に、そこの黒髪のお嬢さんの修理をさせていただけませんか?」
清世華お嬢様を助けていただいたお礼としては、ささやかなものにはなりますが、と紳士は頬笑み、車を発進させた。
老紳士の言う「ラボ」は上野公園の側の、小さな雑居ビルの三階の一室だった。工場からここまでほぼ一時間半ほど、もっと工場の近くにあるものかと思いきや、そこそこ距離があった。八宮も初めて来る場所らしく、物珍しげにキョロキョロと周りを見渡している。
車中で老紳士が話してくれたことだが、あの偉そうな黒髭のオッサンは(株)HACHIMIYAの現・社長らしい。そして運転手のように私達を送り迎えしてくれている、この物腰柔らかで細身の老人は「会長」とのことだった。
「お父様は、先代の社長ですわ!戦後にHACHIMIYAを大きくした立役者はお父様なのだと、工場の皆も言っていますのよ」
自分のことのように誇らしげに胸を張る八宮に、先代は穏やかに目を細めつつ首を横に振った。
「ありがとうございます、清世華お嬢様。ですがHACHIMIYAがここまで大きな企業になれたのは私の力ではなく、ついてきたくれた従業員達のおかげですよ。それに、「会長」なんて役職は肩書きだけですしね。HACHIMIYAの実権は、今の社長に移っています」
後部座席で揺られながら、きっと、老紳士のこういった「成功は皆のおかげ」と言える人柄に、周りの人間はついて行ったのだろうなと感じた。
そして、信号待ちで車が止まっているタイミングに、老紳士は申し訳なさそうに八宮と私達に頭を下げた。
「いやはや、申し訳ない。おそらく社長の貴女方への態度……、特に清世華お嬢様への横暴な物言いは、私へのあてつけでしょう。社長にとって、私は目の上のたんこぶのようでして……」
どうやら八宮財閥は昔から、組織内の優秀な人材を娘婿として家系に入れて、トップの世代交代をしてきたらしく、あのオッサンもこの老紳士とは血の繋がりはないそうだ。
老紳士が言うには「道重君も優秀な技術者なのですがね、どうにもまだ周りが私の意見の方を重視することが気に入らないようで……」ということらしかった。確かに、私が従業員だったら、あの偉そうに怒鳴るオッサンよりもこっちの謙虚で朗らかな紳士のために働きたいと思うだろう。
「こちらが私の個人的なラボです。狭苦しいところですが、どうぞ」
そう言って、先代が開いたドアの先には、様々な機材が整然と置かれた小さなワンルームの部屋があった。機材は随分と長く使い込まれているようで塗装が落ちているものや少々変色しているものもあったが、丁寧に手入れされており、塵一つなく磨き上げられていた。
老紳士が先に中へ入り、押し入れからいそいそと座布団を二つ出して床に並べた。
「申し訳ありません。来客など滅多にないもので……」
そう言って、その座布団に私と八宮を座らせ、αは「貴女はこちらへ」と機材の方へと連れて行った。そして小さなキッチンで暖かな緑茶を炒れ、私と八宮に出してくれた。
「30分ほどお待ちください」
そう言った紳士は白い工具箱を開け、中の工具を取り出して作業机に広げてゆく。そしてαに「失礼」と声をかけて上着を脱がせ、αの左腕の、グルグルと巻き付けられたガムテープを丁寧に剥がし、肩から離れた左腕をそっと取り外して机に並べた。
αの破損部を数分観察した後、老紳士は胸ポケットから取り出した眼鏡をかけ、机に並べたうち幾つかの部品と工具を手にして修理に取りかかりはじめた。そこからは流れるような作業と手さばきだった。
みるみるうちにαの左腕が修復されてゆく様子を感嘆の思いで見つめていると、紳士が流麗に手を動かしながらいつの間にか鼻歌を歌っていることに気づいた。集中している時の癖なのかもしれない。フンフンと、柔らかなメロディラインだけが彼の口からこぼれだしている。知らない曲だったが、明るく穏やかな、春の日差しのような曲調だ。
「……”いのち 短し、戀せよ 乙女、熱き 血潮の 冷えぬ間に”……」
隣に座っている八宮が、老紳士の鼻歌にあわせてそっと歌詞をつけて歌い始めた。紳士がパッと作業の手を止めて、こちらへ振り向く。
「おや、お恥ずかしい。またやってしまっていましたか?」
うふふ、と八宮が笑う。
「お父様、お好きですものね。『ゴンドラの唄』」
ニコニコと、父娘が笑顔を交わす。その姿は何とも微笑ましい。
ただ、この二人が「父と娘」という関係性だと知った時からずっと感じている違和感について、こっそり八宮に尋ねてみた。
「あのさ、どうして「お父さん」から清世華「お嬢様」なんて他人行儀な呼ばれ方してるんだ?あの社長のオッサンからは、清世華って呼び捨てだったじゃないか」
「あら、それは……」
言いかけて、八宮は話していいかどうかを確認するようにチラと紳士の方を見る。紳士は作業の手を止めず、頬笑んで頷いて見せた。
「清世華お嬢様には、モデルとなった女性がいるのです。その方を、私はずっと「清与花お嬢様」と呼んでおりましたのでね」
その時の癖が中々抜けませんもので…、と紳士は懐かしそうに目を細めた。
「例に漏れず、私も八宮の婿養子なのですよ。十で八宮財閥へ奉公に出され働き始めた頃、親元が恋しくて泣いていた私を、一つ年上の清与花お嬢様がなぐさめてくれたものです。お屋敷の奉公人の中でも一番歳が近かったので、お嬢様は私によく話しかけてくださいました。明るく凛とした雰囲気ながらも、私のような低い身分の者にも分け隔てなく接してくださる美しい方でした」
キュルキュルと、αの腕の金具をしめながら老紳士は話を続ける。
「私が十五の時に、よく働くし周囲の評判も良いということで、八宮への養子入りの話が上がりました。年齢の釣り合いも鑑みて、清与花お嬢様の婿として、八宮へ入らないかという話をいただいたのです。その時、お嬢様は東京の高等女学校五年生。お嬢様の卒業を待って、私達は夫婦になる予定でした。「卒業するのが待ち遠しい」とお嬢様様は言ってくださり、私は天にも昇るような幸せな気持ちで一杯でした」
すっかり繋がったαの腕の接続部に、老紳士は溶かしたゴムと塗料を塗り込んでゆく。
「お嬢様の卒業を間近に控えた三月、私は武蔵野の工場へ一週間ほど視察へ向かうことになりました。お嬢様は学校へ通うため、上野のお屋敷におられました。何故あのとき無理にでも私は、お嬢様を武蔵野へ連れて行かなかったのか。もしくは何故、お嬢様と一緒に上野に残らなかったのか、今でも悔やまれて仕方ありません。三月十日、東京大空襲に巻き込まれてお屋敷は全焼し、お嬢様も行方知れずとなってしまいました」
老紳士はαの接続部を、ドライヤーで風を送り乾かしてゆく。
「それからほどなくして戦争が終わり、その後一年、清与花お嬢様を探しました。どこかで生きていてはくださらないものかと。しかしどれだけ探してもお嬢様は消息不明のまま。私は、空襲の時、疎開先におられてご無事だった清与花お嬢様の妹君と結婚し、八宮財閥を継いだのです」
乾いたαの左腕の接合部の表面を、紳士はヤスリで整えてゆく。
「それからの私は仕事に邁進し、従業員達皆を養っていけるよう会社を大きく、強くしていくことだけを考えて生きてまいりました。八宮財閥が(株)HACHIMIYAとなり、社長職を娘婿に引き継いで現役を退いた途端、肩の荷が下りると共に、心の中に隙間風が吹くような寂しさが生まれましてね」
ヤスリで整えた接合部の埃を払い、老紳士はαに上着を着せていく。
「私の人生は決して不幸なものではありませんでした。優しい妻と、元気な娘、そして熱意ある部下に恵まれて、人並み以上の財産も手にしました。しかしそれでも、忘れようと思えば思うほど、あの日失われた清与花お嬢様の姿を思い出してしまう……。そして私は、アンドロイド法によって一度は頓挫した八宮オリジナルアンドロイド製作プロジェクトを個人的に再始動させ、「清世華お嬢様」が生まれたのです」
左腕を動かしてご覧なさい、と紳士に言われたαが、私を見る。私が一つ頷くと、αは左腕を回し、左手を握ったり開いたりを数度繰り返した。その動きはスムーズで、生身の人間と何ら変わらないものになっていた。
老紳士はにっこりと頬笑んだ。
「さあ、これで、修理は完了です。お待たせいたしました」
紳士に礼を伝え、αに手招きをして呼び寄せ、ひとまず私の横の床に座らせる。
修理に使っていた工具一式を片付けた老紳士が、静かに八宮に向き直る。
「清世華お嬢様は、これからどうなさいますか?この小さなラボで私と共に暮らしていく、という道もございます」
「私は……」
八宮はすぐに答えが出ないようで、うつむいて考え込んだ。
「分かっておいでだと思いますが、お嬢様はもう八宮の花小金井支部工場には戻れません。八宮の根回しで、お嬢様と池袋の件との関与は今のところ報道されていません。ですが、道重君が言っていたとおり、「アンドロイドを製作していた」という事実はHACHIMIYAの社史から抹消されることになるでしょう」
紳士は心苦しげに言葉を続ける。
「清世華お嬢様の解体処分に関しては、私の使える限りの力と人脈を使って、何としても回避いたします。ただ、今後、お嬢様の行動には多大な制限がかけられてしまう可能性が高く、この小さな部屋の外へお連れすることもままならなくなるかもしれず……」
「…………」
八宮の両手が、膝の上でギュッと握りしめられる。八宮にも老紳士にとっても、「八宮清世華」の存在が抹消され、部屋の中に隔離・軟禁されるのは望む事態では無いだろう。
八宮は、今までの行動から見ても、大勢の人間に囲まれて、彼らのために尽力することで喜びを感じるタイプだ。武蔵女の生徒達や、HACHIMIYAの従業員達、そして工場のAI達からですら、愛され慈しまれている。
八宮のモデルとなった女性「清与花」、そして八宮自身の「清世華」という名前の通り、彼女たちは世のため人のために与え、尽くすことで輝き、また周囲から愛される少女達なのだろう。そんな八宮がビルの一室で孤独に過ごすことは、どれほど本人にとって苦痛になるだろうか。
また、「清与花お嬢様」が亡くなった歳が16歳。そして、八宮が私立武蔵野田無学院女子高等科に入学したのが今年、高等科一年生の16歳として、だ。
そして、この雑居ビルの中の老紳士の個人的なラボも、何故上野にあるのか。答えは明白だ。先ほど老紳士が言っていたとおり「清与花お嬢様のお屋敷が上野にあった」からだ。お屋敷は空襲で焼失したという話だし、再開発が進んだためかこのあたりにお屋敷があった名残は跡形もないが、それでもきっと、老紳士がこの場所を選んだのには理由がある。おそらくここは、かつてのお屋敷の跡地、なのではないだろうか。
老紳士は、かつての婚約者である「清与花お嬢様」を今も変わらず愛しているし、「清世華」を16歳の姿で作り上げてわざわざ女子校へ入学させたのだって、きっと卒業を間近に16で亡くなった「清与花お嬢様」に平和な世界での学園生活を送らせてあげたかったからだ。
もはや疑いようがなかった。「八宮清世華」の存在を抹消し、孤独な世界に閉じ込めることが、この父娘にとって非情に辛い選択になるだろうということは。
と、なれば、私がすべきことは一つしかない。
「……α、命令だ。この部屋の出入り口のドアを壊せ」
「命令を復唱。”出入り口の撃破”。承知いたしました。実行に移します」
「なっ……!?何をなさいますの!?」
八宮の制止の手が入る隙もなく、αの右手から現れた銃口が数発の弾で木造のドアを木っ端微塵に粉砕した。
「命令を完了いたしました」
「電木羊子!貴女、どういうつもりで……!?」
隣で座布団から慌てて立ち上がる八宮を無視して、老紳士の方に向き直り姿勢を正す。
「八宮は、”正体不明のアンドロイド”が連れ去ります。いいですね?八宮のお父さん。あなたは”アンドロイドに脅されて、仕方なく彼女の修理を行い、回収すべきだったHACHIMIYAのアンドロイドも奪われた”んです」
「……っ、羊子。貴女……」
立ち上がった八宮が、隣で目を丸くしてこちらを凝視している気配がする。
「そして、”その正体不明のアンドロイドは、あなたの制止を振り切りラボの扉を破壊して出て行った”……と、いうことで」
私も座布団から立ち上がり、八宮の分の座布団とあわせて二つ拾い上げて老紳士に手渡す。
「αの修理、ありがとうございました。八宮は私が引き取っていきます。学校にはさすがに一緒に連れて行ってはやれませんが……。ここに幽閉されるよりは八宮のこと、自由にさせてやれると思います」
そう言って、ペコリと頭を下げる。八宮が息をのむ音がする。頭を上げると、紳士がニコニコと頬笑むのが見えた。
「ど……どうして、そこまでしてくれるんですの……?今の私を助けたって、貴女には何の得もありませんわ……!」
「友達だからだよ」
「……!」
驚いて言葉に詰まったらしい八宮が、口をパクパクと動かす。その様子は何だか鯉みたいでちょっと面白い。八宮のこんな顔が見られただけでも、恥ずかしいセリフを言った甲斐がある。
「い、いつの間に”友達”だったんですの私達!?貴女、ずっと私が友達になろうと誘っても断って……」
「でも、お前ほぼ毎日うちのクラスに来て話しかけてくるからから、その間ずっと一緒にいたじゃん」
「……フン!」
八宮は腕を組んでそっぽを向き、一生懸命「予想外の出来事に驚き、憤慨しているふり」をしているが、頬はリンゴのようにポッポと紅潮しているし、背後にはあるはずのない尻尾がブンブンと振られているのが見える。八宮の全身から、すごく喜んでいる雰囲気が伝わってくる。
「フン!随分と曖昧な線引きですこと!どうにも、いつから”友達”だったのかが不明確極まりありませんわ!」
口では負け惜しみのような強がりを言いつつも、見えない尻尾を振り続ける八宮の様子がおかしくて、つい笑みがこぼれる。
「友達って、そういうもんだろ。いつの間にか仲良くなってるもんじゃないのか」
七瀬と親友になった経緯を思い出すと、きっかけは初等部でいじめられてた七瀬を助けた(?)ことだったが、仲良くなった出来事や時期は明確ではなくて、本当に「いつの間にか」仲良くなっていた。
私だって七瀬しか友達はいないし「友達とは何か」という定義を語れるほど社交的でもない。それでも、利害関係で友達になれるほど器用じゃない私にとっては、良いヤツで気があって「いつの間にか仲良くなってる」のが友達の定義だ。
先ほどドアを破壊した時の発砲音が辺り一帯に響いたらしく、ビルの下の方がザワザワと騒がしくなってきた。αが窓を開け、身を乗り出す。
「人が集まってきたようです。通常の日曜より混雑しています。時間経過と共に混雑状況の悪化、また警察の包囲も予想されます。早急な脱出を推奨します。脱出経路はエレベーター、階段は推奨されません。窓からの脱出が比較的安全です」
「頼むわα」
「承知いたしました」
左腕が自由に動かせるようになったαは、右腕に私、左腕に八宮を抱えて窓を開け放ち、窓枠に足をかける。下から、人が階段を上がってくる足音が聞こえてくる。「後は私が何とかしましょう、早くお逃げください」と、老紳士がドアの方へと向かう。
「良い友人を持ちましたな。清世華お嬢様」
「お父様……」
八宮が、αに抱えられた状態で振り向く。老紳士がにっこりと笑顔を見せ、深く頭を下げた。
「……お嬢様を、どうぞよろしくお願いいたします」
「お父様も、お体に気をつけて……!」
「隣のビルへ飛び移ります。衝撃に備えてください」
父娘の感動の別れもそこそこに、αが雑居ビルの3階から隣のアパートの2階のベランダへと跳躍する。結構なGが身体にかかり、「ぐえっ」と蛙の潰れたような声が出た。
「も……もうちょっと丁寧に移動できないのかα?」
「申し訳ございません」
「無理ですわよ」
左腕に抱えられた八宮が、達観したような目で遠くを見つめている。
「池袋の時よりはまだマシなくらいですわ。今はまだ貴女への配慮をして、「コレ」ですわよ。このアンドロイド、繊細さのカケラもないですわ」
そうだった。そういえばαは、脳筋力業ごり押し系、パワータイプの戦闘用アンドロイドだった。
それから、ものすごい高さのジャンプでの上り下りと超速移動で運ばれ、西東京市富士町某所の自宅まで無事たどり着いたのは良いものの、バンジージャンプしながら首都高バトルの車に乗るような手荒な運ばれ方をしたため、帰宅と同時にトイレに駆け込み胃の中のものを全部吐き出した。
八宮は前回で少し慣れていたのか嘔吐はしなかったものの、真っ青な顔でふらつきながらクローゼットに入りすぐ横になっていた。
αは無表情ながらもオロオロとうろたえ、私が吐いている間トイレの前で待機し、その後も、よろよろと階段を上がり2階の自室へ向かう私の後をついてきた。
私がベッドに倒れ込むと、αがオロオロと意味もなくベッドの周りを徘徊する。
「……申し訳ありません、マスター」
起き上がる気力もなくベッドに突っ伏したまま、首だけを回して声がした方に振り向く。すると、困り果てて泣きそうな顔のαがベッドの横の床に正座しているのが見えた。185cmの大きな体を小さく縮こまらせている。
「あー……」
言いたいことは山ほどある。特にあの帰り道の、急上昇・急降下・急回転・急ブレーキ・急発進を繰り返すジェットコースター宅配具合については叱りつけたって良いくらいだ。
しかも運び方も雑だった。右脇と左脇に抱えられた私と八宮は両手足と頭がぶらんぶらん宙に揺れる状態で、αの動きに合わせてシェイクされた。端的に言ってすごく酷かった。普通ならお姫様抱っこのような、もう少し身体が固定される状態で運んでくれるものではないのだろうか。もしαがピザの宅配員だったら届けられたピザはぐっちゃぐちゃだろうし、家に届けられた私達はつまりそのぐちゃぐちゃになったピザだった。
……だが、それ以上に、
「……もういいよ、悪気は無かったんだろ?それより、今日はありがとな」
心底クタクタだが、残った力でαを安心させるように頬笑んでみせる。αが小さく首を傾げる。最初はただ私の動きをまねていただけだったようだが、どうやら「相手の意図が分からない時にする動作」だと学んだらしい。
「今日だけじゃなくて、池袋の時も。私一人だけじゃ、何も出来なかった。お前がいてくれたから、私はワガママを通すことができた。無茶なことでもできたんだ。……αが居てくれたから」
ありがとう、と再度、感謝を伝える。
返答の仕方が分からないようで、こちらを見つめたままフリーズしてしまったαの頭に手を伸ばす。そして、感謝といたわりをこめてゆっくりと、その形の良い頭頂部を撫でる。 αの外見年齢は20代半ばくらいであり、大人の女性への感謝の仕方としては間違っているかもしれない……という思いはうっすらあったものの、今の私に出来るαへの感謝の表し方として最適解のように思えたため、よーしよーし、となで続けた。
αの頭を撫でているうちにいつの間にか力尽きて眠ってしまっていたようで、ハッと目が覚めると窓の外が真っ暗になっていた。
クローゼットから、八宮の規則正しい寝息が聞こえてくる。
帰宅したのが午後3時過ぎ、今時計を見ると夜の9時ちょっと前、そして明日は日曜。変な時間に寝てしまったため変な時間に目が覚めたが、もはや明日の朝までこのまま寝るのが一番だ。私は無理矢理目を閉じて、再びベッドへ身を沈めたのだった。
余談だが、この日以降、ことあるごとにαがかがんで頭を差し出してくるようになった。どうやらあの「なーでなーで」は気に入っていたらしい。
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