第3話 渡る高架橋にアンドロイドあり
しくった。
私の人生、こんなところで終わるとは。
高架橋の最上段から足が完全に離れ、浮遊する。身体が重力に引っ張られるまま、地面が近づいてくる。
地面、と言えど、アスファルトだ。しかも頭からのダイブ。ヤバい。ジ・エンド。もしくはかろうじての大けが。どっちにしろ非常にマズい。ごめん七瀬。変質者やエレクトロ博士の危険がどうのと言う前に、私のポンコツ具合が私にとって一番危険だった……ーー
走馬灯のように、一瞬前の光景が私の中で流れる。
七瀬と別れ帰路についた私は、西武新宿線に乗り西武柳沢駅で下車。今日は七瀬とは別行動で一人での下校だったため、念のため以前変態と会った道を避けて東伏見公園を通って遠回りのルートで帰ることにした。
東伏見公園の高架橋を渡り、降りようとしたその時、高架橋の下を電車が通り抜け強い風が吹き抜けた。
「わぷっ!」
風で飛んできたビニール袋が顔に直撃して変な声が出る。揺れる高架橋の上で、私は足踏みをしながらビニール袋を払い落とそうとした。何度も通っている道、という油断もあったかもしれない。足踏みをした左足が、階段を踏み外し、宙を蹴った。そのままバランスを崩し、下り階段を頭から倒れ落ちた。ぐるん、と視野が回転し、脳内に警鐘が鳴る。
そして今、アスファルトが目の前に迫っている。受け身?そんなの取れるわけない。私の運動神経は限りなくゼロだ。
ごめん。七瀬ごめんな。
七瀬の泣き顔が浮かぶ。泣いてる七瀬なんて、初等部の頃、まだ私達が友達じゃなかった頃以来、見ていない。七瀬の泣き顔なんて見たくない。でも、きっと七瀬は泣く。しかも今回は私が泣かすことになる。
ギュッと目を瞑り、衝撃に耐える準備をする。
ごめん七瀬、ポンコツな私を許して欲しい……ーーー
激突する、と思った瞬間、何か柔らかいものに私の身体は包まれた。ガキン、と近くで金属の割れるような音が聞こえたが、何の痛みも感じない。
ん?大怪我をした時には身体の感覚が麻痺すると聞いたことがあるが、それが「コレ」だろうか……?
おそるおそる目を開けると、視界一杯に黒のスーツに包まれた女性の胸。大きすぎず小さすぎず、上品なバスト。そのバストがエアーバックのように私の顔を受け止めている。
どうやら、このバストの持ち主であるスーツの女性が、高架橋の下で落ちてきた私を抱きとめて助けてくれたようだ。控えめに言っても命の恩人だ。
「あ……ありが……」
「ご無事ですか?マスター」
ギクリと身体がこわばる。頭上から聞こえてきた声には聞き覚えがあった。そして、私を「マスター」などと珍妙な呼び方をする相手は一人しか知らない。
視線を横に動かすと、黒のスーツの後ろには、長いサラサラの黒髪が見える。
全身にドッと冷や汗が吹き出る。
ギ、ギ、ギ、と、さびて動きが悪い人形のように自分を抱きとめている相手の顔を見上げる。
案の定、そこには美しく整った、先週の変態の顔があった。相変わらず人形のように無表情だ。何の感情も読み取れない瞳に、ゾッと血の気が引く。
虚言癖の変態か、妄想癖のストーカーか、頭のネジがぶっ飛んだサイコキラーか、西東京市にあるようでなかった都市伝説の一種か、正体は定かではないけれど、とうとう異常者に捕まってしまった。
しかも、捕まってしまった上、「命の恩人」という弱みすら握られてしまった。
私の何がこの変質者の琴線に触れたのか微塵も想像がつかないが、こうなってしまったからにはきっとこの変態は「助けた」という恩を振りかざして逆らえないJK(私)の弱みを握り、あんなことやこんなことを要求して、挙げ句の果てにはバラバラに切り刻まれて東伏見駅前のアイスアリーナの裏に埋められ……
「申し訳ありません。マスター」
「ふへぁお?」
思わず素っ頓狂な声が出た私を気にもとめず、変態は深々と頭を下げた。
「”姿を見せるな”というご命令に違反してしまいました。事前に予期不可能な緊急事態だったため、ステルスモードでの行動を取ることが出来ませんでした。大変申し訳ありません」
「おん……?」
そっと、女の人は腕にかかえていた私を地面に下ろした。
何だ。この妙に丁寧な動作は。こんなんじゃまるで、
(私を、傷つけないように動いてるみたいじゃないか……)
相変わらず、女の人の言動は意味不明だが、私に危害を加える意図がないらしいことは理解できた。
と、言うか、私は145㎝ちょいの長さのチビだが、仮にもJK、体重はそれなりにある。そんな重しが降ってきたのを受けとめて、この人の方が怪我をしていないだろうか。
それに、さっき地面にぶつかると思った瞬間、「ガキン」と変な音がしたのも気に掛かる。
あわてて女の人の全身に目を走らせる。パッと見、怪我は無さそうだ。表情もケロリとしている。「ケロリ」というか、何とも「無」だ。しかし、打撲など、服で見えないところに怪我をしている可能性もある。それに、何か得体の知れない大きな違和感を感じる。
「あ、あの、お姉さんこそ大丈夫ですか……、ッ!?」
――― マジかよ…… ―――
違和感の正体が判明した。
女の人の、左腕が無くなっていた。肩から、スーツごと。
その左腕は、高架橋の手すりを掴んだ状態で、所在なげに手すりにぶら下がっていた。 女の人があまりに平然としているので一瞬気づかなかったが、まごうことなき大怪我だ。恐らく、左手で手すりを掴んだ状態で、右手で私をキャッチした衝撃のせいだろう。今度こそ、本当に顔から血の気が引くのを感じる。一体どうしたら……、救急車か……!?
しかし、まだ、何か違和感が残る。だが、そんな些末事にこだわっている場合ではない。一刻も早く救急車を呼ばなければ……!
鞄から急いでスマホを取り出そうとするが、手が震えて鞄を開けるだけでももたついてしまう。やっとのことでスマホを探し出して電話をかけようとすると、女の人が、残っている右手でそれを止めた。
「必要ありません」
「い、いや、大けがじゃねーか!早く病院に……!」
「怪我ではありません。病院に行く必要はありません。損傷具合20%未満、左腕部のみ。動作可能。支障ありません」
淡々と話す女の人を、呆然と見つめる。
大事故に、大けがのはずだ。何故こんなに平然と、まるで他人事のような顔をしていられるのだろう。
眉一つ動かさない、涼しげで整った顔も本当に人形のよう……
――― 人形(アンドロイド) ―――
ハッとする。そして同時に、残っていた違和感の正体に気づく。
(血が……出て、ないんだ……!)
腕がちぎれるなんて大けがをしたら、間違いなくとんでもない出血量のはずだ。それなのに、女の人からは一滴も血が出ていない。手すりにぶら下がっている腕からも。
女の「ひと」は立ち上がり、手すりから、ぶら下がっていた左腕をもぎ取った。そして右手に左腕を持ち、私に向かって頭を下げた。
「命令に違反し、姿をお見せしたこと、誠に申し訳ありません。すぐにマスターの視界から姿を消します」
「い、いや、そうじゃねーだろ……!お前、それ、直せんのか?てか、これからどうすんだよ!アンドロイドなんだろ!?ちゃんと国に登録されてんだろうな!?」
女の人、にしか見えない、アンドロイドの女は、顔を上げて真っ直ぐにこちらを見る。その視線の真っ直ぐさに少したじろぎ目を逸らしたくなったが、下唇を噛んで逃げたい気持ちに耐える。女の視線を真っ向から受け止める。
「左腕部の損傷を修理することは私には不可能です。今後も、マスターに姿を見せないようにしながら護衛を続けます。私はアンドロイドです。現在、日本政府に登録申請はされていません」
すらすらと女が答える。一問一答といった感じだが、大体の状況は理解できた。
人生初の、ナマのアンドロイドだ。腕がもげるなんていう、こんな状況にならなければアンドロイドだということも分からなかっただろう。それくらい、目の前の相手は非常に人間然としていた。
私以外の人間だって、きっとこいつとすれ違っただけじゃ、アンドロイドだなんて分からないだろう。しかし……
「お前、自分で腕くっつけられないんだったら、すぐアンドロイドだって周りにバレるんじゃないか……?国にも未登録って……。違法だろ、それ。持ち主は?」
「貴方です。マスター」
はああああ、と、大きなため息が出る。私はこんなアンドロイドを見た覚えもなければ、所有者になった覚えも無い。そもそも「アンドロイド」というものを見るのだって、人生初だ。
スカートについた土埃を払い、立ち上がって、女の、左腕がもげた箇所の断面を覗き込む。うわ。思いっきり機械じゃん。金属のネジやら金具やらがむき出しになっている。これじゃ、一目見ただけでアンドロイド即バレだ。
七瀬から聞いたエレクトロ博士のアンドロイドの件で世間もピリついてるようだし、今、野良の違法アンドロイドなんか見つかったら有無を言わさず即行処分だろう。こいつがエレクトロ博士に関係あろうが無かろうが、危険性の芽を潰すという意味で、処分は免れないはずだ。
夕日が暖かなオレンジ色の光で高架橋も、女も私も、全てを包み込む。女の黒髪がサラサラと風に揺れ、その切れ長の瞳には、情けない顔をした私が写っている。
国に登録されてないアンドロイドなんて存在自体が違法なんだし、所有することも、直すことだって違法だ。本当は、すぐに警察に届けなければいけないのだ。警察に届ければ、もしかしたら一億分の一くらいの確率で、こいつの本当の所有者が見つかる可能性もある。 それでも、私はこいつに助けられた。
飼い主を見つけた犬のように、私を「マスター」と呼び、自分の身を顧みず主人を助け、「命令」を忠実に果たそうとする。
女は相変わらず無表情に私を見つめているが、きっと私が「警察に突き出す」と言えば従うだろう。それがこいつにとっての死刑宣告だとしても。私に全幅の信頼を置いているのだ。
飼い犬や飼い猫を、殺処分になると分かっていながら保健所に送るのと、こいつを、廃棄処分にされると分かって警察に届け出ることはほぼ同義だ。
「…………ついて来い。行くとこないんだろ?」
着ていた春用の白の薄手のカーディガンを脱いで、女の肩にかけてやる。これで、左腕がもげていることを家に着くまで位は隠せるだろう。
「”ついて来い”というのは、命令ですか?」
「まあ、そうだ。助けられた借りは返さないとな」
「新規の命令を確認。”マスターへの同行”承知いたしました。実行します」
女は瞬き一つしないまま答え、素直に私の後ろをついてきた。私の口から、地を這うような深いため息がこぼれた。
私はこの、忠犬のような野良アンドロイドを「保健所送り」にすることを躊躇するくらいには、情が湧いてしまっていた。
この野良ロイドが探す本当の「マスター」とやらが見つかるまで預かる。そう、預かるだけだ。
チラリと七瀬の顔が思い浮かんだ。しかし、ブンブンと頭を振った。七瀬を巻き込みたくない。もし七瀬に知らせて共犯者にしてしまったら、きっと七瀬まで罪に問われてしまう。
こうして、私は誰にも内緒で、違法野良ロイドを家で飼う(仮)ことになった。
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