汐見麻希は仲良くなりたい 2

 しかし自転車を走らせてからものの数秒でブレーキをかけることになった。なぜかというと校門付近にあの汐見が立っていたからだ。

 あんな奴そのまま気付かないふりをして走り去ろうかと考えがよぎったのだが、ばっちりと彼女と目が合ってしまった上に声までかけられてしまった。

 ここで無視してしまったら彼女は必ず明日俺を意地でも捕まえにくる。

 だったら大人しく彼女の理想通りに動くのがベストだと、俺はハンドルを切って行き先を渋々変える。


「先生のお願い事は済んだのね」

「あぁ。てか、なんでここにいんの? 天都までいるし……」


 近づいてから存在に気がついた。天都が汐見の後ろに隠れるようにして、それでも距離は空けて立っている。


「あ……ども……」


 一瞬だけその気弱そうな目をこちらに向けた天都は運動部の快活な声にかき消されるくらい小さな声を出した。


「んで、何の用だ?」


 俺は早く事を終わらせようと用件の説明を汐見に促す。


「佐波黒くん、遊びに行きましょう」

「……は?」


 この女は何を言っているんだ。困惑顔をしていると追加の説明をされる。


「ほら前に愛梨ちゃんたちが親睦を深めるためにショッピングセンターへ遊びに行くって言っていたじゃない? 私が愚かにも帰りの時間を心配して神経を逆撫でしてしまった、あれ。私たちも天都さんと仲良くなるために、一緒に遊びに行きましょう!」


 汐見は詳細内容を伝えながら天都の両肩を後ろから掴む。すると天都の体は驚きでピクッと跳ね上がった。


 それに、愛梨……? まぁ、コイツの知り合いは限られている。おそらくあの三人組の内の一人のことだろう。


 とにもかくにも、別に俺は天都とも汐見とも仲良くなりたいと思っていない。なので再び自転車を走らせようと前輪の向きを変えてペダルを踏もうとした。


 不意に俺の右手が力強く握られる。汐見が出し抜けに俺の手ごと握りつぶす勢いで自転車のブレーキをかけたのだ。ちなみに結構痛いので離してほしかったが、思いとは裏腹に握力を緩めることなく彼女は離し、じゃなくて話し始めた。


「それと、佐波黒くんは人との交流を学ぶべきだわ。部活動ができないのなら、まずはクラスメイトから関係を作りなさい」

「いや――」

「それに帰っても家に引きこもるだけで暇でしょう? 少しは日の光を浴びて、人と会話をして、外の世界を歩きなさい」

「だから――」

「外の世界を知ったらいかに自分の考えが偏屈なものかがありありと理解できるわよ」

「あの……」

「今の佐波黒くんが社会に出ると想像すると末恐ろしいわ。まだ高校生である今のうちにその思考回路を直して社会に貢献できるようになりなさい」

「…………」


 ことごとく俺の反駁が消された。

 それになんだよ外の世界って。俺なんてめっちゃ外の世界知ってるっつーの。

 母親から上司と部下に対する愚痴を聞かされまくってるし、父親は朝早くから会社に行って日付越えてから家に帰ってくるし。姉貴に至っては、なけなしのバイト代を彼氏のプレゼントに使ったってのに浮気されて破局していたし、この世界はろくでもないってことは充分以上に承知しているよ。


 しかし汐見は俺を逃がそうとする気配を見せなかった。

 今回も彼女からの逃走は無理と悟った。

 俺は深い溜息を吐いてから言う。


「……分かったから、離してくれ。痛い」


 視線でも訴えると、すぐさま汐見は手を離して引っ込めてくれた。


「あ、ご、ごめんなさい……」


 そしてすぐに謝った。


「……で、遊ぶってどこ行くんだ? 俺は金を使わないところを所望する」

「えっと私、こうやって放課後に遊びへ出掛けるなんて初めてのことだから……実は何をすればいいのか分からなくて……。だから、二人の意見を聞きたかったの。天都さんは私たちの好きなところと言っていたのだけれど、佐波黒くんはどこに行きたい?」

「家」

「――えっ。いや、その、佐波黒くんがどうしてもと言うのなら構わないけれど……。まだ、私たち……会ってから一ヶ月も経っていないのよ? 時期尚早というか……」


 突然慌てふためき頬を赤くして早口になる汐見。目も騒がしく動かして、まばたきの回数が多くなっている。

 コイツ、あれか。人の言葉をそのまま受け止めてしまうのか。だから俺が彼女らを自宅に招いていると誤って認識しているのか。

 真面目が故に冗談を言うと正論が返ってくる。多分、今までその性格で何回も空気を読まずに雰囲気を台無しにしてきたんだろうなぁ……。


 未だ汐見は静かになっていなかったので、これ以上誤解が広がらないように直接伝えることにした。


「俺は帰りたいって言っただけだ」

「あ、そうなの? じゃあ…………じゃないわ! き、今日は帰さないからね!」


 その表現の仕方も誤解を生みそうだ。


「佐波黒くんでは話にならないわ……」


 汐見は溜息を吐きながら額を押さえる。その後、考え込んだ。


「となると、うーん……私の好きなところ……? ……あっ、私の好きなところだったら図書館はどうかしら?」

「そこで本でも読むか?」


 それだったら構わない。読書中は話しかけられることもなさそうだし、鞄の中に入っている本の続きを読めるから時間を無駄にしない。

 まぁ、仲良くなるという目的を考えると本を読むだけってのはおかしい気がするが、俺にとってその目的はどうでもいいので賛成だ。


「違うわ、勉強をするのよ」

「お前一人でやってろ」


 なんでわざわざ限りある時間を割いてまでコイツと一緒に勉強なんてしなくちゃいけないんだ。それに遊びに行くって言ったのお前だろ。もしかして勉強は遊びの内と思っているのか?


 自分の案が納得されなかった汐見は不機嫌そうに目を細めて俺を見る。


「友達がいたことなさそうな佐波黒くんが私よりも良質な提案を出せないくせに否定をしないの」

「失敬な。俺とて友達の一人や二人いたことはある」


 汐見が驚きで細めていた目を開き丸くする。


「それ本当なの?」


 それを見て俺は勝ち誇ったように語り始めた。


「あぁ本当さ。なんせ俺は優しいからな。友達のために掃除当番とか発表係とかを毎回代わってあげてたくらいにはとても優しかった」

「へえ……佐波黒くんにもそういう時期があったのね……」


 なんか普通に感心されているが、これは友達という関係を利用されて面倒事を押し付けられていたという自虐ネタだ。

 経験なさそう……というか、実際やられていても気付いていなさそうな汐見には分からないか。


 一方、ふと天都を見てみると彼女も俺を見ていた。そして目が合えば逸らされる。


「そんなお友達のいた佐波黒くんはどこがいいの?」

「だから家」

「だから却下!」


 今度は強く否定された。

 しかし俺のことを便利屋のように扱っていた彼ら彼女らは本当に友達だったのか、というのは一旦置いておいて、友達がいたことのある俺でも放課後の遊び場をすぐに思いつくことができなかった。


 それもそのはず。あれは小学生のときだったから、放課後は誰かの家に行ってゲーム大会か公園ではしゃぎまくっていたかの二択だった。最近の高校生のセンスとかさっぱりわからない。


 やがて俺の浅学を駆使して思いつた場所は何の捻りもない場所だ。


「笹塚だっけ? アイツがショッピングセンターに行ったんなら俺たちもそこでいいんじゃないか?」


 案を出すと、まず汐見は天都へ向いた。


「天都さんはそれでいい?」


 天都はコクッコクッと首肯する。


「天都さんがいいのなら、私もその提案に同意するわ」


 この際、楽しいか楽しくないかはどうでもいい。汐見を納得させ連れていけばそれでいいし、天都はどこを指定してもついてきそうだから。


 俺たちの行き先は決まった。互いに言葉は使わず目線を交わして歩き出す。

 彼女ら二人は徒歩のため俺は自転車から降りて押して歩くこととなった。


 こうしてまた、俺の貴重な放課後ライフが失われていくのであった。

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