佐波黒陽介は静かに食べたい
「佐波黒くん、一緒にご飯を食べましょう」
「……は?」
手にあったあんぱんを落としてしまいそうだった。
この黒髪ロングの女は何を言っているのだろうか。何故俺と共に昼食をとろうと話しかけてきたのか理解できず、無意識に目を細めて訝しげに彼女を見てしまう。
当の汐見は腕を組んで、座っている俺を見下ろし回答を待っていた。が、もういいや、こういうのは時間が解決してくれる。
こちらから何かアクションを起こさなければ相手は立ち去る。俺はこれで数々の面倒事を回避してきた。無視をすれば今後関わってくることもないし良いことづくめだ。
しかし例外は存在するもので……というかコイツ自体が例外の擬人化みたいなものなので、俺の策略は通じなかった。
汐見は自分の椅子を既にここまで持ってきていて、俺の机に弁当箱を置いてから隣に座ろうとする。
「おい、俺はまだ何も言ってないぞ」
「沈黙は肯定と見做すわ」
「ならハッキリ言ってやる。嫌だ、とっとと俺から離れろ」
すると彼女は頬を膨らませて俺を睨みつけた。
「わ、私は意地でもここから離れないから」
うわ……なにコイツ、めんどくさ……。
子供っぽいわがままと言えば聞こえは良いが、これはただのめんどくさいガキだ。
理知的な性格はどこへ行ってしまったのだろうか。
しかし、ここから意地でも離れないのなら、俺が移動するまで。パンとペットボトルを持って席を立つ。
「ど、どこに行くのよ」
声がしたが無視して廊下へ直行。続いて後ろから汐見がついてくる。
俺はそのまま無言で廊下を進み、近くのトイレへと入っていく。
「――ちょ⁉ 待ちなさい!」
するところでいきなり腕を引っ張られ強引に半回転させられた。
「なんだよ……痛ってぇな」
「まさかとは思うけれど……トイレで食べようとしてなかった?」
「そのまさかだが、何か問題でも?」
淡々と聞き返すと、汐見の顔が戦慄に染まる。そして前のめりになって
「問題あり過ぎるわよ! 汚くて不衛生だし、一人になってしまうし、それに……私が入れないじゃない」
中学の頃は割と常連だったんだけどな。そんなことを口にすれば汐見から何を言われるか分かったもんじゃないので黙っていた。
やはり汐見に目をつけられてしまった以上、回避するのは不可能なのかもしれない。
仕方がない。教室から出てしまったし、せっかくだからあそこに行くか。
無言で歩き出せば、汐見は慌ててついてくる。
「急に歩き出さないでよ。それに、教室には戻らないの?」
「静かなところで食べようかと」
「静かなところ……? 図書室は飲食禁止よ」
「行かねぇよそんなところ」
中学高校と何回か図書室でテスト勉強に励もうかと試みたのだが、静かは静かでも、どことなく厳格で息苦しい空気で満たされていたために集中ができなかった。静かすぎるのも逆に気が散る。例え飲食が許されていようがあそこに行く気にはなれない。
俺が向かっているのは気楽で快適な場所。
誰もいないから邪魔されることはないし、無論騒がしくない。だからといって完全無音でもない。少し暗がりなあそこは日陰者の俺にとって居心地がいいのだ。
「階段のぼって……一体どこに向かっているのよ」
「屋上」
俺は階段の先を指差して言った。
「屋上……? 屋上は許可なく立ち入ることを禁じているわよ」
「実際には屋上に続く階段。そこは静かで誰も来なくて快適だ」
「階段で食べるだなんて行儀が悪いわ」
「あっそ、だったら教室で仲良く四人で食べてるんだな」
文句たらたらの汐見にそう吐き捨てるように言うと、彼女は悲しそうな表情を浮かべる。
「いいえ……ここで食べるわ」
俺は驚いた。教室に連れ戻す素振りを見せず、彼女だけで帰る素振りも見せないどころか肯定した。ここで食事することを許可し、なおかつ自身も行うと言った。
俺の知っている汐見では言わないと思っていたことを口にしたのだ。
「佐波黒くんの普段の生活を体験してみれば、更正するきっかけを知ることができるかもしれないし……たまにはこういうところで食べてみてもいいかも……」
「だからなんだよ更正って……。俺には直すところはないだろ。てか、直すのはこの世界のほうだろ」
「そうやって自分の非を認めず他責思考で物事を捉えてしまうところが一番の問題なのかもしれないわね」
汐見は額に手を当てて溜息を吐いた。
それをよそにして階段を上がっていき、だが一番上までは行かず中間あたりの段差に腰を下ろして昼食を再開した。
俺は袋からパンを取り出し、弁当の蓋を外し、太ももの上に弁当を置いた汐見は落とさないよう必死だった。
「そういえば、アイツらとは食べないのか?」
「あいつら……? 笹塚さんたちのこと?」
俺は頷く。
「今日はお誘いを断ってきたわ」
「なんで」
「佐波黒くんと、食べたかったから……」
「はぁ……あっそ」
いい迷惑だ。
彼女は何を思い、何を考えて三人組より俺を優先するのか分からなかったが、俺は彼女を退けるほどの力を有していないので大人しくすることにした。
しかしあの三人組を断ってまで俺と一緒にいていいのだろうか。俺は彼女らの関係を壊そうとしたのだから、少なくとも彼女らは俺へ嫌悪感を抱いているはずだが。
もしゃりとパンに嚙り付く。汐見は「いただきます」と呟いてから食べ始める。
互いに喋らないと遠くからのバカ騒ぎがよく聞こえる。ただ教室にいるときと違って耳障りではない。
ふと汐見が口を開く。
「なんだか、新鮮ね」
「優等生さんがこんな
「これも……良い経験、なのかしら」
「さぁな」
皮肉のつもりで言ったのだがどうやら伝わっていないようだった。汐見は天井を見上げて、何かを懐かしんでいるように耽っている。
その横顔に、不覚にも見入ってしまった。紛らわすためにも俺は、もう一口、パンを運ぶ。
「……佐波黒くん。いつもコンビニのパンかおにぎりで済ましているけど、足りているの? 栄養も考えないとダメよ」
「はいはい……」
視線を感じたのか向き直り、彼女は俺が握るあんぱんを見てお節介をやいたのだった。
うん、やっぱ変わってねぇわコイツ。
行き過ぎなお節介は未だ健在で、俺を苦しめるのだった。母親よりもぐだぐだ言っている気がする。
そんな汐見を見れば何やら考えていた。やがて彼女の切れ長な目と合うと、その小さな弁当箱を見せてくる。
「その……よかったら私のお弁当、食べる?」
「結構です」
あんぱんだけで腹は持つ。授業中は寝るからそこまでエネルギーを消費しないのだ。
即答したのが不満だったのだろうか、彼女は頬を膨らませ目を細めてこちらを直視し始めた。突き刺さる目線を受け流しつつペットボトルの中身をのどに流し込んで空っぽにする。
「……それにしても、本当にここは静かね。でも薄暗いし、机は無いしで、残念ながら学習環境は劣悪ね」
汐見はぐるっと見回し呟く。
「椅子と机なら後ろに積まれてるぞ」
俺たちの後ろ、つまり階段の最上段には使われていない机や椅子が積まれており、おまけにほこりも積まれている。
「だとしても、教室と図書室でやったほうが落ち着くわ。第一、こんな明かりの乏しいところで勉強していたら目が悪く…………」
声が不自然に小さくなっていき、途切れた。流石に気になった俺は汐見に問いかける。
「どした」
「……」
汐見は真後ろを向いたまま黙って目をぱちくりとさせていた。
「幽霊でも出たか?」
そう言いながら彼女が見つめる先に視線を動かすと……そこに、一人の少女がいた。
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