だから佐波黒陽介は壊してしまう

 珍しくも、俺は朝早くから学校にいた。遠くから響いてくる運動部の掛け声をバックに、薄暗い教室で一人、座って本を読んでいた。いつもはクラスメイトの喧騒を聞きながらの読書なので、今の静かな状況は同じ場所であっても新鮮に感じられる。


 くあっと口を大きく開けて欠伸をしてしまう。ここ数日間慣れないことをやってきたから、体がお疲れを示唆してきた。しかし今日、朝、ホームルーム前のこの時間で解決する予定だから、あと少しの辛抱だ。


 読んでいた本が一段落したので、一旦ページを繰る手を止め、窓の外でもぼんやりと眺めようかと頬杖をつく。曇天も今日で終わりだと天気予報のお兄さんが言っていたが、終わりとはどういう意味なのかを考えてしまう。

 灰色の雲が無くなり青色の空が広がるのか、それともあの雲から雨粒が降り注ぐのか。

 まぁ、続きにその天気予報士は快晴という単語を使っていたのだが。


 出し抜けに、ノックもなく教室の扉が開いた。音のするほうに顔を向ける。


「アンタ……」

 俺と目が合った彼女、ポニーテールの笹塚愛梨ささづかあいりは怪訝そうに呟いた。同様に、後ろで警戒心に満ちた眼差しを向けるショートカットの二人、愛島あいじま千世ちせ棚沢弘子たなざわひろこ。彼女ら二人の小声は静かな教室だと俺の耳にまで届いてしまう。


「だれ? あの人」

「同じクラス……なのかな?」


 三人いても俺の名前が出てこないようだ。席から離れて彼女らへ少しだけ距離をつめると、俺は自分から名を名乗ることにした。


「同じクラスの佐波黒さわぐろだ」


 急に喋った俺に対して彼女らは警戒を解くことはなかった。

 だが一人だけ違う態度だったのは笹塚。彼女は相手がクラスメイトと知ってから、緊張する必要がないと判断したのかポニーテールをいじり始める。


「ふーん……アンタがアタシたちを呼んだん?」


 少し溜息混じりの面倒くさそうな声音で笹塚は問うた。それに俺は首肯する。


 昨日の放課後、笹塚の下駄箱へ手紙を入れておいた。この時間とこの場所に三人で来いといったむねを伝えるために。

 手紙を見てもらっても本当に来るのか疑わしかったので『大事な話がある』とか『来ないと後悔する』とかを書いておいたが、スパムメールみたいだな、逆に怪しさが増していたような気がしないでもない。

 結局、今こうして彼女たち三人を呼ぶことに成功したのだから、もうこの事を顧みるのは時間の無駄だ。


「こんな朝早くからどうしたの?」


 早朝に知らない男から呼び出されてややご機嫌斜めの笹塚は早口で問う。


 俺は笹塚、愛島、棚沢を順番に見据えてから口を開いた。


「時間がないから手短にする」


 ポケットの中からスマホを取り出す。


「最初にこれ」

 そして、俺のスマホに入っている写真を彼女らに見せつけた。

「――っ⁉」

 瞬間彼女たちの顔から血の気が引いていく。


 一枚目、笹塚が雑草生い茂る校舎裏に上履きを捨てているところ。

「次にこれ」

 二枚目、愛島がノートをゴミ箱の奥に突っ込んでいるところ。

「最後にこれ」

 三枚目、棚沢がノート見開き一ページ分に及んで悪口を大きく殴り書きしているところ。


 普段写真撮影なんてしない俺だから、どれもぼやけていて見づらい。しかし誰かは分かる程度のクオリティは保てているので証拠として充分だ。


 彼女たちもこれらの写真が危険物だと認識している。互いに顔を見合わせて自分たちの立場の揺らぎを実感した。この状況を打破するにはどうすればいいのか考えようにも焦って何もできない。


 しかし笹塚は存外冷静な奴みたいで、視線が定まっておらずとも声のトーンは高圧的に話し始める。


「わざわざアタシたちを呼んだ理由はなに? それ見せるだけじゃないでしょ」


 彼女の言う通り、証拠を手に入れたのならさっさと教師に見せて助けを請えばいい。

 幸運なことに汐見は先生たちに好かれている。それに成績優秀だから学校側にとってもそんな逸材を放っておくことはしないだろう。


 けれども現実、それでは問題解決には至らない。第三者がやめるように言ってもいじめは無くならない。すぐに再発してしまう。


 大体一介の高校生が先生の言うことを素直に聞き入れるほど純粋とは考えづらい。


 注意されてもいつか先生の目を搔い潜って、表に出さないようになる。そうなったら……本当に誰にも気づかれなくなる。


 だから俺は……


「これらの写真のうち、一枚だけ教師に見せる」


 俺の言葉に彼女らは一斉に訝しむ。


「他の二枚は消してやる。誰の写真を見せるかはお前たちが決めろ。早くしないと部活の朝練が終わるぞ」


 逡巡が沈黙を訪れさせる。


 この中から一人、生け贄を捧げれば自分たちは助かる。誰かを踏み台にして自分は救われる。

 

 いじめの証拠を握られ後が無いと悟ったなか起きた、予想を裏切る僥倖ぎょうこうの出現が理性を狂わせる。


 貪欲に救いへと手を伸ばす。相手を蹴落とそうがもはや関係ない。


 お前らは遊びに行くとき『親睦を深めるため』と言っていた。つまり、お前らの関係は二年生になってから始まり、まだ一か月も経過していないのだろう。そんな薄っぺらい脆弱な繋がりなら簡単に壊れてしまう。


「あ、愛梨が……最初だったよね」

「は……?」


 初めに自分の名前を出された笹塚は目を丸くさせた。


「愛梨が最初に……上履き隠したよね」

「う、うん……そうだね……愛梨が最初だった」


 棚沢が口にしたことを皮切りに愛島が同調する。


「ちょ……最初とか関係ないでしょ!」

「――そもそも愛梨が汐見さんに強く反論したことが切っ掛けでしょ」

「だから! 切っ掛けとか関係なく、アンタたちも同じことしてたじゃん!」


 笹塚と、愛島棚沢は向かい合い、言い争いが激化する。順調だ。


 民主主義の国で生まれ育ち、昔から物事を多数決で決めてしまうから、少数派はいつも選ばれない。

 そのうち人数の優勢を理由に多数派が絶対的に正しいと宣う。多数派が正しいのであれば、それに反対する少数派は間違っていると言う。

 そうして集団は思考を放棄して個を非難するようになる。


 残念ながら俺にはその仕組みを変えられるほどの力がない。


 だったら集団を壊す方法をとるしかない。


 いじめの筆頭である彼女らのグループを破壊してしまえば、汐見に手出しする奴は現れなくなると俺は踏んだ。


 未だ必死に笹塚は反駁するも二人が受け入れることはなく、やがて結論が下される。


「さ、佐波黒! ……愛梨! 愛梨にする!」

「だから私達のは消して!」

「千世! 弘子! 勝手に決めんなって――!」

「ていうか、結局、愛梨が始めたことだし……」

「悪いのは愛梨だよ……」


 愛島と棚沢は自身の行いを正当化するように、笹塚を悪人とす。裁かれるべきだと、彼女に告げたのだった。


 仲間からの追放に意気消沈と膝から崩れ落ちうなだれる笹塚。

 なんだかその姿には既視感があった。


「決まったみたいだな……」


 彼女のことを気にするのはやめて愛島と棚沢と目を合わせると、二人は目を逸らした。が、すぐに頷いた。


「じゃあ……」


 そう言い置き静まり返った教室を後にしようと足を動かす。


「佐波黒くん……?」


 すると唐突に聞き覚えのある声が耳に入った。

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