だから汐見麻希は反感を買う
なんだか今回の化学の授業は時間の流れが遅かった気がする。疲れもどっと押し寄せてきて、体はだるいし、頭は重いし、若干手に持つ勉強道具も重たく感じる。
無論、低気圧のせいではない。そもそも俺は圧力に屈するほどやわな
なら、今疲れている理由はなんなのか。考えるまでもない、汐見のおかげだ。
アイツが余計にあの三人組を𠮟りつけ、あまつさえ俺の昼寝を邪魔したからだ。
こうなると午後の授業は保健室で寝るという手段を視野に入れておいた方がいいかもしれない。
それはそれとして、四限終わりの現在は昼休み。昼飯食ってスマホゲームか読書に興じる時間だ。
ほとんど第二化学室から人がいなくなった頃、俺も教室に戻ろうかと廊下へ出る。そしたらなにやら後ろから話し声が聞こえてきた。
「汐見って奴マジでウザくね?」
「あれくらいで謝らせるとかヤバすぎだろ……」
「アイツ、実は一年のときも俺と同じクラスでさ……いつも細かいことで注意して、先生に自分が優等生だってところ見せつけてんだよ」
「うわマジでウザいじゃん……」
「自分は偉いとか思ってんのかな」
さっき授業中に怒られていた三人組の密かなトークだった。いや……お前らも悪いっちゃ悪いんだぞ。俺の昼寝タイムを奪って、なおかつ汐見に諫められる切っ掛けを作りやがって……。俺に謝罪しろ。
まぁ……だが俺も正直驚いた。
汐見は真面目で正義感溢れる性格を持っていて、ヒーローものだったらレッドポジション間違いなしだ。だから悪人を放っておくことができずに注意、もといお節介をやくのだろう。けれども、クラスと先生を巻き込んでのお節介をするまでとは思いもしなかった。
ただ単純に『ちょっと男子~』とだけ口に出せばいいものを、深く追及するのだから面倒極まりない。
一言で言えば正義の暴走だろうか。
彼女は正しいのだろうが、やり方に問題がある。そこを改善すればいちいち俺に構うこともなくなるかもしれない。黙考したところで改善に導く案が出てこないのだが。
考え考えしながら教室に戻った。室内では既に机をくっつけて弁当を食す者がいた。
そいつらを横目に俺は自席に座ると、今朝の登校途中、コンビニで買っておいた鮭入りおにぎりを机の上に並べて、スマホゲームの起動を待つ。
高校入学から始めたこのゲーム。倹約家の俺は完全無課金で今までやってきたのだが、やはり普段の行いが良いからなのか、ガチャ運も良いため快適にプレイができている。
欲を出して課金したら負けだ。沼にはまってしまう。
一つ、おにぎりを手に取り食べると、前方が騒がしくなってくる。なんだようるせーなーと思いつつ目を向ければ、女子三人組がおしゃべりしていただけだった。
「ねーねー今日も遊びに行かない?」
「いいね! あ、あたしついでに服も見に行きたい」
「私も行きたいって思ってた! 親睦深めるためにも行こ! 二人、今日何時まで遊べる?」
「え、今日なんもないから何時でも」
「あたしも何時でもいい!」
「じゃあ閉店までいちゃう?」
女三人寄れば姦しいとは至言だな。
つーか誰が誰だか見分けがつかない。名前を知らないだけかもしれないが、同じ服着て同じ髪色で差の無い体型。アイツらクローンなんじゃないの? と思うくらい個性がない。まだ髪型だけは個性が残っているから学生や先生はそこで識別してるのかな。
冗談を一人で楽しみつつ、イヤホンを耳栓代わりに使おうかと鞄をガサゴソしている間に四人目の女がやってきた。
もうこれ以上騒音を立てないでくれと口をへの字にしかけたのだが、近づく人物を見てきな臭さを感じ取り頭を抱える。
「ちょっとあなたたち」
鋭い声音は自分に注意を向けさせるように、居丈高な振る舞いは相手の行動を抑圧するように、またもや汐見が首を突っ込んでいた。いや確かにうるさかったけどさ、騒音被害で起訴しようか迷ったけどさ、今は授業中じゃないでしょ汐見さん。
もうやめろ、今すぐ退場しろと願うがもちろん叶うはずがない。汐見は三人に質問、否、詰問し始める。
「この辺りだと、近くのショッピングセンターへ行くのよね?」
「そうだけど……?」
あの三人の内の一人、ポニーテールが、不機嫌そうな表情で答えた。
「あそこの閉店時間は二十三時。いくらなんでも遅すぎるのではないかしら」
怒るところそこなのか……。まぁ子供は二十三時から翌日の四時くらいまでの外出を控えるよう、大体の地域が言ってるらしいけど……。
「…………」
説教タイムの開始により、クラス一同会話を徐々にやめていき、教室内が静寂に包まれた。だから彼女らの会話がよく聞き取れる。
「いや汐見さん……冗談だから……」
今度はショートカットが気まずそうに苦笑いで前に出る。
「そーそー……流石にそこまで長くはいないよー……。両親に怒られちゃうしねー」
次にショートカットが宥めるように穏やかに言う。おいなんで髪型同じなんだよ、マジで識別できない……。
そんな彼女らの言葉に対して汐見は攻めることをせず、まぶたを閉じてから、ゆっくりと口を開く。
「そう、それならいいのだけど。くれぐれも高校生が夜遅くまで外に出ないこと」
ありがたいお言葉をくださった汐見は、長い黒髪をなびかせながら踵を返して自席へ戻っていく。
「――あのさぁ……汐見さん。アンタ何様のつもりなの?」
なんとか説教をやり過ごした。と誰もが思い視線を外していく中、
それはポニーテールの彼女が放ったものだった。
瞬間、緊張が走る。
ただならない雰囲気を背中で感じた汐見は、おそるおそる振り返った。すると、ポニーテールの鋭い目付きに射竦められる。
好機と捉えたか、周りを気にする素振りを見せずに、彼女は低い声で自身の内に溜めていたであろう思いを更に吐露する。
「いつもいつも人のこと注意しまくって……良い子ちゃん振って先生にアピールしたいの? はっきり言って、迷惑なんだけど」
「……そ、そんなこと思ってないわ!」
必死に弁明する汐見の姿から幾分か見える恐怖。自分は何度も怒ってきたが、怒られるのは慣れていないのだろうか。
そして高圧的な態度をとっている彼女は、汐見とは一年生のときも同じクラスだったのだろう。化学室での男子三人組の中にも一人いたが、そいつもかなりのヘイトを汐見に抱いていた。
一年もの間、積もりに積もった鬱憤が爆発してしまった、という感じか。
「私は優等生ぶるような……そんな卑怯なことはしないわ!」
ポニーテールからの高圧に負けじと汐見は思いを打ち明け反駁する。
「……ただ、同じクラスメイトとして……仲間として! 皆を正そうと――」
「仲間……?」
冷ややかな声で遮られた。それから、より目つきを鋭くした彼女は、今までで一番の憎悪を吐き出す。
「アタシ、一度もアンタを仲間だって思ったことないんだけど」
「え……」
汐見の口から悲感が漏れ出た。
「そんな……」
そのままうなだれてスカートの裾を握りしめ、表情は窺えないが肩を震わせている。
けれども、彼女に寄り添う人は、誰もいなかった。
それどころか、クラスメイトたちはこの険悪な空気に耐えられなくなり、昼食場所を変えようと次々教室を去っていく。
散々だな。だが、自業自得だ。
今回の出来事で、汐見は自身を客観視できただろう。
持ち前の正義感で良い行いをしたつもりになっていた自分を見つめ直し、これからは改善へと進んでいくはずだ。根は真面目だろうから心配はない。
そして俺は彼女に注意されることなく平穏な生活へ戻ることができる。ありがとう名前がわからないポニーテールよ。汐見に気付きを与えてくれて。
俺はログインボーナスの受け取り画面のままだったスマホの液晶をタップし、食事に戻ろうとおにぎりを口へ運ぶのだった。
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