だから汐見麻希は見過ごせない 2

 化学の授業では席が指定されておらず、自由な場所で受けることができる。

 そのため俺は窓側の一番後ろに毎回座って寝ている。昼頃になると太陽が差し込むこの第二化学室。俺にとっては最高の昼寝シチュエーションだ。だが、今日にいたってはそうでもなかった。


 本日は一日中灰色の雲が空を支配して光が差してこないことも一つの理由なのだが、他にも訳があった。


 一つ前の席から隣の席まで、俺を包囲するかのように位置する男子三人組。二年生になってから数週間経過し緊張が解けてきたのか、授業中だというのに割合大きな声で無駄話をしている。


 全く、お前らのせいで先生の声が聞き取りづらいじゃないか。これでは子守歌が耳に入らず安眠へと誘われない。


 化学の先生は気弱そうなおじさん先生。背が小さければ態度も小さい。なので、高身長でイケイケ運動部っぽい見た目の高校生は見逃して授業を進めるしかない。


 その恐怖心は痛いほど分かる。一回も会話をしたことがないのに、後ろから肩掴まれて話しかけられたとき、俺の心臓が止まりかけた経験がある。いや観測できていないだけで止まっていたかもしれない。


 だが、幸か不幸か、うちのクラスには面倒くさいほど余計なことに噛みつく奴がいる。


「――ちょっとあなたたち!」


 ほらきた。

 ガタガタッと椅子を鳴らして立ち上がった彼女、汐見はこちらに近づいてくる。


 俺は席が近いだけで全く彼らに加担していない。なので腕の中に深く顔をうずめて寝たふりをする。俺は空気……俺は空気……と頭で唱えながら。


「今は授業中よ。静かにして!」


 汐見は端的に、かつ強力な言葉を言い放った。すると男子組は気まずそうに声を絞り出す。


「あ……すまん……」

「おう……」

「悪りぃ……」

 

 肉体では男の方が強いが、言葉では女の方が強い。俺の父さんだって、いつも母さんには口論で負けている。


 出会ってからウザいだらけだった汐見だが、今回の一蹴に少しばかりの感謝を心の中で送っておいた。


 よし……これでようやく寝ることができる。俺が昼寝スタイルを見直して夢へと赴くそのときだった。


「私だけに謝るのではなく。クラスの皆と先生にも謝って」


 この女は何を言っているんだ?

 思わず伏せていた顔を上げてしまった。


「あなたたちは、先生の授業を受けにきたクラスメイトの時間を無駄にしたのよ。三十五名掛ける十分、合わせて三百五十分の時間をね」


 なんだその理論……。

 男子グループも戸惑いが表れている。おまけに他の場所からもざわめきが発生した。クラス単位で汐見理論は理解できないらしい。

 そりゃそうだ、こんなトンデモ理論誰が理解できるか。


「謝って」


 瞬間、低い声が聞こえた。バレないようにそーっと覗いてみると、汐見は物凄い剣幕で見下ろしていた。


「謝って」


 追加攻撃をすると、戸惑っていた三人が椅子を引く音がした。そして一瞬の沈黙を経て。


「「「……ごめんなさい」」」


 と、腑に落ちていないながらも謝罪する。


「今後は休み時間でお話をしなさい」


 汐見はそう彼らを諫めるように言い残す。


 一件落着……か? とりあえず、教室は静かになったので、俺の安眠は守られたと解釈しよう。


 再び昼寝しようとまぶたを閉じると、誰かの足音が徐々に大きくなっていくことに気が付いた。

 その足音は俺のそばで完全に鳴りやむ。


「佐波黒くん、起きなさい」

「…………」


 気付かないふりで寝続けようかと迷ったが、コイツは絶対に起きるまで隣にいると確信した。なので渋々体を机から離す。


「授業中は寝ないこと」

「……うす」


 俺が頷いたところで汐見はようやく席へと戻った。

 ちくしょう……うまく気配を消せていたと思ってたんだが。


「先生、すみませんでした。授業の続きをどうぞ」


 そして先生に促した汐見は何事も無かったかのように落ち着いて椅子に座る。


 しんと静まり返った教室。先生の声がよく聞こえるようになったが、今日は寝られそうになかった。

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