17 交錯する1億円
「もうすぐ9時だ」
公園の時計台を見上げて、ヤゴローは筒を手に持った。
くじら銀行へ向かっていく。
お金はやはり持ってないので、青い肌は砂まみれ。キャップをまぶかにかぶりながら、ビルの日陰を歩いている。なるべく人目につかないように。
(そろそろか……)
銀行の入口には、人が多く並んでいる。営業開始2分前で、開くのを待っているようだ。
ヤゴローはすばやく物かげにかくれて、人々へと目を配る。
ツキベの姿は見かけない。
(まだまだだ。やつはこの近くにいる!)
筒を強くにぎりこんで、あらゆる場所を見まわした。
銀行のシャッターが開いていく。人々が中へと押し寄せた。
ヤゴローの焦りは強くなる。ツキベを退治できなければ、値上げはされたままなのだ。妹を元気づけるためにも、花火はぜったい必要だ。
あれだけボールを追いかけまわして、楽しそうにしていたから。
(唯奈……っ)
胸の手紙へ手を当てる。好きなことをやめないでほしいと、ヤゴローは願い続けている。
打ち上げ花火が上がったあの日に、唯奈の笑顔が咲いたのだ。なにもできないと思った自分が、役に立てた瞬間だ。
――笑顔にしたい。あのときを思い出してほしくて、毎年花火をやっている。おととしも、去年もだ。もし今年がなくなったら、思い出までが消えそうだ。
(あいつを倒して、帰るんだ! ツキベがはぐれてしまったせいで、みんな迷惑してるんだ!)
ヤゴローは筒をにぎりながら、自動ドアへと目を戻す。
出入りしている人々をチェックしている、その途中。
背後から、声がした。
「誰かと思えば、運び屋しているにいちゃんか……。たのんだ覚えはないんだが」
振り向こうとした瞬間に、両腕を羽交い絞めされる。
接触した体温の低さで、すぐにゾンビだとわかる。
ツキベだ。
耳もとで低くささやいた。
「ジャマをしないでもらえるか。金さえあれば、なんでもできる。……やりなおしも」
「ゾンビの掟をやぶったおまえに、そんな資格なんてない!」
ヤゴローは両腕を外して、羽交い絞めからすり抜けた。前蹴りをして突き放し、取れた腕を回収する。
「……っ、ないっ!」
手に持っていた筒がない。あれは水鉄砲なのだ――浮世の湯が入っている。
「もらったァ!」
ツキベに筒を奪われた。発射口を向けられて、ピストンの棒を引かれたとき――。
「おいっ、待て!」
ヤゴローの背後でボサボサ頭が銀行から出ていった。キャリーケースを持ちながら。
ツキベは筒の水鉄砲を、その男へと投げつける。空振りだ。緑の液体が飛び散った。
周囲にいた人々から、悲鳴のような声が湧く。
男はそのまま逃げていき、ツキベがあとを
追いかける。
ヤゴローも我に返って、2人が向かったほうへ行く。
通行人を避けながら、雑居ビルを曲がっていく。裏路地だ。人通りがとたんになくなり、にごった空気がただよった。
前方に黒い車があって、男が乗りこんでいくところ。
「逃がすかァッ!」
ツキベが自分の頭を持ち上げ、力いっぱいぶん投げる。右手さえも取れるほど。
ゾンビの魔弾が、後部座席の男を目がけて襲っていく。大口を開けて、牙をむきだし、かぶりつこうと、飛びついた。
だが、生気は奪えなかった。
「ガァァ…………ッ!」
イキビトの男は銃を持つ。おもちゃの銃。水鉄砲。
「キ……キサマ……ハン…………」
緑のお湯を顔面にかぶった、ツキベの顔は溶けていく。
残されたからだも灰になり、同じように消滅した。
ヤゴローはそれを見つめていた。ツキベがいなくなる瞬間――。
予想外の出来事に、足踏みをして立ちどまる。
「っ!」
思考をめぐらす余裕もなく、発射口を向けられる。
男は頭をボリボリかいて、前髪の奥を光らせた。ドアの近くに立っている。
「ゾンビは退治しないとね。ゾンビハンターの仕事やし」
「ヤゴローっ!」
緑のお湯が飛ばされる瞬間、少女が水鉄砲を蹴る。
ちゃんちゃんこが、ひるがえる。
「ミチ!」
ヤゴローは大きく目を開けた。まさか、といった表情で。
ミチは笑顔を向けて言う。
「間にあったねっ」
「くそー、先を越されたかー」
リョウもいる。かけっこに負けてくやしそう。
ハンターの男に向き直る。
「あいつ、どっかで…………」
男は水鉄砲を拾わず、車の後部座席へ行く。
「――?」
ゾンビにとってこれほどに、さいわいなことはない。
ゾンビハンターがゾンビを狩らず、スルーをしてくれるのだ。
だがリョウは、駆けだした。あろうことか、ハンターへ。
「てンめえええええっ!」
こぶしを強く、にぎりこむ。憎しみの、おたけびだ。
まるで糸が切れたかのように、今までの思いがこみ上げる。
「リョウ!」
ミチたちの声は聞こえない。
玄関で会ったあの男しか、リョウの頭の中にはない――。
☆
存美村のネジ工場。
リョウの母はネジを拾って、仕事に打ちこむ夫に言う。
「リョウ、遅いですね。いつもはここにいるはずなのに……」
夜はすっかり明けてしまい、強い光が窓をさす。
リョウは帰ってきていない。
これほどに長い間、留守をするのははじめてだ。
ゾンビになったあの日から、リョウは人が変わったように、まじめに家業を手伝った。
「いいんじゃねえか。遊んでも」
ぶっきらぼうに、父は言う。
「あいつはまだガキなんだから、背伸びするこたねえんだよ」
母は両目を伏せている。
「……そうですよね。私たちがふがいないせいで、あの子は変わってしまったから」
「おまえはなにも、わるくねえ。だまされたのは俺なんだ。すまねえな」
「そんなこと………………」
父は工具を手に持って、棒をまわして削っている。
火花が静かに、飛び散った。
しばらくの沈黙を開けて、母は重たく言い放つ。
「……あの人たち、ここへやってきますよね……」
「気にすんな。俺たちはちゃんとやっている」
「でも……」
母はおびえるようにして、両手でネジを包みこむ。
明日はもうお盆の日。取り立て屋は村まで来る。
もっとよこせ、と迫るように。
☆
「てめえだけは、許さねえぇぇぇ――――っ!」
父をだましたあの男が、まさに目の前にいる。
よく見れば、同じ顔。寝起きのような髪型と、あごの形、くちびるの厚み、表情を見せない伸びた前髪――どれも記憶にあるものだ。
覚えていた。今度こそは、見逃さない。
「うおおおおっ!」
閉まるドアを無理やりこじ開け、男の腕を引っぱった。勢いで外へと投げられる。
「リョウ! どうしたのっ!」
「こいつが、この男が! おれたち家族を!」
振り返って、殴りかかろうとしているリョウ。
車の助手席が開いたことに、彼は気づいていなかった。
水鉄砲を構えている!
「リョウを……守るっ!」
ミチは出てきた人物に、ドロップキックを食らわせた。
背広の男は吹っ飛んだ。
「手伝うよ」
ヤゴローは、運転席へとまわりこんで、大柄な女をしめ上げる。水鉄砲が地面に落ちて、崩れるように気絶する。
「ミチ! ヤゴロー!」
危機一髪。仲間たちが助けてくれた。
「……そうだよな。みんなで村へ帰るんだ」
振り降ろしたこぶしをとめて、出かかった牙を引っこめた。
リョウはボサボサ頭の男の、胸ぐらを強く引っつかむ。
「オヤジたちに詫びるんだ。それであんたを許してやる」
「……甘いねえ、くっくっくっ」
男は余裕の笑みを浮かべて、通りの奥へと目をやった。
水鉄砲を携えた女性が、こちらへ向かって走ってくる。
初菊だ。――コトリをスカウトしようとしていた、浮世の湯の常連だ。
「げっ、あの人!」
これだけ騒ぎを起こしていたら、他のハンターも気づくだろう。
ミチはほおを引きつらせながら、初菊へと弁明する。
「あのねっ、あたしたち、これにはふかーい事情があって……」
「初菊さん! 助けてぇ〜っ!」
「!」
リョウはつかんだ胸ぐらを放し、男にしりもちさせていく。
誤解されたかもしれない。この状況はまずかった。
「早く、倒してくださいよっ。ボクが生気を吸われる前に!」
「そんなこと、リョウはしない! あたしたちは、はぐれてないっ!」
ミチはリョウをかばいだす。大きく両手を広げている。
初菊の構えは変わらない。発射口を向けたまま。
「どうかねえ。アタシは忠告したけれど?」
「ぼくたちは、すぐに帰るつもりだよ。そこの詐欺師を捕まえたら」
「詐欺師? 誰が?」
初菊は知らないようだった。リョウの父からお金を奪って、借金をさせたこの男。
同じゾンビハンターでも、つながりはなさそうだ。
ヤゴローは静かに指さした。ボサボサ頭の男へと。
初菊は目を見開いた。
「
「とんでもないっ! ゾンビを信用するんすか?」
男の名前は、山葛というらしい。ハンターのコードネームだろう。
リョウは初菊に説明する。
「この男が父をだまして、
「さらにそいつはツキベから、当たりくじの1億円を奪い取ろうとしてるんだ」
ヤゴローが余罪をつけ加える。初菊の表情がけわしくなる。
「当たりくじ? 1億円?」
「ツキベはゾンビになる前に、くじを拾っていたんだよ。当選を知ったから、ツキベは村を出ていった。山葛は、券を持ったツキベを見かけて、だまし取ろうと仕掛けたのさ」
「1億円なら、車の中に入ってるぜ」
「なにっ!」
リョウはあごをしゃくり上げて、車のほうを指し示す。
初菊はにじり寄って、開かれたドアの中を見る。
後部座席にキャリーケース。この中に、1億円。
「本当か、山葛っ!」
「ボクがくじを当てたやした。受け取り人は、このボクです」
山葛はとうぜんそうに、大金を横取りしようとする。
これが詐欺師という顔だ。
「やっぱりてめえは人間のクズだ」
リョウは低くうなっている。こんなやつを野放しにすれば、被害者が増える一方だ。
――新聞記事で見たように。
なんとしても今ここで、山葛を仕留めたい。
「ミチ。わるいけど、祭りはパスだ」
「リョウ……?」
口もとから牙を出して、山葛へと振り向いた。
襲いかかる――!
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