10 コトリの限界

 お盆祭りは、あさってだ。

 コトリは朝、起き上がれずに、ずっと布団で眠っている。

「どうしたの、コトリちゃん」

 ミチは顔をのぞきみる。ほっぺが赤く、ほてっている。

 いつも見ているコトリじゃない――⁉

「まさか、『病気』⁉」

 ゾンビの村とは無縁のもの。しかし、コトリはイキビトだ。はじめて目にする容態に、ミチはパニックになりかける。

「どうしようっ、どうしよう」

 大切な友だちが、こんなに近くで寝こんでいる。きっと苦しいものだろう。

「そうだ、食べもの!」

 保管していたトウモロコシを持ってくる。イキビトなら、食べると元気になれるはず。

「コトリちゃん、トウモロコシ! 好きなんでしょ、食べてよ!」

「………………」

 コトリは手を伸ばしたものの、口にしようとしなかった。

「……水を……」

「わかった!」

 ミチは水道へダッシュした。桶いっぱいに水を入れて、杓子で飲ませようとする。

「ありが……とう……」

 こくこく飲む。けれどまだ、苦しそう。

「ミチさん……」

 かすれた声。涙をうっすら浮かべている。

「……ポイントを、ためないと……。わたし……、行かなきゃいけないのに……」

「だめだよっ、休まなきゃ!」

 ミチはとめようとするけれど、無理やり起きあがろうとする。ずっとはたらいてばかりだから、つややかな肌はぼろぼろになり、目の下にくまができている。

 これが、イキビトの限界だ。

 コトリは右手を見つめている。幼いころのヤケドの跡。

「わたしがもし、ゾンビになれば、もっとポイントをためられる……。お役に立てなきゃ、意味がない……。花火を……ヤゴローさん…………」

「そんなのだめぇっ!」

 立ちふさぐ。今のコトリをぜったいに、黄泉の湯へ向かわせてはならない。

 ゾンビになれば、戻れない。

 コトリに未練は残っていると、ミチはそう感じている。

「お父さんが、好きなんでしょ⁉」

 もう一度、聞いてみる。あのときコトリは答えなかったが、ためらった表情を見せていた。

 手の甲の、ヤケドの跡。

 きっとなにかあるはずだ。

「どいて……ください……」

 コトリの息があらくなる。質問は、また無視だ。

「わたしをゾンビにしてください……っ。わたしだって、できるんです。みんなを笑顔にしたくって……」

「ぼくはそこまで望んでない!」

 ピシャッと引き戸が開かれる。――ヤゴローだ。聞いていた。

 コトリの手首を強くつかんで、ミチのウォッチを取りあげる。今までコトリがはたらいたぶんが、ポイントとなって入っている。

 760ポイントだ。

 ヤゴローはミチへと投げ返す。

「ぼくがワガママ言ったせいで、こうなるのならもういらない。これはぜんぶお金にかえて、薬を用意させるんだ。元気になったらハンターたちに、彼女を自宅へ送らせよう」

 今までになく冷たくて、突き放した言い方だ。

「そんな……わたしは……っ」

 コトリはショックで気をうしない、たたみの上へと倒れ伏す。

 ほおを涙でぬらしている。

 ヤゴローはそばにひざまずいて、毛布をコトリの背にかけた。

 後悔しているようだった。

「ごめん、コトリ。ぼくのせいで……。そんなつもりじゃなかったのに……」

 妹のために焦ったから、周りが見えていなかった。

 コトリが弱っていたことを。

 無理しすぎた。役に立ちたかったから。

「…………いいの?」

 電子ウォッチをいじりながら、ミチはヤゴローに念をおす。

 集めたポイントをふいにして、薬を用意させること。

 あんなにコトリはがんばって、ヤゴローのために尽くしていた……。

「ヤゴローだって、家族のために打ち上げ花火を買いたいんでしょ?」

「いいんだよ。どうせ買えなかったんだ。ぼくだってなにもできやしない。あのころとなにも変わっちゃいない!」

 ゾンビになって、動きまわれるようになっても、結局はおんなじだったのだ。

 コトリは母と重なった。病気だったヤゴローのために、懸命に世話をし続けた。疲れを見せる母の笑顔を、片時も忘れることはない。

 それなのに。

「行ってくるよ。村役場に。ハンターを無線で呼びだそう」

「それだったら、役場にお薬、置いてあるって言ってたよ。ゲンシンが……」

 ミチは思い出したように、両手をパンッと張りあわせる。

 病気のない存美村でも、薬は常備されている。イキビトたちが来るからだ。

 これでウォッチのポイントを、無駄に使うことはない。

 それでもまだ、たりないが。

「コトリのことを、たのんだよ」

 ヤゴローは、走り去る。リュックの背中が小さくなって、視界からやがていなくなる。

 胸の中がざわついた。

「なんだろう……。この感じ」

 引き戸の近くに目がとまる。封筒が落ちている。

 読みやすくてきれいな字だ。

 宛先は『佐冴小鳥様』。――コトリの本名。

「開けちゃって、いいのかな」

 ヤゴローが運び屋として、コトリに届けた手紙だろう。

 迷ったけれど、封を解く。中には1枚のびんせんだ。シンプルで、まったく味気のないデザイン。

 ミチは手紙に目を通す。

『帰ってこい。ばかなことはやめるんだ。おまえはおとなしくしてればいい。大ケガしたら大変だ。おまえが安全に過ごせてきたのは、誰のおかげと思うかね。世の中には、危険がいっぱいあるんだぞ。おまえの身になにかあったら……ああ、夜も眠れない。早く帰って私たちを安心させてはくれまいか。――父』

 ――どうやらこんな父親だ。

 ミチは手紙にげんなりして、くしゃくしゃにまるめてゴミ箱へ。

 逃げたくなるのも納得だ。自分勝手なんだから。

「コトリちゃん、かわいそう」

 桶に入った手ぬぐいをしぼり、コトリのひたいに乗せていく。

 苦しそうにうなっている。


   ☆


「お父様……」

 コトリは夢の中にいる。幼いころの自分がいた。

 父はいつもいそがしそうで、家にいてもパソコンだ。大企業の社長だから、仕事をするのもしかたがない。

 母がコーヒーを入れている。

 コトリは背伸びをして言った。

「お父しゃまに、運びましゅ!」

 受け皿をサッと持ち上げて、デスクに向かおうとしたときだ。

 バランスを崩して転んでしまい、カップの中身が右手へと……。

 すぐに病院で治療を受けたが、きれいな皮膚には戻らない。

 その日から、両親はコトリに何もさせてもらえなくなる。

 人形のように、置物として、扱われ続けることになる。

 学校でも、そうだった。

 掃除の時間。コトリがぞうきんを持とうとしたら、クラスメイトに奪われた。

「休んでて。あたしたちがやっとくから」

 ご令嬢への、気づかいだ。

 あるいは足を引っぱるから、そこで見てろという指図。

 教室は誰もが動いているのに、コトリだけが立ったまま。

 ヤケドの跡を見つめながら、時間が過ぎるのを待っている。ひたすらに。

(わたしは必要とされていない。役に立ちたいだけなのに……)

 そんなときに、存美村のウワサについて、耳にする。

 生活に困った人たちが、ゾンビになって、暮らす村。

 もし自分がゾンビになれば、ヤケドを気にしないですむ。誰にも気をつかわせず、思うように、はたらける。手伝える。

 だから、存美村に来た。

 ゾンビになりたかったけど、

 ――「だめぇぇぇ――――――っ!」

 あの子の声が、呼びとめる。

 ――「好きなんだね、お父さんっ」

 さらに、心を揺さぶった。コトリは頭を押さえている。

 自分の気持ちがわからない。

 なにをすれば、どうすれば。なんのために、誰のために。

(わたしはなにをしたいのだろう。なんで生きているんだろう……)

 そのとき、あの子が手をつなぐ。

 ――「遊ぼうよ」

 笑顔でそう呼びかけた。冷たい手。だけどとても心地よい。

 いっしょに動き回ったら、大変な目にあったけれど、心が軽くなっていた。

 悩みなんて、かすむくらい。

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