5 ぐきゅるるぅぅぅ〜、なんの音?
荷車の上には、お湯の入ったタンクがいっぱい積んである。初菊は毎週、温泉に通って浮世の湯をくむそうだ。
緑のお湯は、ゾンビに対抗できる武器。イキビトには害はないが(肩こり・腰痛・気だるさの改善効果あり)、ゾンビにお湯がかかってしまうと、たちまちに溶けて灰になる。
ゾンビハンターは水鉄砲にお湯を入れて退治する。もちろん彼らのターゲットは、はぐれゾンビ――イキビトの生気を奪っているゾンビだけ。
存美村の住人たちに危害を加えることはない。ビジネスパートナーだから。
コトリの着ていたワンピースは、2分も経たずにカラッとかわく。
「ここのお湯はすごいですね」
「だからみんな服を着たまま、湯船に浸かっているわけさ。着替えをしなくてすむってね」
黄泉の湯も浮世の湯も、混浴になっているらしい。初菊は、セパレートの水着をつけて温泉へと入っていた。もうかわいているはずなので、シャツと短パンを上から着た。
「ひとまずアタシは帰るから。ツキベを早く退治しないと、被害が広がるばかりでね。ホームレスや学生たちがすっかり昏睡しちゃってさ。アンタ、なにか知らないかい?」
イキビトは生気を抜かれると、深い眠りについてしまう。回復できると目覚めるが、人によっては5年以上もかかってしまう場合がある。
コトリはゾンビの怪談話をクラスメイトから聞いていた。襲われると、死んだように眠ってしまうというウワサ。その一方で、平和に暮らすゾンビの村の怪談も。ほかには川辺にゾンビが現れ、溺れさせるというのもある。
ゾンビだけでも、数種類のいろんなウワサが存在する。
コトリは話すのを迷った結果、
「いえ……」
と、知らないふりをした。
初菊は、頭をかく。反応は予想していたようで、追求してこなかった。
「まいったねえ。アンタも間違った選択をしないことをお祈りするよ」
「はい……」
荷車を引いて去っていく。重そうには見えるけれど、ここの道は下り坂。その先にあるトロッコに乗せて、ハンター基地まで運ぶらしい。
コトリは遠くで見送りながら、沈んだ顔で息を吐く。
――「時間をください」
初菊とミチにそう言った。ゾンビになろうとしたけれど、頭が冷えると怖くなる。本当にそれでいいのかと。
「わたしがもし、はぐれたら……」
浮世に未練はないはずなのに、可能性を捨てきれない。家族やクラスメイトからは、必要とされてはいないのに……。
「コトリちゃん。遊ぼうよ」
黄泉の湯の入口から、ちゃんちゃんこを着たミチが来た。
コトリはミチを警戒したが、ミチは変わらず無邪気なまま。
「リョウったら、すぐ仕事に戻るんだもん。オヤジさんに怒られてるのに、なんで工場に行っちゃうかなー」
くちびるをツンととがらせる。リョウが行ってしまったので、遊べる相手はコトリだけ。
ゾンビになるかならないかの、話題はもう出なかった。
コトリは胸をなでおろす。
「リョウさんって、どんなお仕事してるんですか?」
「ネジを作っているんだよ。オヤジさんの家業でね、お手伝いをしているの」
「いいですね。リョウさんはとても立派です。えらいです」
「そうかなぁー」
ミチの意外なつぶやきに、コトリは目を丸くする。立派じゃないの、と言いたげに口を開きかけたとき。
ぐきゅるるぅぅぅ〜
音が鳴る。ミチは小首をかしげるが、コトリは顔を赤くする。
「すみませんっ、わたしです!」
バッグの中をさがそうとするけど、パンやお菓子は見当たらない。山を歩いているときに、シカやタヌキや子グマなどにぜんぶあげてしまったらしい。
コトリはおなかを押さえている。
「どうしたの?」
「いえ、なんでもっ」
あわてて声を張り上げる。ゾンビだらけのこの村に、食べものなんてあるのだろうかと、視線を宙に泳がせる。
坂の下から歩いてきた、白髪の男と目があった。
「きみは……」
「ゲンシン!」
ミチは男に抱きついた。ゲンシンは村の村長で、父親のように慕っている。
「……このお方が、ゲンシンさん? ミチさんがほっぺに……」
「そのお話はもういいのっ! お仕事は終わったの?」
「……いや、まだだ。温泉に入っておかないと」
ミチの頭を軽くなでると、足早に黄泉の湯へ向かう。背中から灰が舞っている。
「……っ」
呼びとどめることもできずに、ミチはその場に立ちつくす。
けれどコロッと表情を変えて、コトリの手を引っぱった。
「行こっか。今日はいっぱい遊ぼうよ」
「ミチさん……」
ぐきゅるるぅぅぅ〜
「ひゃっ、またっ!」
「それっていったいなんの音?」
「あっ、ええと……」
コトリはおずおずと首をすくめて、「食べものを……」と、小さく言う。
それでもミチはハテナマークで、じーっと目を開いたまま。
伝わっては、いないよう。
「食べものくださいっ!」
おなかの底から、大きな声。思いっきり。
ぜえぜえと息をきらしている。
ここまで大声あげたのは、生まれてはじめてかもしれない。
ミチはまぶたをしばたかせる。「ああ〜」と言って、手をたたく。
「わかった。さがしてみよっ。ヤゴローだったら詳しいかも。いろいろ配達しているし」
「ありがとうございます」
「だけどあいつがどこにいるか、あたしもわからないんだよなー。運び屋って村中を走りまわっているからなあー……そうだ!」
なにかを思いついたらしく、ミチは小さく跳ね上がる。
温泉は、山の上。村全体を見渡すためには、まわりの木々がうっとうしい。
ミチは頭を取り外す。ぎょっとしているコトリを横目に、頭を高く投げ上げる。
「そぉーれっ!」
針葉樹の先端を、あっという間に飛び越えた。存美村がよく見える。山のふもとは民家だらけで、ちょうちんのついた広場がある。村役場はこの近く。右側には工場だ。正面には畑が広がり、その先にはクヌギ山。左側には突っきるように長い線路が敷いてある。ゾンビハンターが管理しているトロッコ用の線路だけど、トロッコ自体は見当たらなくて、初菊が乗って帰ったあと。
「いた! ヤゴローだ!」
線路の近くに姿を見た。大きなリュックにサッカーボール。線路が続く洞窟へと、ものうげに視線を送っている。歩きだす。
「ヤゴロー! そっちは」
言い終わる前に落下する。両手を前に広げていると、コトリとぶつかり、すっ転ぶ。
「うぎゃ」
ミチの頭は草むらへ。からだはすぐに体勢を整え、落ちた頭を追いかける。
「よいしょっと」
拾い上げて、くっつける。草がクッションになったおかけで、傷はついてないようだ。
「ごめんなさい。わたしが取ろうとしたせいで」
「そんなことよりヤゴローだよ! 洞窟に入っちゃいけないんだ!」
ミチはコトリの手首をつかんで、下り坂を走っていく。
コトリのからだが宙に浮くほど、ミチの足は速かった。
「きゃああぁぁぁ―――――――っ!」
絶叫が、こだまする。まるでジェットコースターだ。ふもとの民家を突っきって、トロッコ用の線路へと。
リュックを背負ったヤゴローの背中を、全速力で追いかける。
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