4 黄泉の湯と浮世の湯

 ――かっぽーん

 風呂桶の音が鳴り響く。露天風呂の黄泉の湯だ。存美村の住人たちは、飢餓状態になる前に通い、ここで生気をたくわえる。

 歳をとれば、老いるほどに、生気がなくなるのが早い。つまりこの温泉はおじいちゃんとおばあちゃんであふれかえっているわけだ。

 ゾンビのからだも永遠ではなく、寿命はイキビトとほぼ同じ。100歳をすぎれば1分たりとも生気をたくわえられなくなる。

 湯船がぶくぶく泡立って、中からリョウが顔を出す。

「ぷわーっ。生き返るぜー」

「あたしも入ろっ」

 ミチはちゃんちゃんこを脱いで、白い単衣の下着になる。滝に打たれる修行僧を思わせるような格好だ。

 そのままドボン。しぶきがコトリにかかってきたので、サッと後ろに身を引いた。

 黄泉の湯は、赤かった。まるで血のような色。

 ミチはコトリを手招きする。

「このお湯に3分も浸かれば、イキビトもゾンビになれるんだよ」

「……カップラーメンみたいですね」

 ミチのとなりでリョウが吹く。赤いお湯のラーメンなんて、きっとからいに決まっている。

 リョウは試しにお湯をなめるが、味はぜんぜんしなかった。

「コトリちゃんもその気があるなら、ゾンビになってもいいんだよ」

「決めるときは慎重にな。命を捨てる覚悟でなれ。二度と戻れないからな」

 リョウがコトリに釘をさす。そこまで言っておかなければ、戻りたい人が出てくるから。

 ゾンビになってしまったら、村の外へは出られない。掟で禁止されている。ところが浮世が恋しいのか、出ていくゾンビは減っていない。この問題は、村長のゲンシンさえも悩んでいる。

「はぐれゾンビが増えちまったら、ハンターにますますにらまれる。カタログの値段も上がっちまうし、こっちは迷惑なんだよな」

 聞いていた周りのゾンビたちも「そうだそうだ」とうなずいた。

 存美村の住人たちは、カタログから物を選んで、ポイントを使って買っている。ゾンビといえども物がなくては、生活の質が下がるのだ。だからみんなはたらいて、ポイントをかせいでいる。もちろんお金にもかえられて、リョウの父は少しずつだが借金の返済に当てている。……とはいえ相手は闇金融で、そう簡単には返せていない。

 ところがカタログの品物が、昨日から値上げされたのだ。高くて物を買うことができずに、ゾンビたちは困っている。

 ミチが口をはさんできた。

「ヤゴローも苦労してるって。花火がほしいって言ってたけど」

「そうか……」

 リョウは腕を組んでいる。眉間にシワ。

「……ツキベは見つかってないんだよな。捕まるまでは、しばらく続きそうだよなー……」

「ツキベどのは、逃走中のはぐれゾンビのことですぞ」

 坊主の青年が割りこんだ。カナリという名前の男で、ミチの家のおとなりさん。たまにお経が聞こえてくるので、ミチは迷惑がっている。

 だけど世話焼きな性格のおかげか、早口でコトリに説明する。

「村からゾンビが逃げだせば、イキビトたちの命が危うくなるのです。ゆえにゾンビハンターは、ポイント制度を導入して、村を管理しております」

 リョウがさらにつけ加える。

「つまりゾンビが逃走すれば、村全体の責任とされて、値上げが実施されるんだ。ったく、たまったもんじゃねー」

「そうですか……」

 コトリも理解したようだ。この村のゾンビたちは新入りを歓迎していない。もし逃げだせば、村人の暮らしに影響を与えてしまうのだ。

 タイミングがわるいことに、今はゾンビが逃走中。

 村人たちは手首につけた、電子ウォッチにため息だ。ポイントはここにためられる。

「まだ捕まらないものかねえ。新しいミシンが欲しいべさ」

「こっちは木材を切るための、ノコギリの刃が欠けちゃってなあ」

「お嬢ちゃん、悪いこたぁ言わないよ。はぐれゾンビになるくらいなら、今のうちに帰んなさい。その身なりなら生活には困ってないんじゃないのかね?」

 おばあちゃんゾンビが、ワンピースを指さした。布はよごれているけれど、かわいらしいフリルがついて、とてもおしゃれなデザインだ。麦わら帽子もコサージュの花と大きめのリボンで飾っている。

 存美村に来る人たちは、たいてい生活に困った人。コトリの服装はそう見えない。

「……わたしは……」

 右手の赤みをにぎりしめて、小さな肩を震わせる。

 コトリには、ゾンビになりたい理由がある。

 コーヒーカップを運ぶ自分が、まぶたの裏にちらついた。その先には、父親だ。

「わたしは、『置物』だから……。みんなに必要とされてないなら、死んだほうがマシなんです!」

 コトリは深く息を吸う。

 ゾンビに生まれ変わったら、自分もきっと変えられる。――そう信じて、走りだす。

 黄泉の湯を目がけて、ジャンプする。


「だめぇぇぇ――――――っ!」


 ミチがとつぜん立ち上がる。コトリのからだを全身で受けとめ、バランスをくずしそうになる。

「リョウ、手伝って!」

「おうよっ!」

 リョウがミチを支えこむ。すぐに右へとまわりこんで、コトリの手足をつかんでいく。

「あっちに投げるぜ!」

「オーケー!」

 息をあわせてゆらゆらと。2人のゾンビは集中する。

「いち、にの……」

「さんっ!」

 勢いつけて、投げとばす。コトリのからだが宙に浮く。

「ひゃあああっ!」

 竹の柵の奥まで越えて、コトリは下へと真っ逆さま。


 ――ドボンッ


 お湯のしぶきが跳ね上がる。コトリは目を見開いた。

 温泉だ。緑色。

「ぷはぁっ」

 頭を出して、顔を拭く。温度はちょうどよいぐあい。ワンピースは重いけど。

「このお湯は……?」

「浮世の湯。アンタ、どこから入ってきた?」

 湯けむりの中からシルエット。女の人。長い髪をおだんごに巻いて、肩までお湯に浸かっている。他に人はいなさそう。

 コトリは目をよく凝らして、女の人の肌を見る。

 青くない。健康そうな肌色だ。

「あなたもふつうの人ですか?」

「あっはっは。アタシがふつうっぽく見える? 光栄だねえ」

 女の人はカラカラと笑い、コトリのほうへと近づいた。

「アタシは初菊はつぎく。と言っても、コードネームなんだけど」

 わるびれずに、自己紹介。

「ゾンビハンターやってるの。ここのお湯はゾンビによく効くからねえ」

 初菊は、両手をあわせて水鉄砲を作りだす。ゾンビたちのいるほうの柵に、お湯のしぶきをとばしていく。一直線。

「すごいですっ。器用ですね」

「アンタにも教えてあげよっか? ゾンビにならないって話なら」

「…………」

 押し黙って首を振る。ゾンビになろうとしたところ、ミチたちにジャマされ投げられた。ここまで1人で来たのに、だ。

「わたしはゾンビになりたいです。役立たずな人生を、わたしは終わらせたいんです」

「ゾンビになれば、役に立てるというのかい? アタシには、今のままでもじゅうぶんだと思うけど」

「……えっ?」

 初菊は水鉄砲をもう1発、発射する。今度は空へとしぶきを上げて、噴水のように舞い落ちる。

 コトリはこぶしをにぎりこむ。

「ゾンビになれば大ケガもしないし、たくさん動けるんですよ。役に立って立ちまくって、みんなのためになりたいんです」

「だったらアンタはゾンビじゃなくて、ハンターになってみたらいい。イキビトたちを守るための、正義の組織というやつさ。アタシが教えてあげるから」

「だめぇぇぇ――――っ!」

 わめく声。柵の上にはミチの顔。こっそり聞いていたらしい。

「コトリちゃんは友だちだよ! ハンターになったらだめだから!」

「アンタはたしか、ヒマ娘」

「ヒマじゃないもんっ。あたしだって、遊んでいそがしんだから!」

 緑のお湯がとんでくる。ミチはひょいっと首をかたむけ、水鉄砲をかわしていく。

 もし当たれば、灰になる。浮世の湯は天敵だ。

「あぶないじゃないっ、なにすんの!」

「勧誘のジャマだと思ってね。はぐれゾンビにさせたくないなら、スカウトするのがベストでしょ?」

「コトリちゃんははぐれないよ。だからゾンビになってよね」

「え? でもミチさんは……」

 むちゃくちゃだ。とめようとした本人が、今度はゾンビへ誘ってくる。

 いったいどっちにしたいのやら。

「あの……。ミチさんはわたしを投げました。あちらから」

「うん。そだよ」

「なぜですか?」

「なんでだろ」

 ミチはケロッと答えている。悪気はまったくなさそうだ。この少女には矛盾なんて小さな問題なのだろう。

 コトリはこめかみを押さえている。初菊がまたカラカラと笑う。

「あの子はいつもああだから、スルーをおすすめしておくよ」

「ひっどーい! ゾンビハンターなんてきらい。あっかんべー」

「ヒマ娘もはぐれないよう、気をつけておくんだね。もしイキビトを襲ったら、アタシが容赦しないから」

 人差し指をまっすぐ伸ばして「バァン!」と撃つしぐさをする。

 今度はお湯は出てこない。

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