3 リョウの暴走、飢餓状態!

「降りろよ!」

「すみませんっ」

 少女はあわててのけぞった。スニーカーの裏には、新聞紙。

「きゃっ」

 すべって地面に腰を打つ。高級そうな白いフリルがすっかりよごれて台無しだ。

 気まずそうに、リョウは引く。

「おれのせいじゃないからなっ。新聞があるのがわるいんだ!」

「それっ、あたしのじゃないからね。あいつが勝手にヒミツ基地を、すみかにしちゃったんだからっ。今はもういないけど」

「あいつってまさか……」

「とりゃ!」

 言い終わる前に、ミチはリョウへと飛び乗った。またしても押しつぶされて、「ぐえっ」と小さなうめき声。

「バランスぅ〜」

 片手だけで逆立ちする。村では時間がたっぷりあるので、こういう遊びもやっていた。ミチの身体能力は村の中ではいちばんだ。

「わあっ、すごい!」

 イキビトの少女は拍手した。涙目で土をはらっていたが、とたんに持ちなおしたようだ。

 ミチはますます調子に乗る。

「いっしょにやろ! あたしが頭を押さえるから、きみはおしりに乗っといて」

「……おしり……ですか……」

 同じ年ごろのオトメでも、ミチとは性格が大違い。恥じらいのないミチに対して、少女は戸惑い汗をかく。

「いい加減に、しろぉぉーっ!」

 リョウが無理やり、起き上がる。逆立ちしていたミチの片手を、強引につかんで振り回す。

「あ〜れぇぇ〜」

 ミチのからだは大きく浮いて、ツル草の壁にのしかかる。

「……ったくよぉ」

 リョウは手に持っていたものを、ポイッとそこらへ投げ捨てた。少女はそれを見たとたん、「ひゃあ!」と後ろへあとじさる。

「うっ、腕! あの子の手!」

「ゾンビだから平気だよ。じゃんけんぽんっ」

「ええっ?」

 落とされた右手でチョキを出す。ミチは痛くなさそうだし、血はまったく流れていない。

 つられて少女は、じゃんけんパー。ミチの勝ち。

「やったね!」

 魚のようにビチャビチャ跳ねて、右手はからだへ戻っていく。手首はきれいにつながった、もとどおり。ゾンビのからだはもろいけれど、くっつくのも早かった。

「あたしはミチ、こっちはリョウ。ゾンビを見るのは、はじめてかな?」

「……はい。佐冴小鳥ささえことりと申します。この近くにゾンビ村があると聞いていたのですが……」

 首をすくめて、自己紹介。ヤケドの跡をさすっている。

「コトリちゃんかぁ、よろしくねっ。ゾンビになってくれるといいなあ」

「…………っ」

 リョウは喉を押さえながら、肩を大きくゆらしている。

「…………、…………」

 コトリから、目をそらす。ようすがおかしい。

「逃げ……ろ……。なんでこんなタイミングで……」

 かすれた声。青い肌にひびが入り、砂のようにこぼれだす。

「うそぉ! 飢餓状態きがじょうたい⁉」

 ミチはとっさにコトリをかばう。リョウへと固く身構える。

「……どうしたのですか?」

「逃げるよ! 今のリョウは!」

 コトリの手をすぐに引いて、トンネルの出口へ駆けだした。ぶらさがる根っこにぶつかりながら、どうにか太陽の下へ出る。リョウが背後に迫っている。

「ガアァァ!」

 目が赤い。正気をうしなっているようだ。

 リョウは大きく口を開けて、鋭い牙をちらつかせる。

 飢餓状態。からだの生気がなくなりかけると、生気を求めて暴走する。――ゾンビとは、そういうもの。彼らが活動できているのは生気が残っているためだ。もし生気が完全に尽きれば、ゾンビのからだは灰になる。

 つまり、消えるということだ。

 リョウはコトリに狙いをさだめて、獣のように飛びかかる。

 イキビトには生気がたっぷり入っている。ゾンビが人間を襲うような都市伝説の実態だ。

 ミチは高く足を振り上げ、ハイキックで吹きとばす。リョウはケヤキの木の幹に、背中を強く打ちつける。

 ひるんだあいだに、距離をとる。

「遊びじゃなくなってしまったなー。ううん、全力で遊んじゃえ!」

 ふところから、ネコのぬいぐるみを取りだした。

 遊び道具はちゃんちゃんこの、裏ポケットに入っている。

 急に声を裏返して、ぬいぐるみを操った。

『ミチ隊員、大変だ。リョウ隊員が暴走した! このままでは護衛対象の身があぶない!』

「なんだって! どうすればいいのっ、ネコ隊長!」

 ぬいぐるみの名前はどうやら「ネコ隊長」というらしい。そのまんま。

 リョウはゆっくり体勢を直して、こちらに近づこうとする。

 ミチは遊びをやめていない。不安そうにそでをひっぱるコトリがそばにいても、だ。

 ネコ隊長はとまらない。

『リョウ隊員の暴走をしずめる方法は2つある。1つめは、護衛対象を差しだすこと。もちろんこれは論外だ。掟からはぐれれば、やつらが黙っていないだろう』

「ゾンビハンターのことだよね。イキビトたちをゾンビから守るための組織だっけ」

『うむ。イキビトの生気を奪ったとなれば、リョウ隊員は狩られるのだ。ゆえに手段は1つだけ』

「なんなの、それは!」

『2つめの方法は』

 言い終わる前に、リョウがミチへと殴ってきた。腕を大きく振っている。いつもなら横にステップするが、ミチの後ろにコトリがいる!

 かわせない!

「えいやっ」

 ネコ隊長を前に突きだし、ミチはガードを試みる。

 こぶしが隊長にめりこんだ。

『ぶほぉっ』

 やられる演技も忘れない。ぬいぐるみはぺしゃんこだ。


「ネコ隊長ぉぉぉぉ――――っ!」


 ミチはなげき悲しんだ。ゾンビは涙を流せないが、泣くように目もとを押さえている。ぐったりしてる隊長を拾う。

「隊長ぉぉぉぉ――――っ!」

 ところがリョウの攻撃はとまらず、今度は逆から右フック。ミチはあわてて上体をそらし、鼻の頭をかすませる。振り切ったところを足払いして、リョウをその場に転ばせる。

「ミチさん、逃げましょう!」

「ネコ隊長っ、しっかりぃぃぃぃ――――っ!」

 泣く演技はまだやめない。ぬいぐるみを抱えながら、コトリといっしょに走りだす。

 リョウが遠くなったところで、隊長は意識を取り戻す(という演技)。

『ごほっ、ミチ隊員よ。私はきみに伝えなければならんのだ。護衛対象を守りつつ、リョウ隊員を正気に戻す方法を……』

「ネコ隊長! 教えてください!」

 さっきからずっとこのやりとりだが、隊長は教える気があるのか。

 そもそもごっこ遊びだから、ミチは1人で2役だ。方法を知らないわけがない。

「ミチさん……。どうすれば、リョウさんはもとに戻るんですか?」

 コトリは腹にすえかねたのか、ネコを無視して質問する。

 ミチは機嫌を損ねたらしく、ほっぺをぷくっとふくらませる。

「いいとこなのに。空気読めない子なんだね」

「そっ、それならあなただって……っ」

 言い返そうとしたものの、急にコトリは押し黙る。ヤケドの跡をにぎりしめて、首を左右に振っていく。目が暗い。

「……すみません。わたしなんかが口出しして」

「わかればいーよ?」

 ミチはネコ隊長をかかげて、ふたたびしゃべらせようとする。

「………………。えっと……」

 うまく言葉が出てこない。どうしてかはわからないけど、気分が乗ってこないのだ。

「どうしよう。なんてしゃべればいいんだっけ?」

「ミチさん! リョウさんが、すぐそこに!」

「あわわわっ……」

 ぬいぐるみをしまいこんで、山のふもとを走っていく。もうすぐヒマワリ畑に出る。

「待って……ミチさん……」

 コトリは息を切らせながら、よたよたとあとを追いかける。木の根っこにつまずいて転びそうになったものの、どうにか足を踏んばった。前を向く。

「はあっ……、はあっ……」

 苦しそう。ミチは遠くで呼吸を聞いて、不便だなあと感じとる。ゾンビだったら全速力で何時間も走れるほど。たとえ呼吸をしなくても。

「きゃあ!」

 リョウはすぐに追いついた。コトリの肩を強くつかむと、腕に噛みつこうとする。

「ひっ、いやあああっ!」

 生きている気を欲している。ゾンビは自分の体内で、生気を生み出せないからだ。

「リョウ、やめろぉぉぉーっ!」

 ミチは自分の頭をつかんで、思いっきりぶん投げた。弾丸ようなスピードで、リョウの頭に直撃する。

「ぶぼわっ」

 弾くように、ぶっとんだ。リョウの目玉はぐるぐる回って、からだの動きも静止した。

「助かり……ました」

 コトリはかがんで、ミチの頭を拾っていく。とたんにミチはうるさくさけんで、うっかり落としそうになる。

「うわーん、あたしのファーストキスがぁぁー!」

「ええっ⁉」

 リョウの顔にぶつけたときに、ほっぺにくちびるを当てたらしい。

「リョウなんて、やだー! あんなムッツリパンツドラゴン」

「?」

 ひどい言われようである。これでもリョウはイキビトのときには、女子からモテていたほうだ。

 ちなみにパンツドラゴンとは、リョウのブリーフパンツの柄がドラゴンのキャラクターからだ。

「うええーん、うええーん」

「だいじょうぶっ! だって、ほっぺにちゅーですから! あんなのキスに入りません!」

 コトリはどうにかなぐさめようと、ミチの髪をなでつける。もうゾンビの生首だけでは、驚いたりはしていない。

「ほんとに? ほっぺはキスに入らない?」

「ほんとです! だったらわたしはお父様が最初の相手になっちゃいます」

 言ったとたんに、コトリの顔が耳まで真っ赤になっていく。しまったといった表情だ。父親にキスをするなんて、変な家庭だと思われていたらどうしよう、というような。

「あのっ、それは、小さいころのお話でして、今はとてもそんなことは――」

「好きなんだね、お父さんっ」

 屈託なく、質問する。

 コトリは返事をしなかった。ミチは顔を上げていく。

「あたしもねっ。ゲンシンにちゅーしたことあるよっ。ゲンシンは村の村長で、きびしいけどやさしいの!」

 ミチには親はいないけれど、ゲンシンのことを父親のように思いっきり甘えている。

 コトリはほっとしたように、ミチの頭をもとの首へとストンと置いてくっつけた。

「ガッ……ガワッ……」

 うめき声が、足もとから。リョウのからだが溶けかけて、灰になろうとしているのだ!

「大変! 温泉に連れていかなくちゃ!」

「温泉?」

「黄泉の湯だよ! ゾンビは温泉に浸からないと、灰になって消えちゃうの!」

 イキビトから奪う以外に、ゾンビが生気を得る方法。「黄泉の湯」といわれる温泉に毎日入ることだった。

 ミチはリョウのからだと頭を、背中におぶって駆けだした。

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