第15話

 練習を終えた俺たちは着替えを済ませ、2人で校門に集合する。男は着替えるのが早い。俺は1人校門で氷岬を待っていた。


「お待たせ」


 氷岬が駆けてくる。急いできたのか、額に汗を浮かべている。運動後の女子ってなんかいいよね。


「それじゃ、帰るか。今日は帰りにスーパーに寄って帰るんだろ」

「そうね。荷物持ちお願いね」


 氷岬は笑顔でそう告げると俺の手を引いた。

 なんだか自然に手を繋がれてしまった。恋人の振りをするのだから手を繋ぐぐらいどうってことないが、俺たちが恋人同士なんてこととっくに周知されてしまっていると思うが。それでも氷岬はご機嫌だからあえて突っ込まない。


「そうだ。今日の拓海くん、かっこよかったわよ」

「いきなりなんだよ」

「褒めたら喜ぶかと思って」

「そりゃ褒められて悪い気はしないが……なんだか照れくさい気にはなるが」


 氷岬とももうすっかり打ち解けた。最初はとっつきにくい奴だという印象が強かったが、話してみると案外話しやすい。たまに暴走する時があるのが玉に瑕だが、概ね関係は良好だと言えよう。

 思えば、一つ屋根の下に同級生の女子が暮らしているなんて普通に考えればあり得ない。ほんの人助けのつもりだったが、氷岬はいつまで俺の家にいるつもりなのだろう。


「なあ、氷岬」

「なあに、拓海くん」

「お前、いつまで俺の家にいるつもりなんだ」


 言ってから言い方がまずかったと思った。これじゃまるでさっさと追い出したいみたいじゃないか。俺は慌てて言葉を訂正する。


「ああ、今のはそのお前を追い出したいという意味じゃないからな。誤解するなよ。俺みたいな男子の家にいるの嫌なんじゃないかと思ってな」


 氷岬は俺の慌てる様を微笑みで見守り、唇に指を添えた。


「お世話になっておいてそんなことを思うようなら最低ね」

「お前の気持ちの問題だよ。俺と一緒にいて不満はないのか」

「不満なんてあるはずないわ。そうね。不満があるとしたら拓海くんが私のプロポーズに応えてくれないことぐらいかしら」

「だから冗談はよせって」


 こいつの場合実際に婚姻届けを持っていたから洒落にならない。氷岬の真意はわかりかねるが、とりあえず俺の家にいるのが嫌ということはなさそうだ。


「お前が大人になるまではいてくれていいからな」

「そうね。私も今の生活が気に入ってるから、拾ってもらったご主人様に尽くすわ。私をお嫁さんにしてくれたらもっとご奉仕するのだけど」

「それは好きな相手に頼む」


 俺にだって好きな相手がいるのだ。氷岬にだって好きな相手の1人ぐらいいたって不思議じゃない。まさかその相手が俺なんてことはありはしないだろう。だって俺と氷岬は一緒に暮らす前はただのクラスメイトで会話したことすらなかったのだから。

 買い物は帰り道の途中にあるスーパーに立ち寄ることにした。氷岬とこうして一緒にスーパーに来るのは初めてだ。


「悪いな。家の家事全部任せっきりにしちまって」

「かまわないわ。それが最低限、私が返せるものだと思っているし、いくらでもこき使ってくれたらいいわよ」


 俺は親父から生活費として毎月一定のお金を預かっているが、氷岬が一緒に暮らし始めてから、その生活費は氷岬に一任している。金使いの荒い俺がお金を管理していると遊びとかに余分に使ってしまうからだ。その点、責任感の強い氷岬に預けておけばなんの心配もいらない。


「今日は何を食べたい? リクエストがあったら聞くわ」

「シチューの気分かな。できる?」

「お安い御用」


 そう言うと、氷岬は野菜のコーナーに行って材料を物色し始める。鮮度だったり消費期限だったりを確認しているのだろうか。俺はそういうの適当に済ませてしまうからな。

 俺はカゴを持って氷岬の後ろに付いてく。買い物に口は一切挟まない。

 シチューのルーを買い、後は今週の食品をまとめ買い。結構な荷物になりそうだ。俺はカゴで筋トレをしながら、氷岬との買い物を楽しむ。

 レジに行くと、氷岬は空いているレジよりも混んでいるレジを選択して並んだ。


「こっちの空いている方はバイトの子だし、こっちのおばさんは顔見知りだから」とのことだった。確かに混んでいるレジの方の店員が捌く速度は速かった。

 中年の女性店員は氷岬を見つけると、笑顔で話し掛けてくる。


「あら、雪姫ちゃん。彼氏とデート?」

「ええ、未来の旦那様に手料理を振舞おうと思って」


 その氷岬の返答を聞いて、俺は驚く。まさかこんなスーパーの店員の前でまで恋人の振りを続けるとは思わなかったからだ。


「そうなのね。たくさん買い込んで。今日は彼氏さんを家にご招待かしら」

「いいえ、私が彼の家で料理を振舞うんです」

「いいわねえ。私服だったら若夫婦に見えたわよ。彼氏もイケメンじゃない。いい男捕まえたわね」

「そうでしょ。自慢の彼氏です」

「おうよ。美男美女でお似合いさね」


 そんな風に言われるとお世辞だとわかっていても照れるな。

 そんな話をしながらも店員のレジ捌きは見事だった。この接客なら地域密着型のスーパーなら人気があるだろうな。

 実際、さっきからほとんどのお客さんに話し掛けてるし、接客ってすげえ。


「おいしい手料理振舞ってやんな」


 そう締めくくり、レジを後にする。俺は袋詰めを手伝いながら氷岬の表情を見る。頬に朱が差し、薄く微笑んでいる。どうやら氷岬もまんざらでもないようだ。

 周囲を見ると、ところどころ氷岬を見て話す声が聞こえる。


「あの子可愛いな」

「でも男連れじゃん。彼氏羨まし~」


 どうやら氷岬はこんなスーパーに来ても注目を集めてしまうようだ。無理もない。改めて見ても氷岬は可愛い。こんな美少女と一緒に暮らしてるんだな、俺。これで好きな人は別にいますって確かに二股呼ばわりされるか。

 袋詰めを終えた俺は荷物を両手で持ち、スーパーを後にする。あとは家まで帰るだけだ。

 そこから家までは安全に帰ってこられた。荷物持ちとしての役目は果たせたようだ。


「先にお風呂沸かそっか。シチュー作りはその後ね」


 そう言って氷岬が風呂場に向かう。俺たちが学校に行っている間、家には誰もいない。つまり風呂掃除もまだできていない。流石に気を遣って風呂掃除は俺がするよと申し出てはいるのだが、氷岬に「家事は私の仕事だから」と言って断られている。

 そうなれば、俺は先に部屋に戻って学校の宿題にでも取り掛かっておくか。勉強机に向かうとやる気が出ないが、とりあえず風呂が沸くまでの間ノートを開く。

 しばらく宿題をしていると、1階から「お風呂沸いたわよ~」という氷岬の声が響く。俺は宿題を中断し、1階に降りる。

 脱衣所に駆け込むと鍵を閉めた。あの日以来、俺はしっかりと鍵を閉めるようになった。

 風呂に入ると今日の疲れが一気に溢れてくる。湯船に浸かりながら、今日1日を振り返るが、やはり1番は二人三脚の練習だろう。


「すんげえ柔らかかったな」


 真っ先に思い浮かんだのは練習序盤の失敗で起きたアクシデントのことだった。俺が氷岬の胸を揉んでしまい、氷岬を辱めてしまったことだ。悪いとは思っているが正直ラッキーだったとも思っている。それが男というものだ。

 人生初めてのおっぱいの感触は恐らく一生忘れることはないだろう。


「これも青春の1ページだな」


 なんて淡い妄想を頭の中で繰り広げているうちに、すぐに上せそうになった。俺は風呂から上がると、パジャマに着替えて外に出る。

 キッチンではエプロン姿の氷岬が調理を開始していた。なんだか新婚みたいで初々しい。その後ろ姿が汐見であったなら、俺は今すぐ抱きしめていただろう。

 だが、相手は氷岬だ。血迷うな。氷岬と一緒に暮らし始めてから、自分で処理する機会が減ったから溜まっているのかもしれない。

 俺は氷岬のエプロン姿の誘惑に耐えながら、テレビのスイッチを入れた。

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