第34話 彼女たちの本音

 各自軽食を頼み、注文した料理が揃ったところで、奈遊が落ち着いた声で話を切り出した。


天野あまのさん。今日は別に、私のプライドを守るためだけにこの場を設けてもらったわけじゃないんだ」

「ふーん。まだ私はその男があんたの彼氏って認めてないけど。それで? なんの話? 授業なら聞いてあげないわよ」

「授業のことじゃないよ。えっと、なんだろ。進路相談かな?」

「は?」


 奈遊が持ち出した話題に、若菜は怪訝な表情を浮かべる。


 俺も、授業をちゃんと受けるように説得するものかと思っていたので、奈遊の意図が分からず心の中で首を傾げた。


「天野さん。あなたは本当に京東大学に行きたいの?」

「当たり前じゃない。他に選択肢がないんだもの」

「それは、お母さんにそう言われたから?」

「っ……」


 若菜は顔を歪ませ、今日一番の不機嫌さを隠す気もなく表に出した。


「関係ない。天才である私が国内で一番の大学に行く、別におかしいことなんてないじゃない」

「他の大学は考えたことある? 例えば、自分で言うのもなんだけど、うちは国内二位の大学だよ?」

「ふん。一位の大学に入れば、二位以下なんてどれも一緒よ。私は京東大の医学部に入って、あんたたちを見下してやるんだから」


 そんなことをしたら、うちの医学部生が黙ってなさそうだ。あいつはあいつで、負けず嫌いなところがあるし、自分に自信に持っているタイプだ。


 うちの医学部に首席で合格するくらいだから、おそらく京東大にも入れただろう。しかし、理由はどうあれ、あいつはうちを選んだ。国内一位の大学の学生という肩書きを捨てたのだ。俺は、そこにはっきりとした自信を見た。自分はどこでも輝けるという、そんな自信を。


 だけど、目の前の少女はその肩書きにこだわっているように思える。先ほどの反応からして、親の影響なのだろうか。


「それに京西大は、私、二年の時からずっと模試で一位なんだから。そんな私でも、まだ一位を取れていない京東大との違いが、はっきりしてるのよ」

「天才にも敵わない相手がいるんだな」

「……ふん。それでも私が天才なのは変わりないわ。それに、いつか抜いてやればいいだけよ」

「あっ、そういえば。京東大でずっと一位を取っていた、若菜ちゃんがライバル視してた人、一個上だったからもう大学に入学しちゃったのかなぁ? 直前のオープン模試、あの人受験してなかったんだよね。せっかく意気込んでたのに、若菜ちゃん可哀想だよ〜」

「ふん! 勝ち逃げするような奴なんか、もう忘れてやったわ! 本当、最後の勝負に逃げられて最悪な気分だったわ。どうせ、あいつは私なんて気にも留めてなかったんでしょうね。馬鹿にしてるわ」


 なんというか、彼女は競争心が凄いなという印象が強かったのだが、ふとした時に寂しそうだという感想を抱いてしまう。


「そういえば、彼氏役のあんたも京西大生なの?」

「そうだ。それと、役は不要だぞ。未来の京東大医学部生は少し前に言われたことも覚えてないのか。京東大医学部は頭が悪いな」

「は? 馬鹿にしてるだけって分からないの? それと、国内で一番偏差値の高い大学の学部を頭悪い呼ばわりするくらいなら、しっかりとその根拠を言いなさいよ、根拠を」

「本当だからだ」

「馬鹿にして!」


 初めは、この生意気な少女をどう懲らしめてやろうかと思い揶揄ってきたが、今は彼女の内面を引きずり出せないかと考えている。


 それに、俺がこうして揶揄っているのを、悠は止めるわけでもなく、ただ隣でクスクスと笑っている。この俺の行動に意味があるように思えてきた。


 鼻息を荒くして怒りを露わにする若菜は、一旦水を飲んでクールダウンをした。そこで、奈遊はもう一度切り出す。


「天野さん。もう一度聞くね。本当に本心から京東大に行きたいの?」

「しつこいわよ。えぇ、私は京東大に行くわよ」

「甘中さんと離れ離れになることになっても?」

「っ!」


 瞬間、若菜は悪鬼のような形相で立ち上がり、今にも奈遊に飛びかかるような勢いだった。


 俺は咄嗟に奈遊のそばに寄ったが、その甲斐はなく、悠が若菜に抱きついて彼女を抑えてくれた。


「若菜ちゃん落ち着いて〜」

「……ふん」


 若菜は鼻を鳴らし、「いつまで抱きついてるのよ」と悠を自身の体から離して腰を下ろした。


「誰から聞いたわけ? 塾長? それとも他の生徒?」

「それは秘密かな」

「あっそ。……幼馴染だからって、いつまでも一緒でいられるわけじゃないのよ。そんなの、私はとっくに腹括ってるのよ。だから、あんたが今更何を言ってこようが、迷惑なの」


 若菜と悠は幼馴染なのか。正反対な二人が仲が良いのも、それが理由の一つなのだろう。もちろん相性の良さもあると思う。


 そして、離れ離れになるという話。おそらく、悠は京東大に行けないのだろう。理由までは分からないが。学力的な理由か、経済的な理由か、それとも。


「甘中さんは県内の大学に限定されているんだよね?」

「あ、はい。お母さんが、あんたはふわふわしているから、目が届くところに居てくれないと心配だ〜って言うもんで〜。……あと、わたしにはどの道、京東大は無理だと思います」


 理由はすぐに分かった。学力と親の意向だ。


 悠は俯いてしまい、そのほんわかした雰囲気が消えていく。そこで、若菜がテーブルに拳を打ちつけた。


「ねえ、あんたは私にこんな思いを再認識させるために、この場を作ったわけ? 普段私があんたの授業を真面目に受けないことの仕返しのつもり? ——ふざけないでよ。悠も巻き込んで! 仕方がないことなの! 親が望んでるから、私は一番を目指すし、悠は県内の大学を目指す。私たちはもう覚悟を決めたんだから、それを蒸し返すようなことをしないで!」


 泣き叫ぶように言葉を言い放った後、若菜ははぁはぁと息を切らしていた。その隣で、悠は俯いたまま「若菜ちゃん、ごめんね」と呟いた。それを聞いて、若菜は「なんで悠が……」とまで言ったところで言葉を詰まらせ、唇を噛み締める。


 俺は初めて、彼女の本音が聞けたような気がした。


 本音では、若菜は悠とこの先も一緒にいたいのだ。おそらくあの性格からして、あまり友人も多くないだろう。もしかしたら、彼女だけかもしれない。


 昔から一緒にいる、家族以外のかけがえのない人。俺にもいる。一度離れてしまったけど、奇跡的に再会することができた。そして今も一緒にいる。


 彼女の渾身の怒りをぶつけられた奈遊は、それでも落ち着いていて、だけど芯のある声で諭すように言う。


「私にもね、大事な大事な幼馴染がいるんだ。まあ、隣にいるハルのことなんだけどね。大事な人と離れ離れになるのが嫌な気持ち、私にも分かるよ」

「それで、なに? 自慢?」

「そ、そうじゃなくてね。えっと……本当は今日、直接本人に言うつもりはなかったんだけど……甘中さん。京東大目指してみない?」

「え、えっ! わ、わたしがですか? む、無理ですよ〜。それに県外には……」

「県内の名門私立大学は合格圏内なんだよね? 学力は今からでも間に合うよ。現に私、去年のこの時期は今の甘中さんより偏差値低かったけど、短期間で京西大に受かるレベルまで引き上げたみたいだし」

「なんで他人事なのよ」

「あっ……あはは。あの時の私、なんか取り憑かれてたように勉強しててさ、今思い返すと、自分が自分じゃないみたいだったなって」


 少々苦し紛れに誤魔化すと、若菜はそれ以上追及はせず、「ふーん」と返す。


「だから今のあんたは情けないのね。だって合格したのはある意味別人ってことでしょ?」

「あはは、そうなるかなぁ。……甘中さん。親御さんへの説得は私が頑張るから。だから、大事な人と一緒にいることを諦めないで欲しいの」


 奈遊がそう言うと、悠は俯いて黙り込んだ。そして、30秒ほどの沈黙の間の後、


「やっぱり無理だと思います。学力的にも、お母さんの説得も」


 顔を上げずに、暗いトーンで回答を返してくれた。


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