第35話 協力するから

「やっぱり無理だと思います。学力的にも、お母さんの説得も」


 その様子から、悠は今までなにも抵抗無しに、志望先の限定を受け入れているとは思えなかった。彼女は戦ったのだろう。でも、相手の意思は折れなかった。どちらかが折れないといけない場面。そうなった際、彼女の方が折れてしまったのだろう。


「はぁ。悠、もう帰ろ。これ以上付き合ってられないよ。これ以上、私たちのことに他人が踏み込んでくるのも不快」

「あっ……うん。ごめんなさい、高瀬先生。神田さんもごちそうさまでした」


 二人は立ち上がって帰ろうとする。しかし、奈遊はそれを止めようとしない。いや、できないのだろう。唇を噛み締め、何もできなかった自分を悔やんでいるのが分かる。


 若菜の言う通り、これは彼女たちの問題だ。先生が生徒の進路相談を受けること自体はおかしくないが、こと本件についてはプライベートな理由が絡んでいる。それに彼女たちは現実を受け入れてるみたいで、これ以上、掻き乱されたくないだろう。


 でも、奈遊の彼女たちを想う気持ちも、彼女たちが抱く互いへの気持ちも本当なはずだ。だから、俺は、


「二人とも京西大を目指してみないか?」


 気がつけば、そんな提案をしていた。


 若菜は「はぁ?」と眉を顰め、馬鹿な提案をする俺に何か言わないと気が済まないのか、出口に向けていた体をこちらに向き直す。


「何度言わせるのよ。私は京東大てっぺんしか狙わないの」

「国内一位の大学に入ったとして、そこでお前自身が一位になれなくてもか?」

「……は? 舐めないで。いつか一位取ってやるわよ。それに、だからって下の大学に行くことは逃げ——」

「二神南海」

「っ……どうして、あんたがその名前を知ってるのよ」


 二神の名前を出すと、彼女はその顔を歪ませた。一か八かだったが、予想は当たったみたいだ。


 二神は京東大の医学部に合格する学力を持ちながら、俺と同じ大学に通いたいという動機で、京西大の医学部を受験し、主席合格をしている。


 重要なのは、彼女が志望校を変えたタイミングだ。俺が志望校を決めたと伝えたのは、共通テスト明けの日だ。つまり二神は、直前までは京東大のオープン模試を受験していたのだ。そして、そこで一位を取り続けてきた。


 悠は言っていた。若菜のライバルは直前の模試を受験しなかったこと。そして、俺と同期であること。


 ただの推測ではあったが、若菜の反応からして正解だったのだろう。


「二神とは友達でな。うちの医学部を主席合格した化け物ちゃんだ」

「……へぇ。京西大に行ったんだ。なに、最後の最後でひよったのかしら?」

「自分で言うのも恥ずかしいんだが、あいつは俺と同じ大学に通いたくて志望校を変えたんだよ」

「……は? 何それ。私は、男に現を抜かしていたような奴に負け続けていたってわけ? そんな理由で勝ち逃げされたってこと? ……ふざけないでよ」


 そして、もう一つ俺が推測したこと。それは、彼女の負けず嫌いな性格だ。親の影響が多少あるかもしれないが、彼女自身、誰にも負けたくないという気概を持っている。だから、二神ライバルの名を出せば釣れると思った。


「そういった志望校選びもあるってことだ。それと、本題だが……リベンジしたくないか?」

「リベンジ?」

「あぁ。うちに来れば、二神と同じ環境で学ぶことができる。学年は違うが、大学内にも競争する機会は少なからずある。成績もそうだし、資格等の外部受験、それこそ独自の試験を用意して直接対決を申し込んでもいい」

「……なるほど。あんたが言う『私自身が一位になれない』っていうのは、現状一位と競う機会を失うぞってことね」

「そういうこと。さすが天才様だ」

「今更おだてないでよ、気持ち悪い」


 彼女は俺に毒を吐いた後、はぁとため息をつき、再び席に座り込んだ。悠もそれに続いて席につく。


「京西大医学部の主席を狙え。そうすれば、一般的な京東大医学部生より箔がつくはずだ」

「どうかしらね。そんなこと、あの人が認めるかどうか」

「俺が説得してやる。なんなら二神も連れてきてやる。あいつなら、両大学の良し悪しを知ってるだろうしな、説得力が増すだろう」

「あんたが勝手に決めていいわけ?」

「二神のことだ。自分の後輩になろうとする者に協力は惜しまないだろ」


 それに、自分の次の首席合格者になろうとしているのだから、面白がってくれそうだ。


「大丈夫だよ、天野さん。ミナ……二神さんは絶対に協力してくれるよ。だって、ハルの頼みだもん」

「……あぁ、なるほどね。プフッ」


 奈遊が少しいじけたようにフォローを入れてくれると、若菜は初めて笑みを見せてくれた。


「……はぁ。分かったわよ。あんたたちが協力してくれっていうなら、京西大も考えてみるわ」

「天野さん……! ありがとう!」

「別にあんたにお礼言われる筋合いなんて……」


 パアッと笑顔を咲かせ、お礼を言う奈遊に、若菜はバツが悪そうに返す。


「あ、あの。わたしも若菜ちゃんと同じ大学に通えるのは嬉しいのですが、やっぱりわたし、自信がなくて……」


 そこで、今まで黙って話を聞いていた悠が口を開いた。


「もちろん、甘中さんのことも全力でサポートするよ。っていうか、そっちが私の本業なんだけどね」

「でもあんた、悠の担当じゃないないじゃない。あんた自身の学力も怪しいし、どうするのよ」

「一応、担当以外の生徒に教えてもいいし、甘中さんが望めば変えてもらえるけど、私の学力は……うぅ……」

「奈遊は俺がサポートするよ。言い出しっぺは俺だし、間接的だけど最後まで面倒見ないとな」


 後半、消え入りそうな声になっていた奈遊のフォローに入ると、悠は少し考えた後、「わたし、頑張りたいです!」と戦う意思を表明してくれた。


 ここで、この場の話し合いは終了となった。今後どうしていくかは、後日、塾長を含めて話し合いを行うらしい。


 別れ際、若菜から連絡先の交換を申し出られた。


「協力するって言ったんだから、連絡は取れるようにしないとね」

「それなら奈遊と交換しろよ」

「先輩、馬鹿なの? 先生と生徒が連絡先教え合えるわけないじゃない」


 そんなわけで、俺の連絡先に生意気ガールの名前が登録された。


 というか、気づいたら若菜は俺のことを「先輩」と呼ぶようになっていた。京西大に気持ちが傾いていることを意味しているのだと思うと、少し嬉しかった。


 一方で、奈遊は未だに「あんた」と呼ばれている。奈遊の呼び方も改めろよと言うと、


「立派な講師になったと、私が認めることができたらね」


 と言われてしまった。しかし、奈遊は「ますますやる気が湧いてきたよ!」と言っていたので、結果オーライなのかな。




 * * * * *




 バスに揺られて、自宅の近くまで帰ってきた。外はもう真っ暗だ。


「ごめんね、ハル。こんな時間まで付き合わせて」

「別に用事はなかったからいいよ。こっちこそ、勝手に横から提案して悪かったな」

「ううん。すごく助かったよ! さすが私のハルだよ」


 部外者が少し出しゃばったかなと思っていたが、奈遊にそう言われて俺はホッとした。


「それにしても……困ったなぁ」

「天野の親御さんの説得に、甘中の学力向上か。1アルバイトがやることじゃないよな」

「う、うん。でも頑張るよ、私。……困ってるのはそこじゃなくてさ。天野さんの、別れ際の……」

「あぁ、あれか。気にすることないだろ。向こうが勝手に言ってるだけだ」

「で、でもさ! うぅ……気になっちゃうよ。あぁぁぁ複雑だぁ!」


 若菜が別れ際に放った言葉、それは、


「私が京西大医学部に主席合格したら、先輩、私と付き合いなさい」


 というものだった。


「あの感じ、最後まで俺たちが恋人関係だって信じてくれなかったみたいだな」

「もうそれに関してはどうでもいいよ……はぁ。彼女たちに協力してあげたいけど、協力したらハルを奪われちゃう……」

「あんな言葉に強制力はねえよ。こっちが応じなければいいだけだ」

「でも、天野さんって凄く綺麗じゃん? だから、ハルも彼女に見惚れちゃう時が来るかなって……」

「見た目だけで惚れることはないぞ。……それに、容姿の好みで言うと、俺は奈遊の方が……あいや、なんでもない。言い過ぎた、忘れてくれ」

「ちょっと! 今いいところじゃなかった!? 最後まで聞かせてよー!」

「勘弁してください」


 奈遊の追及を受けながら、俺は自宅のマンションまで辿り着いた。奈遊は頬を膨らませている。


「今日はありがとね、ハル。でも、今度は絶対にあの言葉の続きを聞き出してやるんだから!」

「お手柔らかにお願いします」


 奈遊と別れ、エントランスに入り、エントランスの扉が閉まって奈遊の姿が完全に見えなくなったところで、俺は自分の手をまじまじと見た。


「なんとか動いてくれたな……」


 若菜に「恋人なら手を繋げ」と要求をされた際、俺は奈遊の手を繋ぐことができた。加えて、言葉を発することもできた。尋常じゃない汗をかいてしまったが、硬直させずに体を動かせたのだ。


 未だよく分からないこの体質。部屋に戻ったら、緒形さんに報告だけしておこうかな。


 エントランスのテンキーに暗証番号を入力し、扉を開けて更に中に入り、エレベーターに乗り込む。自分の部屋のあるフロアのボタンを押したら、後は運ばれるのを待つだけだ。


 間も無くして、エレベーターは目的の階に到着し、目の前の扉が開かれる。


「もう、買う物あるなら帰ってくる前に言って欲しかったなぁ……」


 扉が開かれて現れた金髪の女性が、ぶつぶつと文句を言っている。その容姿に俺は見覚えがある。——羽衣だ。


 話しかけようと思った瞬間、自身の格好を思い出す。今の俺は普段の女装姿ではなく、素の男姿だ。つまり、今の俺と羽衣は他人のはずだ。


 顔を伏せながらエレベーターから降り、声をかけずに羽衣の横を過ぎ去ろうとしたその時、


「遥?」


 彼女に自分の名前を呼ばれた俺は、反応しなければよかったものの、つい足を止めてしまったのだった。



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