第5話 冬季講習

 時は流れて、高校は冬休みに入った。


 それを意味することは、共通テスト試験日まで1ヶ月を切ってしまっている。最近、周囲のピリつき具合が尋常ではない。もちろん、俺も例外ではない。


 そして、今日から近くの駅前にある予備校で冬季講習だ。共通テスト対策を中心に様々な講義が開講されている。俺は共通テスト対策の講義以外にも、二次試験用の講義をいくつか受講する予定だ。


「えへへ、ちょっと楽しみだね!」


 母さんが運転する車から一緒に降りた奈遊は、胸を躍らせた様子を見せる。


 前日、冬季講習に行くことにしたことを話すと、私も行くと言って即申し込んでいた。そのため、一緒に通うことになったのだ。


「それじゃ、二人とも頑張ってきてね。また迎えに来るから」

「うん。ありがとね、母さん」

「稀衣さん、ありがとうございます!」


 母さんと別れて、俺たちは予備校内に入っていく。内装は高校と比べてすごく綺麗で、まるでオフィスみたいだと感嘆の声が漏れそうになる。


 今日は共通テスト対策の講義がメインだ。最後に一コマだけ、難関大向けの数学がある。奈遊は取っていないみたいで、母さんが迎えにきてくれることもあって、俺が終わるまで自習室で待ってくれることになっている。


 指定された教室へ移動し、席に座っていると、やたら貫禄のある先生がやって来た。予習として解いてきた問題の解説が物凄いスピードで行われた後、少し複雑な問題を出された。出る可能性は低いが、本番で出てきた場合に焦らないためにやるらしいが、ほとんどの生徒の手が止まっており、焦りを見せていた。


 講義を終えると、今までしんとしていた教室がざわつき始める。俺も次の講義が開講される教室に移動しながら、奈遊と話をする。もちろん話題は先ほどの講義についてだ。


「ハルぅ……解説が速すぎるよぉ……最後の問題も難しかったよね? よね?」

「ちょっと面食らったな。でも冬季講習の初日としては、良い発破になったんじゃないか? それが狙いかもしれないし」

「うぅ……だったらいいけど。心折れちゃいそうだよー」

「まぁやるしかないだろ」


 そう。今は食らいついていくしかない。俺は絶対にこの冬季講習をものにするんだ。




 * * * * *




 そう決め込んだのはいいものの、結局俺は、いや俺たちは予備校の洗練を受け続け、一日中ボコボコにされたのであった。


 最後の共通テストの対策講座を終えて、奈遊と一旦別れた俺は、本日最後の講義の教室へと移動する。


 教室前に貼られている座席表を確認すると、やはりというか、先ほどまで受けていた講義より受講生は少ないみたいだ。


 教室に入り、指定された壁沿いの長席の通路側に座ってテキストを取り出す。今から受ける講義は、先ほどまで受けていたものとはレベルが違う。ギリギリまで予習しておかないと怖い。


 ちらっと教室を見渡すと、少数ながら男子もいるが、やはり女子が圧倒的に多い。しかし、みんなテキストを齧り付くように見ている。受験日直前かつこんな講義を受けている人たちが集まっているのだ。ここにあんな危険はないことを察して安堵し、手元のテキストに視線を戻す。


「ねえ、ちょっとどいてくれる?」

「ん?」


 声の主を辿って通路側に振り向くと、肩にトートバッグを下げた背の低い制服の女子が立っていた。俺の隣の席、壁側の席を指差して「ん」と言われて、彼女の言わんことを理解する。


「あ、ごめん。……これでいいかな?」


 体をギリギリまでテーブルに寄せ、椅子を前に引いて通れるスペースを作る。しかし、彼女は通ろうとせず、はぁとため息をつく。


「いいから立ってよ。通れる自信ないから」

「え? 通れると思うけど……」

「通ること自体はできるけど、あなたの身体に触れないで通れる自信がないのよ。あなた、女子からの接触が怖いんでしょ?」

「えっ……あ、今どくよ」


 なんで俺が女子から触られることを恐れているのかを見抜けたのか分からないが、今は彼女が席に座れるようにすることが優先だと考え、俺は彼女の言う通りに席を立つ。彼女は「どうも」と短く礼を言って席に座った。


 自分の席に座り直し、横目で彼女の姿を見る。制服はうちのものとは違った。高校情報に疎いため、どこのものかは分からない。薄くて明るい青色の髪を長く伸ばし、前髪パッツンが印象的だ。琥珀色の目は引き込まれそうなほど綺麗だ。


 まじまじと見過ぎていたのか、彼女はこっちに顔を向け、訝しげな目で「何?」と訊ねてきた。


「ごめんごめん。何で俺が女子からの接触を避けているのが分かったか、気になってさ」

「あぁ、そういうことね。ごめん。君が求める解答は持ち合わせてないよ。ただの勘だから」

「勘にしては鋭すぎないか?」

「女の勘は侮れないってこと。ぷふ」


 彼女は俺の追及をのらりくらりとかわし、悪戯めいた笑みを浮かべる。


「でも、君は否定しなかったし、今こうやって問い詰めてくるってことは、図星みたいだね」

「……そうだな。大正解、神田大学合格だ。おめでとう」

「私はそんな大学興味ないけど」

「首席合格だぞ? 誇れよ」

「大学自体が誇れないの」


 彼女は俺が設立した大学をひたすら否定した後に、クスクスと笑う。言動は憎たらしいが、その笑顔は可愛いと思えた。


 最初の印象はクールなやつだと思ったが、話してみると意外とノリがいいことがわかった。


「それで、神田くん。あなた女子に触られるのは嫌うくせに、喋りはするんだね」

「俺自身もよく分かってないけど、心と体は別ってことだな」

「なるほど。体は正直ってことね」

「髪色に反して頭の中はピンクなことで」

「医学部志望の私の頭脳を愚弄していいと思ってるの? いや思わない」

「反語使って知的アピールしてんじゃねえよ」


 またしてもクスクスと笑っている彼女の発言は冗談が多く、なかなか掴みにく相手だ。


 それにしても、医学部志望というのは本当ぽい。賢いんだな。


「へー、医学部志望を名乗るだけなら誰でもできるとか言ってこないんだ」

「この時期に志望先で冗談言うやついないだろ」

「そうかなぁ。ところで神田くんは何志望なんだい?」

「大方おそらくたぶん工学部」

「本気で考えてないじゃないか! 掴みどころがないなあ、神田くんは」


 それはお互い様だと思ったが、口にしたところでなんか言い負かされそうだったので、言葉を飲み込む。


「ところで、名前はなんて言うんだ? 俺は教えたぞ」

「えー、神田くんは自分から言い出したんじゃないか。ここは秘密にしといた方が面白そうだなあ」

「名前がないと0点になって神田大学の合格取り消しになるぞ」

「いつまで続けてるんだい、それ。……はぁ。でも、神田大落ちってのは気に食わないから、仕方なく教えてあげるよ。仕方なくね」

「とことん失礼なやつだな」


 俺が悪態をつけるも、彼女は「ぷふふ」と笑って受け流す。そして、取り出したsルーズリーフにペンを走らせながら、自己紹介を始めた。


「私の名前は二神ふたがみ南海みなみ。これからよろしくね、神田くん」

「二神か。俺たち二人でツインゴッドだな」

「私一人で二神ツインゴッドになれるからややこしいんだけど」

「じゃあトリプルゴッド?」

「さらにややこしくなってるじゃないか! ……そういえば、君の下の名前をまだ聞いてないなぁ」

「どうも遥です」

「……あっさり言われると、つまんない」


 むすっとする彼女……二神を今度は俺が笑ってやる。それを受けて、二神のむすり具合は更にひどくなった。何か言い返してくるかと思ったその時、先生が教室に入ってきて始業のチャイムも鳴り始めた。


「神田くんのせいで予習ができなかったんだけど」

「お互い様だ」

「ぷふふ……そうだね」


 俺はこっちの世界に来て、一番気を遣わずに話せる相手と出会うことができた、そんな気がした。まさか、それが元の世界では出会っていない人になるとは思っていなかったので、変な巡り合わせに少し笑いが込み上げてきた。

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