第4話 迎えが来ました

 今、俺たちは大学受験の真っ只中。


 部活も既に引退しているため、放課後になって部室棟へ向かう生徒はない。しかし、先生に質問しに行く者、自習室や図書館で勉強する者、塾へ行く者。


 俺はそれのどれでもなく、どこにも寄らず家に帰る。もちろん、奈遊も一緒だ。


 昇降口で下駄履きに履き替え、校門へ向かう。


「帰りもお供するよー、ハル」

「悪いな。奈遊も用事があるだろうに」

「いいのいいのー。今は何よりハルを優先だよー」

「俺たちは受験生のはずなんだけど、優先順位それでいいの?」

「いいんだってば! 遠慮しちゃダメだよー。もっともっと頼ってよ!」


 そう言われても、やはりどこか遠慮してしまう。ただ、食堂でのようなことが起きかねないため、結局甘えてしまっているのだが。


 校門を出たところで、車が停まっているのを見つけた。あまり車には詳しくはないが、高そうだなという感想を心の中で漏らす。まあ自分には関係ないなとそれ以上見なかったのだが、クラクションを鳴らされて、もう一度車の方に向き直る。すると、運転席の窓の外から顔が出ているのが見えた。見覚えがあるような……


「ハルちゃーん」

「……母さん?」

「迎えにきたよー。さあ、乗って乗ってー。奈遊ちゃんも送っていくよー」


 本当に母さんらしい。車で俺を迎えに来てくれたみたいだが、俺が知っている母さんは車の免許すら持っていない。こっちではあんな高そうな車を乗り回してるんだなあ、ギャップがすごい。


 少し不安を抱きながら、奈遊と一緒に車の後ろの席に乗り込む。すると、母さんはムーと頬を膨らませる。


「なんでハルちゃん、隣に来てくれないのー」

「えっ……いや、なんとなく?」

「なんとなくでお母さん振られっちゃったの!?」


 どっちかを選んだというより、奈遊と一緒だったからそのまま後ろになっただけだけど。


「すみません、稀衣さん。私まで送ってもらっちゃって」

「いいのよー。奈遊ちゃんにはお世話になってるからねー」

「私がやりたくてやってるので! 気にしないでください!」

「奈遊ちゃんいい子ねー」


 母さんは会話をしながら、慣れている感じで運転している。本当にこっちでは運転しまくってるんだな。


 見慣れない光景に、俺の視線は釘付けになっていた。すると、ルームミラー越しに母さんと目が合い、ニコッと笑顔を向けられた。


「もー、ハルちゃん。そんな熱い視線を送られちゃったら、お母さん照れちゃうよ」

「熱い視線なんて送ってないけど……」

「えー、あれはそういった視線だったって! お母さんのドラテクに惚れちゃった?」

「上手だとは思うよ」


 求めていた回答とは違ったみたいで、母さんの頬が膨れ上がる。


「ハル、運転する女性が好きなの?」

「え、うーん。まぁかっこいい、かな」


 今の母さんはギャップも相まって、どこかかっこよく見える。


「ふむふむ、なるほどね。よーし、私の受験後の予定が決まった!」

「え、どうした急に。何するんだ?」

「ハルには内緒ー。楽しみにしてて!」


 そう言われてしまったら、俺もこれ以上追及できない。「分かった」と返事をして、この話を終わらせる。


「そういえば、母さん。仕事は大丈夫なの?」

「昨日で大きな案件が終わったからねー。上司に事情を話して、ちょっと早めに帰らせて貰ったんだよー。……もう手遅れとか、そんなの嫌だからね」

「……ごめん」


 俺がしたことではないが、母さんの暗い顔を見て思わず謝罪の言葉が口から出ていた。母さんは慌てて「ううん、ハルちゃんが謝ることじゃないよ!」とフォローしてくれる。


 こうしていると、俺は二人に守られているんだなと感じる。この車内の空間を心地よいと思える。でも、何故か俺の体はさっきから小さく震えているのだった。車内は暖房も効いているはずなのに。




 * * * * *




「稀衣さん、送ってくださってありがとうございましたー」

「これぐらい大丈夫よー」

「ハル、また明日ね!」

「あぁ、またな」


 奈遊の家に到着して、奈遊を降ろしたところで車は再出発する。奈遊の家も俺が知っているものではなく、場所も違った。なのに割りかし近所に住んでいるのは縁なのかな。


 奈遊の家を出てから、母さんはどこか上機嫌だ。おそらく、俺が助手席に移動したからだろう。鼻歌を歌いながら運転する様は、どこか母さんらしい。


 赤信号で停車すると、鼻歌をやめた母さんが眉を顰めた顔をこちらに向け、落ち着いた声で聞いてきた。


「ハルちゃん、今日は本当に大丈夫だった? 例のクラスメイトから何もされなかった?」

「大丈夫だよ。彼女らからは謝罪を受けて、その時に体が固まってしまったけど、奈遊が助けてくれたし」

「……そう。奈遊ちゃんが助けてくれたんだね。やっぱり彼女にお願いして良かった、のかな?」


 自身の膝の上に置いている俺の手を、母さんはゆっくりとその両手で包み込む。一瞬ビクッとしたが、体が震えたりはしない。逆に、強張っていた分の力が抜けていくのを感じる。


「お母さん、こんなことしかできなくてごめんね。流石に学校内で見守ることはできないから、下校くらいはサポートしてあげたくて……」

「ううん。母さんにはいつも助かってるよ。正直、あんまり電車には乗りたくなかったから」


 下校時にも痴漢に会う可能性はある。それを考えると少し億劫だったため、助かったのは本当だ。


「もしかして、今朝も電車で何かあったの!?」

「……ううん、何もなかったよ。奈遊も一緒だったし」

「本当? それならいいんだけど……」


 信号が青に変わり、運転に戻るために母さんの手が離れていく。少し名残惜しいと感じるのは、俺の心も少し疲弊しているからかもしれない。


 ハンドルを両手で握り、前を見続けながら「あのね」と母さんは口を開く。


「矛盾、しちゃうんだけどね。あんまり奈遊ちゃんを信用しすぎないようにした方がいいかなって、お母さん思うの」

「え、どういうこと? 奈遊は俺を守ってくれてるし、母さんも奈遊にそれを頼んでくれたんじゃ」

「そう。だから矛盾してるし、戯言だと思って聞いてくれていいの。……だけど、今日奈遊ちゃんと久しぶりに会ったけど、彼女なんだか昔と雰囲気違った気がして。女の勘? ってやつだから、あんまり参考にならないだろうけど」


 いつになく重みのある言葉に、俺はそれ以上反論することはなく、母さんの言葉の意味を考える。


 そもそも、元の世界の奈遊とこちらの奈遊とでは関係性が微妙に違う。高校に入学してからは、会ったら話す程度で、昼を一緒にしたりしないし、頼りにしてよなんて言われたこともない。


 つまりは、俺にとって奈遊は違和感しかない。そのため、母さんの言う違いというものが見えてこない。


 俺が思案に耽っていたせいで沈黙が流れたせいか、母さんが「そういえば」と新たに話題を提供する。


「ハルちゃん、冬季講習行きたい? 今朝、案内が届いていたのを今思い出したんだけど、近くの予備校が受講生募集してるんだって」


 冬季講習か。最近、独学に限界を感じていたので、少し心惹かれる話だった。


「でも、いいの? 予備校の授業って結構お金かかるって聞くけど」

「そんなの気にしないで! お母さんバリバリ働くし、それにハルちゃんには支援給付金があるんだから」


 支援給付金……? もしやと思い、スマフォを取り出して調べてみる。すると簡単に出てきた。どうやら、男の子供を育てる家庭には国から支援金が給付されるらしい。それもなかなかの額だ。


「じゃあ、お言葉に甘えようかな」

「うん、甘えて甘えて! ついでに送り迎えもお母さんに任せてね! ハルちゃんとドライブデートする機会が増えて、お母さん嬉しいっ」

「デートって……」


 俺が苦笑すると、それが気に食わなかったのか、母さんは頬を膨らませてブーブー言ってきた。


 いつかこの人に恩返しできる時が来るといいなと、心の底から思えた。それと同時に、向こうの母さん、それとこっちでは存在が確認できてない父さんはどうしているだろうと思いを馳せるのであった。

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