第四章 門

 私たちは左側の鳥居をくぐって石段を下り続けた先にある道のさらに奥で、堅牢で巨大な赤い煉瓦造りの門の前に到着した。


 門の高さは六メートルから七メートルといったところか。左右には監視塔があり、それぞれ内部が詰所となっている。また、門とその周りが良く見えるように、照明のライトがしっかりとその付近を照らしていた。真ん中には鉄格子の頑丈な入口が三つ備わっている。両側二つの入り口は人が通るための扉で、人一人分の大きさだ。中央の扉はひときわ大きく、大型車二台は軽々通れるだろう広さである。


 学校の入り口は東の端にある東門と西の端にある西門の二つしかない。今私たちの目の前にあるのが東門だ。そして門の周りには門と同じくらいの高さがある約六メートル程の塀が壁のように続いており、それが学校の敷地全体をぐるりと取り囲んでいる。人力だけでは、まず乗り越えることはできないだろう。そんな、鳥以外は何者も通さない高い壁が、端から端まで一切の隙間なく聳え立っている。まるで城壁のようだ。こんな大層な壁で学校を覆いつくして一体なにから守ろうというのか。……いや逆か。




 門には一日中守衛がいるはずだ。侵入は可能だろうか。私たちは木と茂みの陰に隠れていた。

「どうする?」

 私は監視塔の内部を観察しようと、恐る恐る陰から顔を出す。

「そうだね…」とリンカは静かに答えた。「夜は基本、守衛一人でここを監視している。だから私たちの内誰か一人が守衛を外におびき出して注意を引いている間に、残りの三人が敷地内まで入り込むって作戦でいこう」

「さて、どうやって注意を引こうか?」

 リンカは私たちに尋ねる。

「まあここはベタに『忘れ物しちゃったー』でいけるんじゃない?」

「なるほど…ベタだが悪くない。『忘れ物をとりに』そのまま自然に学校内に入れるしね」とリンカは言った。「さっすがツミキー」

「驚異的なスピード、的確な判断能力。悪巧みを考えさせたら右に出る者はいないね」

「だろうね」と私は鼻高々に答えた。


 イツキは変な顔をしている。困惑しているような、悲しんでいるような、憐れんでいるような、とにかくそんな顔だ。ヒーローショーの舞台裏でヒーロー達の中身を、真実を、目撃してしまった子供のような表情だ。いやそんな悲劇的なシーンに出くわしたことなどはないが。


「お前…」とイツキは呟いた。「それでいいのか?」

「なにさ!」と私は叫んだ。もちろん小さな声で。「悪巧みほど崇高なものはない」

「そんなことすら分からない程度の男だったのかあ!」

 私はイツキの顔のすぐ目の前で続けた。

「うおおっ!」「そ、そんなの初耳だ」とイツキは口を押えながら答えた。


「こっちへ来い」と私はイツキの腕を引っ張っていって、守衛に声が届かないだろう所まで道を戻った。この辺でいいだろう。


 さて、私はイツキの真ん前で大きく息を吸う。


「世界から悪巧みが無くなってみろ!そんなつまらない世界はない!」


「マジシャンが、これはここでこういう風にカードを取り換えててー、実はコインはあらかじめポケットに用意しててー、ハンドパワーなんて実はなくてーって、タネをいちいち説明しながら見せてくるマジックが面白いか?」


「展開の分かり切った映画を見ていて、オチの分かっている話を聞いていて面白いか?」


「誰もが本当のことを話して、本当のことを知っていて、他人のためにしか生きられない世界なんてつまんねーだろ!」


「世界を面白くしてんのは『悪巧み』なんだよ!」


「その悪巧みを世界一上手く組み立てられる私は最強、分かる?」 


 証明完了だ!!イツキは呆気に取られて、アワアワしてやがるぜ。フンッ、どうだ。悪巧みの気高さ、高貴さは十二分に伝わったことだろう。うんうん。


「だけど悪いことは悪いことだろ」とイツキは言った。

「うっ…」なんと卑劣な、それを言われたら何も言えなくなってしまうではないか。

「し、しかしなあ、悪巧みにも良い奴と悪い奴がいてだな…」

「私は良い奴だけを育ててて…」

「プッ、あっはっはっはっは」

 カイは吹き出した。

「はいはーーい、そこまでー」とリンカが私たちの間に入って制止した。最後は自分でも良く分からないことを言ってしまったがまあいいだろう。悪巧みの素晴らしさはイツキの心にも深く刻み込まれたはずだ。


「では『悪巧み王』改め『面白王』、“忘れ物計画”の実行、ぜひお願い致します」

 カイが畏まって言う。ほう、中々板についているじゃあないか。

「うむ、苦しゅうない、苦しゅうない。余に任せるがよい」

「ありがたき幸せ」

「よいのじゃ、よいのじゃ」とカイの肩をぽんぽんとたたく。

「やれやれ」とイツキは言った。

「よいのじゃ、よいのじゃ」とイツキの肩もぽんぽんしとく。

「それでは行ってくるのじゃ」

「頼みましたよー」

 リンカは敬礼する。

「よいのじゃ」

 私も敬礼する。




 そろり、そろり…そろり、そろり…私は門に向かって歩く。こんな時間に学校にやって来たのは初めてだ。それに今から私は“忘れ物をした人”になりきらなければならないわけなんだが……。なんか緊張してきた…。私は頭脳担当で実行役は柄じゃないんだよ。私は“シャーロック”じゃなくて“マイクロフト”の方のホームズなのだ。安楽椅子タイプ。しかしやるときはやる女だぜ私はなあ。私は立ち止まって屈伸運動を始めた。

 

 よーーーし、行くぞー。待ってろよーー、すぐ行くからなー、守衛の人ー……。

ツミキちゃんが行くからなーーー、準備しとけよーー、覚悟完了したかーー?おー?……。

………よーーーし……よーーし…。よしよし……。


 もう一回ぐらい屈伸しといた方が良いかもな。

イッチ、二ー、サンシー……。


 あっ、そうだ!一回深呼吸しとこう。そうだそうだ。念のためな、念のため。

「はあああぁぁ……」

 私はまず肺の中の空気を全て吐き出した。

 そして私は精神を統一するために目を閉じ、しっかりと胸を張って大きく息を吸った。

「スウゥゥ」

新鮮な空気が口から入って喉を抜けて、肺まで到達し、徐々に私の内部を満たしていく。あーーー、統一してきた。スゲーッ爽やかな気分だぜ。新しいパンツをはいたばかりの

正月元旦の朝のよーに…



「何やってるの?」



 吸い込んだ空気を、不安やら緊張やらと一緒に勢い良く吐き出そうとしたその瞬間、私の目の前で声が響いた。気配など微塵もしなかったのに…。そのはっきりとした言葉だけが突如として私の眼前に浮かび上がった。

「うっ」

 吐きかけた息が喉に詰まり、私は激しく咳き込む。

「ツミキ、離れろっ!!」「ツミキ!」

 イツキとリンカが叫んだ。

 私は訳もわからず、咳き込みながら顔を少し上げた。


「やあツミキ」


 花だ、花が見えた。赤い花…。

 そうだこれは彼岸花だ。彼岸花が私に向かってくる……。


 いや、おかしい。花がひとりでに動き出すなんてあり得ない。

 私はもう一度目を凝らす。そこには狐の面をつけ、白練の布地に真紅の彼岸花が絢爛と咲き誇る美しい着物を着た黒髪の女が立っていた。動き出す彼岸花は着物の柄だったのだ。私は魅入られたように身動きが取れなかった。彼女の動きや立ち姿は雅楽の舞のように華麗で洗練されていた。


 でもなにか、なにかがおかしい。彼女を見続ければ見続けるほど私の中の違和感は膨れ上がっていった。……そうだ、普通、夜の薄暗がりの中で、あんなにもはっきりと色や形が見えるものなのだろうか。ああまで鮮やかに、彼女を形作るその稜線を捉えることができるのだろうか。彼女のしなやかな腕がまっすぐ私の方へと伸びる。彼女の指が私の髪にーーーーー

 

 届くことはなく、彼女の右手は、いや右腕はそのままくるくると後ろ向きに回転しながら私の顔のすぐ左側を通り過ぎ、ドサッと地面に落ちた。私は後ろを振り向き、転がる右腕にぎょっとして一瞬バランスを崩したが、すぐさま彼女の方に視線を戻す。そこには何重もの術式が施された小刀を彼女目掛けて一気に振り下ろしたカイの姿があった。カイは、この世界に彼女の言葉が突如として現われたその直後、既にこちらに駆け出していたのだ。明確な殺意を持って。彼女の右腕は、肘から先の無いその右腕からは、噴水のように血が噴き出し、カイの顔を、首を胸を腕を真っ赤に染めた。そんなことを気にも留めず、カイは振り下ろした刀の切っ先をそのまま彼女の喉元にヒュンと突き上げる。


「おっと」と彼女は体を後ろに反らしてカイの追撃をひらりと躱す。そしてふわりと跳躍して私のすぐ横までやってきた。彼女はその反動を使って私を抱き寄せ、耳元で囁いた。


「運命歯車乱回転、運命歯車乱回転……!!」

「だよ、ツミキ」 

 なんだ、どういうことだ?『運命』、『歯車』…?この女は一体何を言っているんだ……。


「ここで私がでてくるなんて、思ってもみなかった?」と彼女は私を抱きしめたまま、今度はカイに向かって言った。出血は既に止まっている。


 カイは彼女を追いかけようとするも、ぐっと体に力が入るだけでその場から動くことはなかった。カイの足元に赤い光が絡みついていたのだ。まるで火の玉のような赤い光がカイの足首にがっしりと巻き付いて離そうとしない。彼女が現れてからここまで、ほんの一瞬の出来事だった。


「全く、会って早々切りかかるなんひどい奴だ。」

「そう思わないか?」

 私の肩に手を置き、顔を合わせて彼女は言った。その時突然ぶんっと風を切るような音が耳元で聞こえた。それが刀が振り下ろされた音だと私が気付いた頃には、彼女は後ろに飛び退いている最中であった。

「おおっ、もう動けるのか?」

「カイ!」と私は叫ぶ。

 気付くと目の前には刀を構え、次の攻撃の体勢に入るカイの姿があった。

「ツミキ、大丈夫!?」

 イツキとリンカが私の所に駆け寄る。その手にはオートマチックの銃が握られていた。

イツキは彼女に向けて銃を構えている。


「その刀、相当強い術が掛けられてるみたいだね。…いや呪いか?」と彼女が言うのに被さるようにバンッと一発の発砲音が鳴り響いた。イツキが何の躊躇もなく彼女の額を打ちぬいたのだ。

 

 しかし彼女は「今のままじゃ分が悪そうだし、退散させてもらうよ。」と何事もなかったかのように話を続けた。それどころか彼女の頭には傷ひとつ見えなかった。


 「ちいっ、化物が!」

 イツキがそう言う時には、腰に構えた刀を突き刺そうとするカイが彼女のすぐ目の前までやって来ていた。彼女はカイを迎えるかのように両手を大きく開く。すると次の瞬間、彼女の足元から燃え盛るように炎が吹き出し、瞬く間にその全身を包み込んだ。カイはその炎の中に勢い良く突っ込むことになったが、ただそのまま通り過ぎるだけだった。そうして炎が消えるとそこに彼女の姿は無かった。この世界に突如として現れた彼女は、今度は一瞬にしてこの世界から消え去ったのだ。まるで初めから何もなかったかのように…




「ツミキお前さっき何か言われたか?」

「え?」と私は言った。「えっと…」なぜだか私は即答できなかった。


「カイ、あれが…そうなのか?」

 私が答えるより前に、イツキがさっきまで彼女がいた方を向きながら言った。

「ああ、そうだ。あれが“かの神”だ。」

「なんでこんなところにいるんだ?」

 イツキがカイに迫る。

「なぜ銃が効かない!?どうしてお前の刀はあれを切れた!?どうして…、どうしてあんな姿を…!」


「おれにできるのは、目の前にあるものが“かの神”かそうじゃないかの判別だけだ」

「それ以上のことは何も分からない」  

「あれが、おれたちの“神様”だよ」 

 カイはイツキの言葉に被せるようにして言った。

「っ…」

 イツキは口ごもる。


「……そうだとしても、その刀のことなら説明できるだろ」とイツキはカイの持つ小刀を指差して言った、

「これは…」

「村の人間たちが100年かけて完成させた対魔用の刀だ」とカイが鞘から刀を抜き、刃の側面をイツキに向けながら言った。

「対魔…」

「“あれ”は曲がりなりにも、れっきとした“神”なんだろ」

「魔のものだろうが神だろうが本質は同じだ。どちらも等しく超自然的な現象に過ぎない。人間に利をもたらすのか害をなすのか。そこに人間が名前を付けただけだ」

 カイは彼女が消えた方に刀の切っ先を向けた。

「この村にとってあれは『魔』そのものだろ?」


 私は一瞬カイと目が合う。当たり前だ。そうに決まっている。あれは私たちのこの小さな世界の中心にあって、私たちを永遠に蝕み続ける『魔』そのものだ。それ以外にあれを、なんと表現すればいいのか……。


「だったら世界にとってあれは『神』だな」とイツキは言った。「あれがいるおかげでおれたちは生まれたんだからーーーー



「それで…そんな刀の存在、私達には全く知らされてないけど?」

 長い沈黙の後、リンカは言った。

「そりゃそうだ。これは村の内部で秘密裏に造られたものだからな、外部の人間に知られたらそれこそ意味が無くなってしまう。計画がパーってやつだ」

「計画?村の?」とリンカは言った。「じゃあ当然ツミキも知ってる訳だよね」

「ん?ま、まあ…」


 あれ?おかしい。私はこの刀のことも、その計画についても知っているはずだ…なのに私はそれを思い出すことができなかった。私の記憶の塊の一部にぽっかりと穴が開いてしまっているようだ。あるべき場所に、あるべきものがない…。また…、また私は何かを失ったのだろうか。


「そんな大事なものを私たちに見せちゃっても良いの?」とリンカはカイの目をじっと覗きこみながら言った。

「ああ、俺はお前達のことを信用してるからな」

「へ……?あはは」

 リンカは少し驚いて、照れくさそうに笑った。

「信用しているんだったら、もっと早く教えてくれてもいいんじゃないか?」

イツキの声はいつもよりほんの少しだけ高く聞こえた。


「敵を騙すには…ってやつだよ」とカイは言った。

「もう話しても大丈夫なのか?」

「ああ、問題ない。予定通り今日…」

カイは刀の刃の背に手を翳し、そのまま腕を上げていった。刀は月と重なるーーーー


「俺達はこのふざけた輪廻からツミキを救い出す。」

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