第三章 霊山

 私たちは『精霊門』に到着した。『精霊門』と村の者達がそう呼ぶこの場所は、村が祀る神のいる山、神すまう霊山と私達の住む世界の境界を隔てる門だ。


 鳥居の奥から赤い光がゆらゆらと揺れながらこちらに向かって少しずつ降りてくる。赤い光は私たちから五メートルほどの距離まで近づき、その動きを止めた。私は、その時やっと、それが提灯の光であることに気付いた。赤い光に照らされ、着物を着た男の姿がぼんやりと見て取れる。男は提灯をもって石段を降りてきたのだ。そして今度は男の後ろの方から、先程の低くて神妙な声とはうってかわって、高くて明るい声が聞こえてきた。


「アハハ、なにその喋り方おかしー」

 それは若い女の声だった。

「いくらなんでもそこまで畏まらなくてもいいんじゃない?」

 声のする付近には赤い光は見当たらない。どうやら彼女の方は提灯を持っていないらしい。

「ん、確かにそうかもしれないな」と男は答えた。「だけどそういうお前こそ、もう少し緊張感をもったらどうなんだ」

「へいへーい」と彼女はいかにも面倒くさそうに返事をした。


 相変わらずの凸凹コンビだなあ。そんなことを思いながら二人を眺めていると、彼女はとんとんとんと男のすぐ横まで降りてきて、提灯の光に照らされながら私たちに向かって満面の笑みを浮かべた。

「来たね、二人とも」

 彼女も着物を着ていた。男性用の方は帯の幅が狭く、女性用の方は幅が広いらしい。前に彼女から聞いたことがある。

「うん。イツキとリンカももう来てたんだ」


 そう私が答えると、彼らの立つずっとずっと後ろの方から、深く暗い風が吹いた。風は彼らを過ぎ去り、私たちの周りにまとわりつくように通って、私たちのすぐ後ろで消えた。

「ねえ、まだ時間あるし学校に寄っていかない?」

 風が吹き終わるとリンカが言った。




 学校、学校か。あまりいい記憶はないな。私はみんなから避けられていたから。大人たちでさえも、決して私と深く関わろうとはしなかった。私とまともに接するのはカイだけだった。彼らは私をおそれていたのだ。カイは…カイはどうだったのだろう。私と一緒にいて、こわくなかったのかな、いやにならなかったのかな。そうじゃなければいいな。


 そういえば、イツキとリンカと出会ったのも学校だった。確か中学入学と同時に、二人は東京から引っ越してきたんだ。彼らは誰とでも仲良く話していたし、私たちにも平然と話しかけてきた。最初は戸惑ったけど、私たちは彼らと少しずつ打ち解けていった。趣味や考え方が合っていたのだろう。自然と私たち四人は一緒に集まるようになった。四人でいるのはけっこう好きだったな。


「今日はきれいな満月だねー」

「それにさー、こうやって四人揃って学校に行くのって、ほんとに久しぶりだよねー」


 一番先頭で石段を登っているリンカが前を向いたまま言った。私はどんな風に答えたらいいのか分からなかった。だから私は何も言わず、ただただ提灯の光に照らされる石段を踏み外さないように気を付けながら、ひたすらに上へと登り続けた。カイとイツキもどうやら私と同じみたいだった。少したってリンカは急に立ち止まって振り向き、私たちをじっと見回した。

「こうやって四人揃って学校に行くのって、ほんとに久しぶりだよねー」


 リンカはもう一度繰り返す。私たちは三人とも立ち止まった。…と思う。私はつい顔を伏せてしまったから他の二人がどうしたのか実際には見えない。まあ足音も聞こえないし気配も近くに感じるしな。ほら目の前にも…

「うわあっ!」

 目の前には「ねー」の表情のまま固まったリンカの顔があった。

「……」

 リンカと私はしばらくお互いの顔を見つめ合う。リンカの金色の髪が鼻先に触れた。何て整った顔をしているんだろう。ーー天使みたいだ。

「天使みたいだ…」

「え!?」とリンカ。

「え!?」と私。

「なになに、それって私のことー?」


 リンカは心から嬉しそうに自分のことを指さした。どうやら私は二回も繰り返していたようだ。同じ台詞を。リンカはピョンピョンと跳ねながら石段を数段昇って振り向き、また元気良く話し始めた。

「ふっふっふー、ねえねえ二人も聞いた?」

「私天使?天使?」

「天使」

「天然」

「見かけだけ」

「もー、カイもイツキもひどーーい」とリンカは言った。

「あはは」と私は笑った。


 するとリンカは私の所までもう一度やってきて、私を抱きしめた。

「分かってくれるのはツミキだけかー」

「ねー」と私も応える。

「ツミキも天使だよー」と私の頭を撫でながらリンカは言う。

 そうか私も天使だったのか。まあ天使が天使と言うのだからやはり天使なのだろう。うんうん。


「はっ!」

 リンカは上を向いて一瞬固まり、今度はイツキの方に近づいて行った。

「名探偵リンカちゃん気付いちゃった」

「何に?」とイツキは言った。

「『見かけだけだ』って要するに『見た目は天使だ』ってことですよねえ……、イツキさん!」とイツキの目の前で、テレビドラマの探偵のように言う。

「…あっ」

 どうやら無自覚だったようだ。

「もうネタは上がってんだよ!え!イツキさんよお!」

「いや…、それはち…」

「リンカは天使これ常識!そういうことですね!」

「やったー」

 リンカはイツキの言葉に被せるように言い切り、とても満足げに元の位置に戻っていった。


「この男たちはなーんて幸運なんでしょう。こーんなに可愛い天使たちに囲まれて、ねーツミキー」

「ねー」と私たちは笑い合った。

 イツキとカイも笑っていた。




 敷地内まで入り込んできた辻斬りは果たして辻斬りといえるのか否かという議論がちょうど佳境を迎えた所で、私たち天使とただの人間二人は山の中腹あたりにある石段の踊り場までやってきた。もうここまで登ってきたのか。いつの間にか結構な時間が経っていたようだ。山の麓からこの踊り場に辿り着くまでには早くても一時間はかかる。四人でいるとあっという間に時間が過ぎていく。


 踊り場はそれなりに広く、住宅街にあるちょっとした公園ぐらいの大きさがある。そして地面には砂利が敷き詰められており、中心には祠が置かれている。祠の様子は明らかに異様であった。

 

 木造の祠は小屋の様な造りになっていて、幾重にも巻きつけられた鍵や鎖、何十枚と貼られたいかにも仰々しい札が、祠全体とその扉を覆いつくしていた。また、階段を上がってすぐの所と、奥にある上へと続く石段の手前にそれぞれ大きな鳥居が立っていて、左端と右端にそれら巨大な鳥居のちょうど半分位の大きさの鳥居がある。その先には下へと続く石段があり、左側の石段の先に私たちの通う学校が、右側の石段の先には生徒や教員などの学校関係者の住む寮がそれぞれ建てられている。

 

 村の端にあるこの学校まで毎日登校するのは、あまりにも遠すぎて、とてもじゃないがやっていけない。そこで学校のすぐ近くに寮が設けられているのだ。なんだってこんな遠い、しかもこんな山奥に学校を作ったのか。それはやはりこの霊山が、私たちの村と切っても切れない関係にあるからだろう。因縁といってもいい。千年前から続く“かの神”との因縁。私たちはその呪縛に囚われ続けている。 





『魂は我らのもとに、心はあなたのものに』           


 私たちは祠の前で目を閉じ、両手を合わせて一礼した。私たちはここを通る時、この礼拝の儀礼を必ず行う。もちろん村の人間、他の生徒や教師達、それに外部の人間も同様だ。なぜこのような面倒な作業を、ここを通る度にいちいち行わなければならないのか。この祠の前を通る時この行為を行わないと必ず不幸が訪れる。そう古くから伝えられているからだ。


 この祠にまつわる礼拝と呪いの伝承は数え切れないほど存在する。「笑顔で殺し合う恋人達の話」、「家系図全滅バラバラ殺人」、「三年一組全生徒集団自殺」など、私はこの祠に関わる忌まわしき伝承をいくらでも思い出せた。そんな話を小さい頃から散々聞かされ続けていたら、拝まないわけにはいかないじゃないか。全く以て面倒なことだが。


 だから私たちは忘れることなく、どんな時でも必ずこの礼拝をこなす。まあ何百回と行っていることだし、今となっては、もはやただの流れ作業に過ぎない。怖いことには怖いが…。その儀式をいつも通りに終わらせた私たちは、学校に続く石段の方へと歩き出した。



「だからな、辻斬りが辻斬りであるためには、家の前でじっと待ってないといけない訳だ。逃げたその人が門から出てくるまで」とイツキは言った。

「あはは、なんかめちゃくちゃマヌケだなあ」と民家の前で刀片手に行儀良く待ち続ける辻斬りを頭の中に思い浮かべながら私は言った。リンカの方を見ると大きく首を傾げていた。


「えーー、そんなの辻斬りじゃないよ」

「辻斬りは刀の切れ味や自分自身の実力を確かめるために人を襲うんだから、斬られて逃げ出すような人間を、そもそも相手にしないと思うなー」

「それだと前提が崩れるだろ。これは『敷地内まで入り込んでしまった辻斬り』の話なんだから」

「いやだからその前提がそもそも成り立たないんじゃないかってこと」

「ねえカイ?」と一番先頭を歩くリンカがこちらを振り向きながら言った。


「あれ?」

「カイ……?」

「……消えた?イリュージョン?」

「え?」

 確かに私たちの隣にカイはいなかった。まさかもうはじまっているのか?私たちより先には行っていないはずだ…。


「カイ!」

 私は焦りながら勢い良く後ろを振り向いた。するとそこには青白い月の灯りに照らされて、祠の前に立つカイの姿があった。カイは礼拝の後もずっと動かず、その場に立ち止まっていたのだ。その景色をぼんやりと眺めていると、どういうことかカイと祠の周りだけが他と比べて妙にくっきりと浮かび上がっているように見えた。まるでその部分だけ絵の具でもう一度塗り直したように。その時ふと、私はなぜだかひどく不安を覚えた。カイが見つかったのだから、もう何も問題はないはずなのに。


「カイ!」ともう一度叫ぶ。

 するとカイはこちらに気付いたのか私たちの方に目を向けた。だが、返事もせずにもう一度祠の方へと視線を戻してしまった。どうしたのだろう。祠の中のなにかをじっと見つめている…、いや睨んでいるのか?カイはそうやって立ち止まったまましばらく動かなかった。私はそんなカイの様子をただただ眺め続けることしかできなかった。


 そうして少し経ってから、カイは「ああ、すぐ行く」と答え、私たちの方に向かって歩き出した。カイは祠から離れる時もう一度扉の方を見ていた。暗くてよく見えなかったが少しだけ口元が動いたような……。リンカとイツキは何も言わず、静かにカイの方を見据えていた。

「カイのやつ何やってんだろうね?おばけでもいたのか?」と私は言った。

「おばけ?あっはは、そうかもねー」

 少し間があって、リンカは答えた。カイから目線を外さないまま。「…本当に……」


 そしてカイが私たちの近くまでやって来たところでリンカは尋ねた。

「何してたのー?」

「いや、久しぶりに見たからな。こんなだったかなーって、気になってさ」

 赤い光りに照らされてカイの表情はよく見えた。カイは笑っていた。イツキもカイのことをじっと見ている。

「そうだったんだー」とリンカは言った。「それで?」

「ん?」

「どうだったの?」

「どうだったって?」

「いやだから、久しぶりに祠を見たかんそーだよー」

「あー……、なんていうか…」

 カイは斜め上を見て考える。

「なんかイライラしたね」

「プッ、なにそれー」とリンカは吹き出した。 


 カイはその場にゆっくりと立ち止まって後ろを振り向き、祠を指差した。それにつられ、私たちも祠の方に視線を移す。祠は月明りに照らされた青白い沈黙の中で、得体の知れない闇を確かに抱えていた。私たちは、その深い深い闇の中にいる。カイは祠をしっかりと見据えたまま口を開いた。

「あの扉の奥に誰かがいるとして、そいつらどんな顔して俺たちを見てやがるのかって」

「そんなこと言って大丈夫なのー?」

 



「呪われちゃうよ?」

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