夏に鳴くなきがら 3
一晩寝ても熱波は留まることを知らない。
天気予報では、三十五度にまで達するとのことで、自宅から職場まで無駄に汗をかいた。
朝礼後また先日と同じ部屋に行き、箱を並べ、店舗名記載のシールを貼り付けていく。
屋内とはいえ、これだけで汗だくになった。
ほうれい線の女と別の女が、部屋の隅で賢人を横目にひそひそと話している。
「急かしてもおせー、怒鳴ってもおせー。ほんと使えなくて困るわ」
「ねえ、大変よねえ。どうしたら速くなってくれるのかしら」
そろそろかという頃合いで、仕分け係が用意した山積みの箱が運ばれてきた。
パンをスキャンしたほうれい線女が、ほれほれ、やれやれ、と口で促しつつ、三等分した箱を台車に載せ棚の前に流していく。
そうしていつものように作業員たちは、箱へ品物を入れてはスイッチを押し、を繰り返していく。その都度、賢人の分だけ最後に残るため、同僚二人が手伝うことになる。
申し訳ない気持ちと、自分のいたらなさが汗まみれの肥えた体を削いでいくようだった。
この暑さをしのぶ、冷たいコーヒーを――。それか子供の頃に飲んだ、水と氷で割ったカルピスを。または母がこさえてくれた味の濃い麦茶を……。
急がなければならない場で、賢人の思考は懐古的な風景に入れ替わりそうになった。
ゴクリ、と飲み込んだのは自分の汗か、少ししょっぱかった。
「おせーって言ってんだろ、デブ!」
罵詈雑言を放ちながら、ほうれい線の女が賢人の近くまで来た。
賢人は、喉を通ったばかりの唾を、喉ごと吐き出すように、
「うるせえんだよ! クソババア!」
しん、と賢人の悪罵に室内は静まり返る。
わあああっ! と賢人は叫びちらした。
菓子パンを詰めたばかりの箱を次から次へとなぎ倒し、床に散乱させた。
「くそおっ! 俺を馬鹿にしやがってっ! 馬鹿にしやがってえぇぇっ!」
憤慨の爆発は後先を考えず、誰かの不幸さえもこのときの賢人には、思い及ばなかった。
床に散らばったできたてのパン、なぎ倒された箱に、沢山のパンが出荷前に下敷きになった。
再度作り直し、検品作業もやり直すことになる。時間も金も労力も無駄に費やすことになるだろう。
そして賢人は、ほうれい線の捨てゼリフに対抗するように、パンを一袋、ほうれい線に投げつけ、出口の方へ向かった。ほうれい線はパンを落とさずキャッチしていた。
「俺はお前の道具じゃねえ! 社会の道具でもねえ! こんなとこ辞めてやるよ! それがお望みなんだろ!」
部屋から出、更衣室に向かい、着替え始めた。
そのまま私物を置いて出るのもよかったのかもしれないが、そこまで怒り心頭ではなかった。
憤激で真夏の熱気のように火照った頭でも、まだ理性は働いていたらしい。
更衣室の外から声がした。
「ねえ、帰るの? 辞めるの?」
物腰柔らかなその言い方は、時折ほうれい線と何やら陰口を叩く、刈り上げた頭の天辺がつるつるになっている中年男性だった。
「辞めるんなら作業着と鍵置いてってね。鍵はロッカーのね」
うるせえハゲ! と、賢人は胸中で罵った。
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