第4話

 カナルが青白い、それこそ酷い顛末を辿った未亡人のような面持ちでやってきた。


「兄様。如何でしたか……首尾のほどは……」


 カナルは今にも潰れてしまいそうな表情をガロに向けた。一昨年までのカナルはこういう顔を殆どしない。むしろ快活なお転婆娘として人々の親愛をうけていた。それが昨年、渡り鳥が羽を失ったかのように事態が変わった。

 ガロはカナルの失ったものを補填するように声の調子を合わせた。


「首尾も何もないさ。奴ら頭でっかちでさ、理屈でしか物を考えないもんだから話も進まない。それはどの時代も変わらんらしい。折角の誕生日にジョークのひとつも飛んでこないのだから」


 ガロは胸の内に以前のカナルの声を聞いた。


『まあ! 兄様ったら。それは贅沢というものです。あの方々達も好き好んで他人の誕生祭に奔走してる訳じゃないんですからね。所詮は主従の関係、日によって馴れ馴れしくなんて困難です。でも安心なさって、兄様。私はあの方々達よりも少しばかり貴方を親しんでいるつもりですから、その分のジョークは披露してあげます』


 だが、今のカナルからそういう言葉はやってこない。


「本当ですか……本当に? 私ちょっと聞いたんです。今回のパレードは魔術船ではないのでしょう? ああ、私心配なんです。私、昨年ほんとうに見たんです。なのに何故? 危ないわ。危なすぎる。私が撃たれるならまだしも、兄様が銃弾に倒れるなんてことがあれば……ああ!」


 カナルは噴火直前のマグマのように感情の隆起を見せた。そしてまた眉間が狭まり、口がぼんやりと空になる。

 

 昨年、彼女の生誕祭にカナルは暗殺未遂を受けた。といっても事件はすべて明瞭でなく、事件という事件はカナルの証言のみが宙に吊るされた形で王家の記憶に留められた。


 カナルは言った。


「本当です。本当ですのよ! 私しっかりとこの目で見たんです。演説の途中、聴衆のなかにぎらぎらと黒光った銃口を! あれはきっと魔術式の銃です。たしか若い男の人の手にありました……そう、若い、兄様と同じくらいの……両目が憎悪で燃えた白髪の青年……ああ、怖いわ! 何が怖いってあの目が一人の青年のものだけじゃないことが怖い。青年はたまたま銃を持っていたけれど、あの目は聴衆の多くにあったわ。皆きっと銃さえあれば私に銃弾の雨を降らせたはずよ」


 カナルの陳述を疑い始めればきりがない。第一、白髪の青年は見張の兵からの目撃もなく、第二に宮廷の三階の演説台から銃口を確認できるとも怪しい。しかしカナルの陳述に信じるところがあるとすれば、聴衆の敵意に満ち満ちた眼光はその場にいる多くが認識できた。たとえカナルの妄想が暗殺未遂を起こしたとして、しかし容疑者は民衆の大半であることに誰も異議を唱えられない。


 ガロが応える前にカナルはわなわなと震え、そしてゆっくりと戸口に座り込んだ。ガロは急いで人を呼んだ。奥の部屋で控えたダンテが駆けつけた。カナルはガロの絢爛な上衣の裾を握り、こう言った。


「私、怖い。怖いわ。私達、きっと撃たれて死ぬわ。相手は敬虔な淑女かもしれないし、優しげな老人かもしれない。もしかすれば前途の開けた幼児かもしれない。どちらにせよ、誰にせよ、私達はきっと彼らに殺されるの。殺されて首を晒されて、国民は喝采を送るのよ……」


「やめなよ、カナル。そういう事を考えちゃいけない。そう考えてしまっては何もかもそう見えてしまう。もっと心安らぐ事を考えないと……そうだ、今日ミューリーと観る演目は『愛と平和』だそうだ。好きだろう、『愛と平和』」


 ガロはこう答えるしかない。しかしカナルは裾を離さなかった。


「兄様、貴方おぼえてらっしゃる? お父様の口癖。〈血は、すべてを超える〉。あれね、嘘よ。きっと嘘。血は私達で途絶えるわ。仮に跡継ぎができたってその代で途絶える。あの言葉は時代遅れなの。そうなったら私達の血って一体何なの? 悪魔の血よ。そして悪魔の血を人々はきっと赦しはしないわ」

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