第3話

 ヴェーリー民主共和国は水の王国として名高いが、南西に位置する都市ヴィクトルネはそのなかでも特筆している。平野と河川に恵まれたこの都市は円状に包囲するアルデット大水路に囲まれ、さらにそこから毛細血管のような中小の水路が整備されている。その具合といえばビスケットを粉々に砕いたように見える。

 領土としては決して広大とは言えないヴィクトルネが第二都市として認められたのは一重にこの水路の充実さである。ヴェーリー民主共和国自体、島国であり多数の河川があることから水路は陸路よりも交通手段として重用され、故に他の市民からは発展的な、つまり「魔術」的な印象を受けている。


 宮廷局局長バンツは広げたヴィクトルネの地図上を指の腹で右回りになぞった。当然轍の下にはアルデット大水路が敷かれている。


「つまりですね、パレードはこうぐるっとヴィクトルネを一周するかたちで民衆に王子のご尊顔をお見せする訳でございます」


 ガロはなぞられた二重線を想像で補った。アルデット大水路は万華鏡のような景色の移り変わりをもつ。南側の町人街のしなやかさと逞しさを象徴する木造建築と浅黒く焼けた商人たち、そこから東に回ると辺りは寺町で、赤い鳥居が数多く立ち並び清貧な坊主や信者が往来する。北東の方面は花々に恵まれ春には桜、夏には睡蓮の花園に観光客が押し寄せる。西町は宿が多く点在し、客の多くが中水路を通り隣の港都市イズールから訪れる景気の良い漁師たちだが、彼らは決まってミンスク展望台に上り故郷の賑わいと鮮烈な夕日を一望するという。

 ガロはヴィクトルネの全ての町を平等に愛し、また全ての市民を同様に慈しんだ。旧宮廷の頃ほど自由に都市を忍ぶことはできないが、可能なことなら町に繰り出しあまねく町と市民に抱擁と接吻をしてやりたい。相手がその慈愛を受け入れるかはまた別だが。

 

 バンツは続けた。


「……またパレード船は大型の木造船となります。魔術式ではありませんが、中々に豪勢で民衆もきっと……」


 ガロは言い終わらぬうちに絶句し、思わず聞き返した。


「魔術式ではないのか」


「ええ……そうです、というのも、昨年のようなことがあっては、ねえ。やはり、よろしくありませんので」


 バンツは歯切れ悪く、額の汗をハンカチで拭った。


「ならばこそ魔術式の船が一等安全じゃないか。あれなら速度も調節でき、いざとなれば防御壁も使えるというのに」


「いや、事はそう単純ではありません」


 アイルが口を挟んだ。


「この八年間、バーン様を筆頭に王家は信頼を陥れないよう努力なさいました。たしかに、魔術船を用いれば安全を保障できるでしょう。しかし長期的に考えれば王家のパレードに魔術船を使うことのほうがより危険なのです。未だヴェーリーは安定に欠き、民衆の怒りの矛先を創出することのほうが危険なのです」


 常時媚びた調子のバンツとくらべアイルの声色には冷え切った眼光と同じ合理の影のようなものが窺える。それは夢幻を滅ぼし生まれた刃物のかたちをした影。


『今の王家というものはまるで雑巾だな。現状の内政の下手さをいざとなったら王家で誤魔化そうというわけだ。元から汚れているのを雑巾で拭って、その汚れさえ雑巾のせいにしようという訳だ。その日のために王家は一程度清廉潔白で、しかし権威も権力も与えず、時が経てば怒涛に悪のレッテルを貼ってやろうという魂胆なのだ』


 ガロがこう考えるのも無理はない。樹立から八年ほどの現政府は殆ど旧貴族、つまりアルミーン王家への反逆者によって構成される。しかもその民主政府の樹立というものが、やや扇情に振り切ったきらいがある。

 「魔術の独占」というスローガンで押し切った民主化は単なる権力の移譲に過ぎず、民衆出身の政治家官僚なぞ無に等しい。王家に愛着を持たず、民衆を蔑ろにする現政府をいったいどう愛せば良いのだろう。

 

 バンツとアイルが退室し、ガロは慣れきった疲労を感じた。ここ近年は砂漠に棺桶を運ぶような心地が多い。ガロはしばらく眠ろうと目を瞑った。


 ノック音が聞こえた。ガロがはっきりしない声で応えるとカナルが顔を見せた。

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