第4話

 金色の髪がバスの揺れに合わせて、ふわふわと揺れている。青い瞳をした精悍な顔つきのエリオット・ビルが窓の外を眺めていた。隣には短い髪をサイドに撫でつけたレイが座っている。今よりも線が細い。服装は2人とも迷彩柄のアーミー服だ。


「見てみなよ、レイ」


「どうした、エリオット」


「雲ひとつない青空。まるでルナの瞳みたいだ」


 うっとりとした表情でエリオットは車窓から空を仰いだ。


「瞳の色は、エリオットも同じじゃないか。兄妹なんだから……」


 呆れ気味に、レイが呟く。それでも、エリオットにしたがって窓の外を眺める。エリオットはにっこりと微笑んで、レイに向き直った。


「君の目は節穴かい? オレの瞳は少し薄い青色をしている。ルナの瞳はオレのより少し青色が濃いんだ」


「いや、知らないよ。ルナの瞳をそんなにつぶさに観察したことないし」


「当たり前だろう。あったら君を殺してしまいかねない」


 笑顔のままで言うエリオット。冗談のようだが、レイの怯え具合と引き具合から見て、本気のようだ。


「君をルナの側に置いているのは、ルナを守れるぐらいには強いからだ」


「わかってる」


 レイはため息まじりに答える。


「他の奴じゃダメなんだ。レイ、君じゃなきゃ。いざとなったら、オレは命を賭けてルナを守る。君は生きてルナを守るんだ」


「エリオットが剣で、俺が盾だろ? わかってるよ」


 ルナが戦争に出るようになってから、戦場に向かうたびに聞かされる言葉だった。当のルナは2人の会話など知る由もなく、前の方の座席でプレシオーネとプロテインの話で盛り上がっている。今よりも幼い面立ちのルナが屈託なく笑っている。


「オレの妹……可愛いなぁ」


 うっとりとした表情とねっとりとした声音でエリオットは妹を眺めた。愛でているというにはあまりに執着が激しい様子だ。


「プロテインの話なんかして、ルナは筋肉をつけたいんだね。今のままで十分なのに……プレシオーネが筋肉ゴリラなのは、彼女の遺伝子に、そうなるよう操作が加えられているからなんだけどな」


「エリオット、それプレシオーネに絶対、言うなよ」


「ん? どれ?」


 無自覚に悪口を言うのはエリオットの常だ。性格が悪いとかそういうものではない。それを言われて、他人がどう思うか、興味がないのだ。だからどんなことも口に出来てしまう。

 つと、エリオットはまた車窓に目を向けた。


「楽しそうなルナを眺めているのも良いけれど、早く戦場に着かないかな……早く人を殺したいよ。ねぇ、レイもそうだろう?」


 静かな狂気を抱いてエリオットは断定するように言った。心はすでに戦場にいるかのように指が引き金を引いている。

 レイは口を真一文字にして少し身を引いた。


「そうだな、エリオット」

 おそらく、レイの声はエリオットには届いていない。エリオットは何度も何度も引き金を引き続けていた。


 次に画面が変わった時、そこはすでに戦場だった。幼い面立ちのルナと、エリオットが岩場に身を隠している。戦闘服は、黒いボディースーツではなく、当時は迷彩柄のアーミー服が主流だった。今も昔もルナは黒い髪をひっつめてポニーテールにしているが、髪は今より短い。青い瞳は変わらず、戦場にいてもガラスのように澄んでいた。顔は血と泥で汚れているが、その美しさを損なうものではなかった。

 エリオットは柔らかな金髪が乱れていた。ルナと同じように血と泥で汚れた顔で、瞳は澄んだ青色だった。2人は髪の色は違ったが、とてもよく似た顔をしていた。


 その日、セウム博士が設計したレーザー銃が初めて実戦で使われた。無尽蔵にエネルギーを放出し続けるマレ石を使って開発されたレーザー銃は、十分な殺傷能力を持ち、弾の補充を必要としないため身軽に動け、兵士から好評だった。開戦と同時にその力を発揮し、ピリンキピウムの圧勝かと思われたが、残り時間があと半分となった時、異変が起こった。レーザー銃の暴発が立て続けに起こったのだ。

 自然界に存在しているだけでも、その石は人体に多大な悪影響を及ぼす。それがカケラでも使われ、圧縮されたエネルギーが爆発するのだ。その被害は甚大なものだった。


 兄妹は周りで次々に起こる暴発を見ても、自身が握るレーザー銃を捨てることができなかった。


「ルナ、残りの弾は?」


 兄に問われて、妹は首を振る。暴発の危険があるレーザー銃はホルダーにしまい、予備として持っていたハンドガンで応戦していた。


「これを持ってろ」


 エリオットは自分の予備のハンドガンをルナに渡す。


「いいか、替えの弾はない。無駄打ちはするなよ」


 青い瞳が青い瞳を見つめ返す。ルナは頷いた。弾切れのハンドガンはその辺に投げ捨て、兄から受け取ったハンドガンを構える。

 エリオットは変わらず、レーザー銃を構えていた。


「兄さん……」


 構えられたレーザー銃を見て、ルナが不安げな声で呼びかける。エリオットはルナの肩を掴んでしっかりと目を見た。


「ルナのことは、絶対に守る。たとえ、オレが死んでも」


 真剣な眼差しで言って、レーザー銃を構えて岩場の陰から敵の様子を窺う。ワインレッドの姿は見えない。背後の岩場にはレイが待機しており、2人を後退してくるのを待ち構えている。


「ルナ、先に行け。レイのいるところまで下がるんだ」


 ルナは頷き、エリオットに指し示された後方の岩場に視線を移した。レイが手振りでこちらに来いと言っている。屈みながら岩場を移る。その時、ワインレッドの影が現れ、鋭い光が走った。エリオットがレーザー銃を敵に向かって撃ったのだ。大きな目をさらに大きくし、ルナは兄を見た。


 キチキチと不審な音を立てるレーザー銃に目が釘付けになった。気付いたエリオットが銃を投げ、ルナに覆い被さるように飛んだ。映像が乱れ、キーンという不快な音声が占める。


 烟った映像の中で、兄妹が倒れていた。兄は右腕を肩から飛ばされ、頭からも出血していた。ルナは覆い被さる兄の下で呆然としていた。音声に小さなブザー音が混ざる。戦争の終了の合図だ。

 兄の体を抱き起こして叫ぶルナにレイが駆け寄る。その光景を最後に映像はブラックアウトした。


 * * * *


「エリオット・ビルの功績は誰もが認めるものだ。彼が戦場に出るようになってから、室内戦で我が軍に死者は1人も出ず、フィールド戦でも死者数が大幅に減った。それに比例するように敵国の死者数は増え続け……彼はこの国の英雄だ。その彼が、エリオットが戦場に散ることになろうとは……」


 第3層の集会場に集まった人々の前で指揮官が弔辞を述べている。参列者は一様に涙を流し、エリオットの死を悼んでいた。地下都市のため、弔砲も弔銃もない。部屋の奥に据えられた棺の中に、あるべきエリオットの遺体もない。棺に入っていたのは、ルナがエリオットから最期に受け取ったハンドガンだけだった。


「どうして! どうして!」


 遺体なき棺に縋り付いて、黒い服の女が泣き叫ぶ。エリオットの婚約者・フォルティナだ。黒く艶やかな髪を振り乱して泣く姿が、痛ましかった。フォルティナは、棺の横で呆然と立ち尽くしていた深緑の軍服を着たルナに掴みかかる。


「あんた! あんたが彼を殺した! あんたが彼の銃を奪ったんだ!」


 ルナは罵られるまま、立ち尽くしていた。弁解もしない、涙も流さない。魂の抜けた人形のように、フォルティナに頬を打たれ続けた。振り上げられた手が当たり、制帽が飛ぶ。


「やめろ! エリオットがルナに銃を渡したんだ! ルナが生き残ることが彼の願いだった!」


 暴れるフォルティナをレイが取り押さえる。見るに耐えなかったのか、周りの兵も手を貸してくれていた。フォルティナは深緑の群衆に連れて行かれた。


「行こう、ルナ」


 拾った制帽を差し出し、レイはルナを外に連れ出した。外と言っても地下都市だ。窓のない無機質な廊下が続く。


 第3層は兵士の家族や戦場には出ない上官が暮らす居住区になっている。子供も暮らす第3層には公園のように砂場やブランコなどの遊具が並ぶ一角がある。2人はそこまで歩いた。

 壁や天井が液晶ディスプレイになっていて、木立や空が映し出されている。本物の木や花も、壁際に少しだけ鉢植えで置かれている。


「カマラードへの出向が決まった」


 子供用の鉄棒にもたれかかり、レイが言った。ルナはまだ呆然としていて、鉄棒に向かって立ち、地面を見つめていた。


「……ルナも同行できるよう、手配している」


「同行……わたしが?」


 ルナがその日初めて口を開いた瞬間であった。レイは少し顔を綻ばせて、ルナに向き直り、その手を取った。


「エリオットが、あんなことになって……俺も、カマラードに行けば、一緒に戦場に出られなくなる。こんな状態の君を1人にはしておけない。一緒に行こう」


 ルナはレイの言葉が理解できないといった様子で怪訝な顔をして首を傾げた。


「どうして……」


「君を守りたいんだ!」


 力強く言ったレイに、ルナは力なく首を振る。


「……守らなくていい」


 声が震えていた。


「レイは行って。わたしは残る……兄さんが死んだのはわたしのせいなの。わたしが責任を取らなくちゃ」


「ルナ! エリオットが死んだのは君のせいじゃない!」


 ルナは首を振り、歩き出す。


「出発は明日だ! 迎えに行くから、準備をしていてくれ。頼む、君を戦場に残しては行けないんだ!」


 ちらとレイに視線を向けただけで、ルナは公園を出て行った。レイは作り物の空を見上げ、ため息を吐いた。


 * * * *


「結局、ルナは一緒には来なかった……」


 床に溢れたコーヒーの水溜りに、レイのしょぼくれた顔が映っていた。


「大佐! ここにいたんですね!」


 ツインテールにした金の巻毛を跳ねさせて、カリーナが息を切らせて休憩所に入って来た。


「カリーナ、なぜここに?」


「大佐を探してたんですよ」


 にっこりと笑って、カリーナは自分の巻毛を指にくるくると絡ませた。そして、床に目をやる。


「あー! コーヒー、こぼしちゃったんですか? 大変!」


 スカートのポケットからハンカチを取り出し、レイに近づく。


「大丈夫だ。かかってないから。掃除も係の者がしてくれる。それより」


 レイは立ち上がって、鋭い目でカリーナを見た。


「ピリンキピウムの兵に対して失礼な態度をとっているようだな」


「な、なんのことですかぁ?」


「国が違っても、君より、階級が上の者には、それなりの態度で接してもらわないと困る」


 言われてカリーナはシュンとした。


「あ、アタシはただ、大佐が心配で」


「君に心配してもらう必要はない。いい加減、わかってくれないか」


 なんとも言えない空気が2人の間に流れる。レイはフッと息を吐いて、表情を和らげた。


「宿舎に戻ろう」


「はい……」


 促されて、カリーナはしょんぼりしたまま歩き出した。


 * * * *


 画面が暗転して録画映像が流れる。画面にはバッテリー残量や、日付などが表示されている。背景はクリーム色の壁で、椅子に座ったカリーナの胸から上が撮影されている。ピリンキピウムに来る前に撮影された面接映像だ。


 ーーなぜ、軍に入隊しましたか?

「カマラードは貧しい国です。アタシの家も、貧しく、その上、兄妹も多くて、その日食べるものにも困るほどでした。軍に入れば、食べるのに困りません。教育も受けることができます」


 ーーピリンキピウムから出向して来ているレイ・バークシャーの戦闘訓練を受けていますね。

「はい、バークシャー大佐は素晴らしい人です!」


 ーー彼の訓練に、ついていけていますか?

「……アタシは背も小さいし、力も強くないです。走るのも遅いし、体力もみんなよりありません。そんなアタシが、どうして選抜に選ばれたのかわかりません」


 ーー訓練についていけていないということですか?

「努力、しています。今までは出来なくても、誰かが代わりにやってくれていました。カマラードの軍は男社会なので、女は特別扱いされます。カマラードはピリンキピウムに協力していますが、どこかと戦争をしているわけではないので、軍は比較的、平和なんです。戦死者なんて出ませんし。けれど、バークシャー大佐はアタシに甘えを許しませんでした。出来なければ、出来るまでやれ。そういう人です」


 ーーレイ・バークシャーのやり方に納得しましたか?

「初めは、反発しました。それまでと全く違う環境です。だけど、大佐はきちんと出来れば、ちゃんと認めてくれる人でもあります。アタシはそれが嬉しかった。だから、訓練にも真面目に取り組むようになりました。成果を出して、大佐を喜ばせたいんです」


 ーーカマラードには戦死者がいないと言いましたね。ピリンキピウムは開戦される度に戦死者が出ますが、それについてはどう思いますか?

「……怖いです」


 ーー戦争に参加することを要請されたら、どうしますか? 辞退することもできます。

「辞退……したら、大佐は失望しますよね?」


 ーーそれはわかりません。

「辞退は、しません。精一杯、頑張ります」


 ーー頑張るということは、敵と戦うということですね。できますか?

「できます!」


 ーー相手は人間です。人殺しができますか?

「…………」


 ーーどうしました?

「わかりません……できないかも……」


 ーーレイ・バークシャーの身に危険が及んでも?

「それは! ふ、防ぎます! アタシが大佐の盾になります」


 ーー先程、怖いとおっしゃっていましたが、自分が死ぬのは怖くないのですか?

「……わかりません。ここは平和なので」


 節目がちにカリーナが言ったところで映像は途切れた。

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