第3話

 朝の食堂。珍しくロットワイラーの3人が揃っていた。しかし、カロスは食堂でもテーブルに置いたクッションに頭を預けて瞑想をしている。今日のクッションは茶碗に入った白飯だ。腕がだらりと垂れて、ピクピクと動いている。夢を見ているのだろうか。それをトーストを齧るフェンと、ご飯を箸で持ち上げるルナが渋い顔で見ていた。


「こんなとこで寝るな」


 フェンが牛乳の入ったカップで軽く、カロスの頭を小突く。


「うぅ……僕は寮に残るって言ったのに、フェンさんが無理矢理連れてきたんじゃ無いですか~」


 ウッウッと嗚咽混じりにカロスが訴える。本当に泣きそうになっている。余程朝が辛いようだ。しかし、きちんと着替えているところを見ると、起きる意思はあるようだ。


 今日も3人は揃ってTシャツに迷彩柄のズボンだ。周りの兵士にも同じように訓練着の者もいるが、私服の者もいる。けれど、ロットワイラーの3人の私服姿は見たことがない。

 私服、などというものは持っていないのかもしれない。そこで、恐ろしいことに気がついた。もしかしたら、カロスは起きて着替えているのではなく、寝る瞬間からこの服装なのでは無いだろうか……カロスが寝る瞬間の姿を見たことがないのだ。


「ほら、食え! 噛んどきゃ目が覚める」


 カロスの口にプロテインバーが差し込まれる。


「うぅ……パワハラだぁ~」


 目を閉じ、クッションに頭を埋めたまま、モゴモゴ喋るカロスをルナは味噌汁を啜りながら無表情で眺めた。

 ルナとフェンの食事が終わり、コーヒーブレイクに入る頃、やっと瞑想を終えたカロスが首をコキコキ鳴らしながら、クッションから頭を上げておしゃべりを開始した。


「そう言えば~、昨日の兄妹。なんで誘拐されたんですか~?」


「あん?」


 唐突な質問にフェンはコーヒーを吹き出しそうになった。


「それは……あれだよ」


「あれって? 何ですか~?」


 フェンはちらとルナに視線をくれる。ルナは2人の会話には我関せずの態度でコーヒーを啜っていた。目も合わさない。


「お前は昨日の、セウム博士が、何を開発してるか知ってるのか?」


「そりゃ知ってますよ~! 世紀の発明・ポンコツレーザー銃の開発者じゃないですか~!」


「ポンコツって、お前……もうちょっと言い方があるだろ」


「一定時間使うと熱量に耐えきれず、部品が破損して大爆発起こすんだから、ポンコツでしょ~」


「うむ……否定はできん。セウム博士はそのレーザー銃の改良に成功したらしい。今度は爆発せずに、運用できるって話だぜ」


「え、すごいじゃないですか~! それじゃあ、もう弾の残量を気にして戦わなくてもいいんだ~」


 クッションの米の部分をぽこぽこ叩きながら、カロスは喜びを表現した。


「実用は少し先らしいがな。今は量産の体制を整えている段階だ。で、その情報が、どうやらパラミシアに漏れてたらしくてな。レーザー銃の製造法を手に入れようと、博士の家族が狙われたってことだそうだ」


「へ~……あ! そういえば、知ってます~? 今、カマラードから兵士が派遣されてるって~」


 急に話題を変えたカロスに、フェンはほっとしたような顔を見せた。


「昨日、到着したみてぇだな。今日からピリンキピウムの兵に混じって訓練するらしいぜ」


「カマラードの兵士って、どれくらいやれるんですかね~」


 プロテインバーの包みをクシャッと丸めて、カロスは数メートル離れたゴミ箱に投げ入れた。見事に入った。フェンは眼鏡をくいっと指で上げる。


「さぁな、Sがカマラードに出向して訓練してたらしいが」


「それって、レイ・バークシャーですよね~?」


 フェンは声を発さず、カロスに眉を上げて軽く合図を送った。カロスもそれを見て口を尖らせて返す。何やら無言のやりとりを図っているが意思疎通が取れているとは思えない。

 二人の無言のやりとりを知ってか知らずか、ルナはコーヒーを飲み干した。


「Sが訓練したなら、カマラードの兵士たちにも期待できますかね~?」


「彼らは、わたしたちとは違うわ」


 それまで黙っていたルナは、それだけ言って立ち上がった。空になったカップをテーブルに残し、さっさと食堂を出て行ってしまう。残された2人は暫く、ルナの去った方を眺めてから、会話を再開した。


「カロス、ルナの前でレイの名前を出すんじゃねぇ」


 目を閉じて冷静を保とうとしているのだろうが、フェンのこめかみに青筋が浮かんでいるのが見える。カロスの方は薄ら笑いを浮かべて、楽しんでいるようだ。


「お兄さんの話だけじゃなくて、お兄さんの元チームメイトの話もダメなんですか~?」


「ダメだ。思い出すだろ」


「フェンさんってば~。ホンット、過保護なんだから~」


 ギシリと音を立ててカロスは椅子の背にもたれた。


「うるせぇ」


 フェンはそっぽを向いて投げやりに言うと、冷めたコーヒーをぐいと一気に飲み干した。


 * * * *


「ちょっと、あなた!」


 兵士たちが行き交う食堂前の廊下で、ルナを呼び止める声があった。それもルナの目の前で、ルナに指をさしてだ。

 声の主はカリーナ・ドゥシュマン。ふんわりした金髪をツインテールにして、緑色の垂れ目を精一杯、釣り上げて、ルナを睨んでいる。自分よりも背の低いカリーナに睨まれても、怖くもなんともないといった様子で、ルナは腰に手を当て、片眉を上げてカリーナを見下ろした。


「あなた、昨日、駐車場で大佐と話していた人でしょう? 何を話していたの?」


 質問には答えず、ルナは上から下までカリーナを観察した。詰襟のベージュの軍服姿。服で性別による区別をあまりつけないピリンキピウムの軍では、男女ともに軍服の下はズボンとなっているが、カリーナの軍服は膝下丈のタイトスカートだ。襟についた階級章には星が3つ並んでいる。


「君の国では上官に対して、その態度が許されるのか」


 静かな青い瞳に見下ろされ、カリーナは一瞬、怯んだ。


「あ、あなたとは国も違うし、アタシの指揮官でもないじゃない! アタシたちはあなたの国に招かれて来てるの。言わば、アタシはお客様よ!」


 行き交う人々の視線が、廊下の真ん中で向かい合う2人に刺さっては通り過ぎていく。ルナは右手でこめかみを押さえた。


「確かに、君はカマラードの兵士で、わたしはピリンキピウムの兵士よ。だからと言って、階級を無視しても良いとは思えない。それに、わたしたちの軍は、君たちを客として招待したんじゃない。共に戦う兵士として召集したはずだけど?」


「う、うるさいわね! そんなことどうでもいいのよ! バークシャー大佐とは、どういう関係なのか言いなさい!」


 ルナは開いた口が塞がらなかった。規律の厳しいピリンキピウムの軍隊で、こんなことは起こったことがない。カリーナは星3つの上等兵。一方、Sであるルナは大佐扱いとなっている。階級が2、3個違うなんてものではない。

 文化の違いにルナが戸惑っているうちに、カリーナはルナの訓練着にSの字が入ったバッジを見つけた。


「あなた、Sなのね? 大佐と同じ……」


 ルナは鼻から息を吐き、目を細めてカリーナを睨みつけた。カリーナは今度はそれをものともせずに勝ち誇ったように腕を組んだ。


「あなた、綺麗だけど、Sってことは、作り物ってことでしょ?」


 カリーナは腕を組み、精一杯、顎を上げてルナを見下ろすポーズをとった。


「アタシのはぜーんぶ、本物! 見て、この瞳! 緑色で綺麗でしょ? これ、天然なのよ。どこもいじってないの」


 よく見えるように、カリーナは自分の瞳を指差して、ルナに近づいた。ルナは特に感情のない顔で見下ろしている。ルナの様子に白けたのか、カリーナは少し離れて、また精一杯、垂れ目を釣り上げてルナを睨んだ。


「とにかく! バークシャー大佐に近づかないで!」


 言うだけ言って、カリーナはさっさと消えてしまった。ルナは天井を見上げてため息を吐いた。


 * * * *

 

 ロットワイラーはその日、1日中、訓練続きだった。射撃場でポイントを競い、ルナは1番になった。ジムではランニングマシンで競い、ルナが誰より早く走った。体術の訓練では、ルナはカロスには勝ったが、フェンには負けた。それでようやく、くさくさした気分が晴れたのか、ルナの表情に陰りは見えなくなった。仕上げにダンベルを持ち上げる。ヘトヘトになって寮に戻ると、ロットワイラーのイラストが描かれた扉の前でレイが待っていた。


 レイは深緑色の軍服姿だが、ロットワイラーの3人は、訓練後にシャワーを浴びたため、灰色のスウェット姿だった。これも軍からの支給品だ。部屋着として使われることが多い。


「レイ!? お前、久しぶりだなぁ!」


 フェンが驚きつつも、1番に声をかけて、手を差し出した。その手をレイが握り返す。


「こんな格好ですまねぇな」


「いや、こちらこそ。突然来て、すまない」


 儀礼的な会話だ。そのまま、レイにカロスを紹介する。


「カロス、今朝、話してたレイ・バークシャーだ」


「初めまして、カロス・ウィスティリアです」


 レイはカロスと握手しながらフェンに苦い笑みを向ける。


「今朝話してたって、何を話したのかな?」


「カマラード兵は、どんなもんかって話さ」


「まぁ、頑張ってはいるよ」


「それで? どうした? ロットワイラーに用か?」


 ちらと横目でルナを確認しながらフェンが問う。


「いや……ルナ、少しいいか?」


 遠慮がちにレイがルナに視線を送る。ルナは目線を下げたまま、レイを見ようともしなかった。


「今日の訓練はハードだったからなぁ……ルナは疲れてるんじゃねぇか? なぁ?」


 レイとルナの間に立ち、フェンはルナを振り返りながら言った。フェンとレイの身長は同じくらいだが、フェンの方が体格がゴツい。胸を張って立つと威圧感が増す。それにインテリヤクザだ。フェンに恐れをなしたのか、レイは両手を上げて降参のポーズをとった。


「話をするだけだ。取っ組み合いを始めようって訳じゃない」


 冗談のつもりかレイが言ったが、誰も笑わなかった。


「あ~もうっ、気まずいなぁ~!」


 突然、カロスが叫んで、ルナの背中を押した。フェンの背中にルナがぶつかる。


「ちょっと、何するのよ!」


「ちゃちゃ~っと行って、ささ~っと話してくればいいんですよ~」


 フェンが避けたところをぐいぐい押されて、ルナはバランスを崩した。それをレイが受け止める。2人は顔を見合わせ、気まずそうにすぐさま体を離した。


「先に戻ってますからね~」


 フェンと肩を組んで、半ば引っ張るようにカロスはロットワイラーの扉に向かって歩き出した。


「お、おい! カロス!」


 抗議も虚しく、フェンはカロスに導かれるまま扉に連れ込まれた。カロスはフェンよりも背が高い。着々と力をつけていく若いカロスに、フェンは抗うことは出来なかったようだ。シュッと無機質な音がして扉が閉まった。


 * * * *


「寮まで来て……何の用なの?」


 場所を移動してから、ルナが切り出した。2人がいるのは、一般兵の寮が並ぶ区画の入り口部分に当たる場所で、ベンチや観葉植物が設置され、飲み物も数種類が常備されており、自由に飲めるようになっている。普段から利用者が少ない場所で、今もルナとレイしかいない。


 レイはドリンクバーからコーヒーを選んで、ルナにも淹れた。ルナは渋々それを受け取る。湯気の上がるホットコーヒーだったが、躊躇することなく、ぐいっと一気にあおった。


「おい、火傷するぞ」


 驚いた顔でレイが心配げに言ったが、ルナは口元を乱暴に拭うとカップを捨てた。

「話がないようだったら、行くけど」


「待て、昨日の……ロットワイラーの任務内容を聞いたんだ」


「それで?」


「ルナが心配で」


「必要ない」


「俺には君を心配することも許されないのか?」


「そうよ」


 キッパリと言い放たれた言葉に、レイは狼狽えるしかなかった。ため息を吐き、そっとルナに1歩近づく。ルナは野生の獣のようにレイの動きに敏感になり、鋭い眼光を向けた。いっそ、恐ろしいくらいに澄んだ青い瞳に吸い込まれるように、レイはルナに手を伸ばす。ルナはサッと身を翻して、レイとは別の方に足音荒く歩いた。離れたところで立ち止まり、俯いて独り言のように呟き始める。


「昨日は最悪な1日だった。兄さんが死ぬ原因を作った、あのキノ・セウムの子供を助けなくちゃいけなかった」


「ルナ……」


 レイはそっとルナに近づき、肩に手を置いた。ルナはその手を振り払う。


「今日も最悪な1日だった。朝から君の彼女に絡まれて、とんだ災難だ」


「俺の彼女? 誰のことだ?」


「知らないわよ! 階級の認識もできない、カマラードの無礼な上等兵よ」


 レイにも思い当たるところがあったのか、唇を噛んで、天井を仰いだ。


「すまない。だが、あの子は俺の彼女じゃない。誤解しないでくれ」


 ルナはフッと鼻で笑った。


「そんなことはどうでもいいの。あの無礼な上等兵を、もうわたしに近づけないで。それとあなたも。誤解されたくないのはわたしの方よ」


 理解できないといった様子で、レイは小さく首を振る。ルナの怒りに満ちた瞳に影が過ぎる。


「兄さんの葬式には遺体がなかった……父さんも、母さんも泣いてた。みんなが泣いてた。だけど……わたしは泣けなかった!」


 呪詛のようにルナの声が響く。


「兄さんの婚約者だったフォルティナ・ザッカスは、葬式の後、行方がわからなくなった。彼女は今もまだ見つかってない。消えるべきはわたしの方なのに……わたしは今もここでこうして生きてる。生き残ったわたしは、兄さんの代わりに、みんなを守らないといけないの! 恋だの、愛だの言ってる場合じゃないの!」


 そこまで言い切ると、ルナは荒くなった息を整えた。


「わたしを巻き込まないで」


 冷静さを取り戻してそう言ったルナは、足音高く、その場を去っていった。レイは何も言えず、後も追えず、彼女が去るのを、ただ黙って見送ることしかできなかった。


 1人になったレイは、ベンチに座り、すっかり冷えたコーヒーを飲もうと口に運んでやめた。そのままカップをぐしゃりと握り潰す。バシャバシャと黒い液体が床に落ち、黒い水溜りを作った。

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