第2話
「おはよ~ございます~……」
あくびをしながらカロスが談話室に入る。灰色のTシャツに迷彩柄のズボンという、定番のトレーニング着に着替えてはいるが、右腕に大きなシナモンロールのクッションを抱えている。部屋の中央に備えられているテーブルにクッションを置き、椅子に座るとそこに頭を乗せて目を閉じた。
「相変わらず、朝よえーなぁ」
カロスのなんともだらしない姿に、コーヒーを入れて飲んでいたフェンが渋い顔をする。そのフェンもトレーニング着に身を包んでいる。カロスのだらしないことは、毎朝のことながら、戦場とのギャップがすごい。さながらギャップ王子といったところか。
談話室には備え付けのテレビとテーブル、椅子。それからコーヒーメーカーと飲み物用の小さめの冷蔵庫が置かれている。私物は置かないようにしているのか、ルナの部屋のようにスッキリとしていた。味気がないとも言える。
「おはよう」
シルバーの扉が開いて、ルナが顔を出した。他の2人と同様、灰色Tシャツに迷彩ズボン姿だ。ごつい黒のミリタリーブーツまで3人お揃いだ。
ルナはカロスの頭が乗っているクッションを見て、目を細めた。
「シナモンロール……」
グゥとルナの腹が鳴った。
「飯、食いに行くか」
「僕はしばらく瞑想してますね~」
「いや、2度寝だろ」
クッションに涎を垂らしながら瞑想を始めたカロスを置いて、2人は同じ階にある食堂に向かった。
500人規模の食堂は、米食やパン食、麺類など様々な食事が用意されている。壁に沿って調理場があり、種類ごとにエリア分けされていて、デザートもある。
「朝はパン。何を置いてもパン」
こだわる男、フェンは眼鏡を左手でクイっと上げ、パンエリアに直進する。ルナもそれに続いた。
「お、ルナも今日はパン食か」
無言でコクリと頷くが、実はフェンはわかってて言っている。
フェンはいつも通りトースト・スクランブルエッグ・カリカリベーコン・サラダ・ヨーグルト・牛乳をチョイスした。ルナはシナモンロール・ウインナー・サラダ・フルーツ・牛乳を取って席に着く。周りでもわいわいと兵士たちが食事を楽しんでいる。
「「いただきます」」
2人は向かい合って食事を開始した。ムードメーカーのカロスがいないので、ルナとフェンが二人になると無言になることが多い。しかし、食事の場面では、それだけが原因とも言えない。ルナは大ぶりなシナモンロールを両手で持って、口いっぱいに頬張った。サックリといい音がする。表情の乏しいルナもこの時ばかりは頬に赤みがさして、幾分か表情が柔らかい。
「「ご馳走さまでした」」
無言の食事が終わり、ブレイクタイム。2人はトレイを返却して、のんびりとコーヒーを啜った。
「カロスのやつ起こして、射撃訓練でもするか」
ルナはコーヒーカップから口を離さずにこっくりと頷いた。まだシナモンロールの余韻に浸っているようだ。その様子を見て、フェンはくっくと笑う。と、フェンの腕時計が、ピーピーと音を立てて鳴った。通信機も兼ねた腕時計を操作して、フェンは顔を曇らせた。ルナは察したようにカップを置いて立ち上がる。
「射撃訓練は中止のようね」
* * * *
その夜、ルナは廃墟にいた。既にガラスの無くなった窓に、ぽっかりと丸い月が浮かんでいる。指先まで覆う黒いボディースーツに、スーツと一体となったブーツ。極限まで防御と無駄を削ぎ落としたデザインだ。
ポニーテールにしたルナの黒髪が、夜風に揺れている。ルナの白い肌は月明かりを反射して自らも光っているようだ。
「掴まって」
ルナが足元に寄り添うように立っていた、小さな2つの影に声をかける。それは幼い兄妹で、震えることさえ許されないかのように、歯を食いしばってルナを見上げていた。兄が6歳、妹が3歳だ。
空色の瞳が兄妹を見つめ返し、手を差し出した。その手を取って、兄妹を窓枠に立たせた時、背後を慌ただしい足音が占めた。ルナは振り返ることもせず、より幼い妹を抱え、兄の方には体に掴まるよう指示を出して、思い切り窓枠を蹴って外に飛び出した。銃弾が鋭い光の筋を描いて、1つの影になった3人に襲いかかる。
頭を狙った銃弾をルナは首を傾げて避ける。その瞬間だけ、ちらと後ろを確認し、その端麗な横顔を見せた。
「バカな! ここは8階だぞ!」
銃撃の犯人の1人が叫んで、足音が窓辺に集まった。見下ろした先に3人の姿はない。
「あれ!」
指さした方向を見やると、影が空中を滑るように飛んでいた。よく見ると、窓の外側の壁、上方にワイヤーが打ち込まれている。ルナは滑車を使って、そのワイヤーを滑っていた。
* * * *
「任務完了~!」
暗い車内に場違いな明るい声が響いた。声の主はカロスだ。ボディースーツに包まれた伸びやかな体が助手席に収まっている。
「ばっかやろう、油断禁物だ! 任務は帰るまでが任務だって言ってんだろ!」
運転席からガラ悪くフェンが言う。やはり眼鏡をかけたインテリな見た目とは裏腹な口調だ。少しでもキツい物言いを和らげようと、彼は一人称を『
フェンは、口調とは違って温厚そうな細い目でバックミラー越しに後部座席を確認した。そこにはルナと兄妹が座っている。ルナは腕を組んで憮然として、その隣に怯えた妹、またその隣に懸命に強がる兄が座っていた。
「怪我は?」
「ないわ」
「お前じゃねぇ、子供たちだ」
ルナは言われて兄妹に目を向けた。ガラスのような青い瞳に見られ、兄妹はびくりとした。
「だ、大丈夫、です」
兄が妹の小さな手をぎゅっと握りしめる。
「お姉さん、たち、は……?」
「わたしたちは、ピリンキピウムの軍人よ。命令に従って、誘拐されたセウム博士の子供たちを救出に来た。つまり、あなたたちね」
ルナは『命令に従って』という所を特に強調して言った。ゴホンとフェンが咳払いをする。
「とにかく! もう大丈夫だ。私たちはS部隊だ。知ってるか? S部隊ってのは」
「し、知ってる! あ、知ってます……遺伝子操作された兵士が所属する部隊ですよね」
恐怖の色を潜めて、兄は羨望のこもった眼差しでルナたちを見た。
「お、よく知ってんなぁ! ま、父親がうちの研究員なら当然か。私たちはそのSだ。お前たちを父親んとこに連れてくのが、私たちの任務だ」
「お兄ちゃん、ママは……?」
不意に妹が問いかけた。大きな瞳に涙を溜めて、今にもこぼれ落ちそうになっている。
「ママは……」
少年の目にも涙が溢れる。視線が答えを求めて彷徨うが、それはどこにもなかったようだ。ギシリと座席が軋む。ルナが妹の方に身を乗り出していた。見下ろすその瞳が氷のように冷たい。
「君たちの母親は、死んだ」
言葉の意味を理解しているのか、それともルナが怖かったのか、妹の目からぽろりと涙が溢れた。1つ溢れると後は止めようがなく、次から次に流れ出て、そのうちに妹は声をあげて泣き始めた。兄はそんな妹を抱きしめて、必死にあやしている。自分も泣きたいだろうに、健気だ。それでも、こんな仕打ちが許せないのか、赤くなった目をキッと釣り上げて、兄はルナを睨んだ。
当のルナは平静そのもので、慈悲のない瞳で兄妹の様子を眺めている。侮蔑も、嘲笑もなく、能面のような顔で見ているだけだ。顔立ちが整っているためか、その無表情が恐ろしい。
「もう~! ルナさんってば、子供にも容赦ないんだから~」
明るい声でカロスが言う。助手席から後ろを振り返って、兄妹に優しい笑顔を向けた。
「ごめんね~、こんな伝え方になっちゃって~」
兄妹からの返事はない。妹はいくらか泣き声が落ち着いたが、兄は歯を食いしばって耐えている。カロスは長い腕を伸ばして、励ますように、兄の頭をポンポンと軽く撫でた。前に向き直ったカロスはポツリと呟く。
「でもね~、ここには、大切な人を失ってない人なんて、いないんだよ~……」
その表情は窺い知れなかった。
* * * *
SUVが月明かりの下、開けた土地に出た。砂利道をライトを消して進む。車が止まると、地面がうなり、持ち上がる。その下から点々とライトが灯る地下へ続く通路が現れた。通路を下り、駐車場に入る。空いたスペースにSUVが停まると、ルナが後部のドアを開けて降りてきた。兄妹を順番におろす。カロスとフェンもそれぞれ、車から降りてきた。
「ここまで来たら、任務完了だ」
フェンは口の端を持ち上げて、カロスに悪どい笑みを向けた。そうすると格段に人相が悪くなる。細い目と細い眉、細い唇で、上品に見える顔立ちでも、笑い方一つでインテリヤクザの本領を発揮している。
カロンは肩を上げる仕草をして、困ったように笑みを浮かべた。
「報告しに行くわよ」
2人のやりとりを背に、ルナは愛想なく言って、兄妹の手を引いて歩き出した。妹はもう泣いてはいない。しかし、泣きつかれたのか、元気がなく、足元がおぼつかない。それを知ってか知らずか、ルナは歩調を緩めることもせず、手を引いて、ずんずんと進んでいく。兄はなんとかついていっているが、妹の足がもつれた。
「ちょっと、ちょっと~、まだ引き渡しは済んでないんだから、気をつけてくださいよ~!」
すんでのところで、カロスが屈んで妹の服を掴んだ。妹は転倒することなく、カロスに掴まれた服にぶら下がるように立っている。ルナはパッと兄妹の手を離して、腕を組んでカロスを見下ろした。
カロスは勢いよく少女を抱き上げた。初めは強張っていた妹の体も、そのうち諦めたように力が抜け、カロスに身を預けた。頭がこっくりこっくりと船を漕ぎ始めている。
「ご、ごめんなさい……」
兄が慌ててカロスに謝る。
「慣れてるから、いいよ~」
その様子をルナは腕を組んだまま憮然と見つめ続けた。
ため息を吐きながら、フェンがルナの横を通り過ぎる。ついでのようにルナの肩をポンポンと叩いてから、兄の背を押して進むよう促した。カロスも後に続く。
「少し頭を冷やせ」
フェンが言って、兄妹とカロスを連れて駐車場から出ていく。車が詰め込まれた駐車場に、バタンと扉が閉まる音が響いた。ルナは組んだ腕をほどき、片手で髪を撫でつける仕草をする。ぱらりとこめかみに髪が落ちた。目を閉じたかと思うと、次の瞬間、拳を思い切り柱に打ちつけた。パラリと天井から塵が落ちた。
* * * *
指揮官の部屋にて、兄妹は無事に父親の元に届けられた。そこにルナの姿はない。
「ロットワイラー、任務完了」
「よくやった。寮に戻って休め」
フェンとカロスは、制帽を被り胸元に勲章のたくさんついた深緑色の軍服を着た年配の指揮官に敬礼した。部屋を出る時、不意に指揮官が尋ねる。
「ロットワイラーは3人組だろう。もう1人はどうした?」
ドアノブを握ったまま、フェンが唇を強く結んだ。振り返ることなく答える。
「とてもじゃねぇが、こんな光景……あいつには見せられません」
失礼を承知でそのまま退室した。残された指揮官は、跪いて子供を抱きしめる博士を見下ろした。白髪混じりの乱れた髪に、白衣姿の博士と目が合った。その瞳が問うていた。指揮官はポツリと言う。
「任務にあたったのは、あのエリオット・ビルの妹です」
「エリオット・ビル……あぁ!」
博士はハッと目を見開き、次いで、深く眉間にシワを寄せ、苦悶の表情を浮かべた。子供たちを抱きしめる手に力が入る。
「辛いことをさせてしまったようだね……」
「今回のセウム博士の功績を聞けば、彼女の思いも浮かばれるでしょう」
指揮官は目を伏せてそう言った。制帽の庇が指揮官の目元を隠す。博士は返事をすることも頷くことさえもできず、ただ、子供たちを抱きしめて、フェンとカロスが去ったドアを見つめ続けた。
兄はそんな父の抱擁を困惑しながらも受け止め、妹は屈託なく父の胸に顔を埋めていた。
* * * *
「戦場じゃない場所での任務も、あるんですね~」
指揮官の部屋を出たカロスは、頭の後ろで腕を組みながら言った。
「滅多にねぇけどな」
「母親と子供たちだけで、ネウラルに遊びに行って、誘拐されたんですよね~? ネウラルって中立国じゃなかったですっけ~?」
「あそこは中立っつっても、戦争には関与しねぇって宣言してるだけだ。だから、自国内でパラミシアとピリンキピウムのいざこざが起きても、なんの対応もしねぇんだよ」
「それって……」
「工作し放題ってこったな」
「うへ~」
「飯、食ってから寮に戻るか」
「ルナさんは~?」
「アイツは……しばらく放っとけ」
フェンとカロスはボディースーツのまま、階段で食堂に向かった。体の線があらわになったボディースーツは、側から見ると恥ずかしい格好だが、彼らにはそうではないらしい。
* * * *
その頃、ルナはまだ駐車場にいた。微かなフットライトだけが灯る薄暗い駐車場で、ルナは柱にもたれかかってうずくまっている。天井の灯りはセンサーライトになっているのだが、それが消えているということはルナは長い間、身動きもせず座り込んでいたようだ。
微動だにしないルナのおかげで、ライトは休憩している。その休憩が唐突に終わった。パッと音もなく天井の明かりが灯る。エンジン音がして、1台のバスが駐車場に入ってきた。ルナは、仕方ないと言った様子で立ち上がった。
バスからは濃紺のベレー帽を被り、ベージュの軍服を着た兵士が、ガヤガヤと降りて来る。その中に1人だけ制帽を被り、深緑の軍服に身を包んだ兵士がいた。それを認めたルナの顔には驚きの表情が浮かんでいる。見つからないように柱の影に回ろうとしたところで、声をかけられた。
「ルナ……? ルナじゃないか!」
制帽を脇に挟み、深緑色の軍服を着た男がルナの前に立った。襟元にSの文字が入ったバッジをつけている。
男の名は、レイ・バークシャー。伸ばした金髪を後ろで無造作に縛り、涼しげな目元で緑の瞳をしていた。ルナはレイと相対し、ため息をついた。レイの足元を見て話す。
「カマラードにいるんじゃなかったの?」
「戻ってきた。ピリンキピウムとカマラードが合同でチームを作って参戦することになったんだ」
そこで言葉を区切り、レイはバスの辺りにたむろしているベージュの軍団を目で示した。
「俺の教えていた兵士たちが参加する」
「そう」
特に興味もなさそうに、しかし、ちらとだけベージュに目を向けて、ルナは駐車場の出入り口に向かって歩き出した。が、レイの手がルナの手を取って引き止めた。瞬間、電気が走ったようにルナの体が震え、レイを制圧するべく掴まれた手を引いた。反対の手は、レイの顎を狙って打ち出されている。それをレイは軽く受け流した。
興味ありありでルナたちを見ていたベージュたちから歓声や口笛が上がる。
「随分な挨拶だな……戦場から離れていても、体は鈍っちゃいないぞ」
「離して……!」
攻撃をかわされた苛立ちからか、ルナはぶんと手を振って、レイの手から逃れようとした。が、レイの手がそれを許さない。
「ルナ」
レイの声が懇願するように変わる。今にも泣き出しそうな顔だ。それはルナも同じで、苦しげに顔を歪めて、今度こそ本当に手を振り払って行ってしまった。
残されたレイは苛立ち紛れに柱を殴った。1日に2発も拳を入れられた不憫な柱は、天井からまたも塵を落として抗議した。
「大佐、恋人ですか?」
「さすが軍国家! ピリンキピウムではカップルの挨拶も軍隊式なんですね!」
呑気なベージュたちがやんやと囃し立てた。レイは頭に手を当て、ため息をついた。
「そんな訳ないだろ!」
レイのツッコミも虚しく、ベージュたちは色めきたっていた。
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