短編 6「変わらない」


 真っ青で爽やかな空、転落防止のフェンスにもたれながら摘まむポテトチップスがパリパリと耳に心地いい。

 聞こえるのは名前も知らないと鳥の鳴き声と、教師が授業をする声。委員長にサボりの報告を頼んで屋上でのんびりするのはこれで何度目だろうか。

 別に授業が嫌いな訳では無い。教師との仲は良くも悪くもない。何かに反逆したいとかそういった感情を抱えるいかにもな反抗期というわけでもない。

 もちろん学校にポテトチップスを持ってくるのは怒られるようなことだろうし、授業を抜け出すのは将来の自分のためにもならなければ親にも悪いし教師だって困らせてしまうことは知っている。

 ただ、たまにはこういう日があったっていいじゃないか。と思うのだ。

 俺だって毎日屋上でサボっているわけじゃない。道中でお菓子を買って、昼間で待てず、授業内容も聞かなくてもいいかな、と思った時だけだ。偶然に偶然が重なった時だけなのだ。

 全ての教科で最低でも40点、調子がいい時に65点を取って宿題は適度に提出してれば怒られはするものの次第に教師も諦めていく。これも、週末に塾に通わせてもらっているから出来ることなのだけれど。

 綿菓子というにはいささか影のしっかりした雲が流れていくのを眺める。青というか、水色というか、そんな感じの空は今日も変わらず良い一日だよ、と俺に伝えてきていた。

 東から昇りもうすぐ南の方に手を伸ばす太陽から隠れるように換気扇の陰に腰を下ろす。すると、気持ちの良い風が吹き抜けた。

 俺みたいな奴のことを何というのだろうか。不良か。

 今日はポテトチップスだけじゃなくてグミも買ってある。たぶん4時限目は丸々出ないことになるだろう。

 たまに口の中に刺さるポテトチップスとは違って、グミは柔らかく味も甘くて美味しい。塩だらけになった口の中に広がる糖分の味は一層強く感じられた。

 校内で付けてはいけない携帯の電源を入れる。そこには委員長からの着信があった。


「武田先生、今日はすごい怒ってるよ。帰ってこない方が良いかも」


 良かった。4時限目を丸々サボる口実が出来た。

 俺は委員長に了解の絵文字を返す。送った後で彼女が通知音をONにしていないか不安になったが、どのみち後の祭りだった。

 絵文字を返して数十秒後、委員長から返信が返ってくる。


「今日は何食べてるの?」


「ポテチ」


 今度はすぐに返事が来た。


「後で少しちょうだいね」


「食べちゃった」


「え~、欲しかったのに」


「先に言って」


 委員長からは泣き顔の絵文字が返ってきた。

 だらりと腕を伸ばし寝転がる。また通知が来て腕だけ持ち上げて画面を見ると、今度は委員長ではなく店長からの連絡だった。


「明日、入れる?」


「何時ですか?」


「18時から」


「OKでふ」

「です」


 彼は返信が早い。仕事柄忙しいだろうに。生ものを触ったり切ったりしている時は返信が遅いのだとか。

 案の定、彼からは「thank you」の絵文字がすぐに返ってきた。

 大きなため息を吐いてまた大の字に寝転がる。またすぐに携帯のバイブレーターが動いた。


「トラちゃん、屋上ってどうやって行くの?」


 委員長からの連絡。それと同時にチャイムが鳴り響いた。

 屋上は基本的に施錠されていて職員室にある特殊な鍵がないと入れない。俺は彼女を屋上に入れるために小窓を開けた。


「えっ、そこから行くの?」


 屋上の扉前で右往左往する彼女に声をかけると、こちらを見て驚いた。高さにして彼女の約1.5倍。俺が手を伸ばして彼女が飛び跳ねてようやく届くほどの高さにある小窓が、唯一非合法で屋上に出るためのルートになっている。


「壁汚くなってる」


「だろうね」


「トラちゃん?」


「俺だけじゃないよ」


 手を伸ばして彼女を引き上げると、小窓を器用にくぐってきた。彼女は後ろからスカートを覗かれていないかしきりに確認しているようだったが、元々不良のたまり場だった屋上前階段に人は来ない。


「いい天気だね」


「そうだね」


 昼休みになって少し騒がしくなった学校の屋上で俺たちは座り込む。すると、どこから出したのか彼女がお弁当を置いた。


「食べよ」


「俺持ってきてない」


「私のあげる」


 そう言って弁当を開けると、そこにはこれでもかと言うほどにおかずが詰まっていた。下の段には怪力で押し固められたような白米も入っている。まるで男子高校生のためのお弁当のようだった。


「はい、あ~ん」


 彼女は肉団子をフォークで刺しに渡す。俺が素直に受け取ると、彼女は最初にサラダに手を付けた。


「健康にはベジファーストなんだって」


 俺の健康は良いのだろうか。野菜は欲しくないが。

 ところで、昼食用の500円玉をポテトチップスなんかに使わずに彼女に渡したほうが良いのではないかと常々思っている。夜ご飯用の1000円札も彼女に渡したい。彼女の作る料理は旨いのだ。

 小さい頃から料理が好きで続けているらしいが、今俺の口内にある肉団子も彼女が材料から作った手ごね肉団子なのだ。

 以前、そんな手をかけた料理を作ってくれる理由を聞いたら「君が好きだからだよ」と、言われてしまった。理由になっているような、なっていないような返事に困惑した俺が「彼氏なら、なるよ?」と返すと、「そういうことじゃない」と言われてしまった。何もかもがわからない。

 俺は美味しいごはんが食べられるならと気にしないことにした。


「あっ、そうだ。武田先生ね、トラちゃんにすごい怒ってたよ」


「あの人、昭和の人だから」


「うん、怒り方怖いよね」


 委員長が笑う。その顔を見て俺は以前にもこの顔を見たことがある気がして、考えても仕方がないと諦めた。


「おいで」


 正座をした彼女が太ももを叩いて手招きする。なんだかそうしなきゃいけない気がして、俺は素直にそこに寝転んだ。


「トラちゃん」


「何?」


「……なんでも無い」


「そっか」


 無理に聞き出すこともない。心地のいい風と柔らかい太ももに包まれて俺はまどろみに落ちていく。


「ねぇ、私の名前覚えてる?」


 そう、俺は彼女の名前を覚えていない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

短編集め @KAGEN_fantasy

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ