第29話

 その後ろ姿が消えた後、ネリネは無意識の内に肩に入っていた力を抜いた。自分を抱えるように左腕を握ると視線を落とす。


「……わたしたちは、竜の口の中に飛び込もうとしているのでしょうか」


 聖堂のぽっかりと開いた正面玄関がモンスターの口に見えてきて、ついそんな事を呟いてしまう。それに対して、クラウスはこう返してきた。


「だが、最大のダメージを叩きこむには敵の腹の中からが一番だと言う。悪魔語録にもそう書いてある」


 それを聞いたネリネは、ふっと笑って少し首を傾けた。呆れとも笑いともつかない声で冗談を返す。


「物騒なのか実践的なのかわかりませんね。その語録、こんど取り寄せて貰えます?」

「いいとも。魔界の本は凶暴だから私が読み聞かせしてやろう。ヤツら読もうとする読者の頭にかじりついて逆に知識を吸収するんだ」

「安易に知識は得られないって事ですね」


 ふふっと笑ったネリネとクラウスはカチリと視線が合う。急に真剣な顔をした二人は声のトーンを落とした。


「手紙の返事は返ってきたのか?」

「……『両方とも』返事は貰えませんでした。あの方は予想通りですけど、彼女は迷っているんだと思います」

「そうか……。まぁ無理強いはできない、保険程度に考えておこう」


 今回の作戦を立てたクラウスは、ひと筋ほつれてきた髪を撫でつけながら聖堂を見据える。ネリネの肩に手を置くと勇気づけるように一つ叩いた。


「心配しなくとも君は私が守る。その時はこの大聖堂ごと消し炭になっているだろうがな」

「そうならない事を祈るばかりです」


 目を閉じたネリネは手を祈りの形に組む。それを見下ろす悪魔はどこか面白そうに尋ねてきた。


「それは神に?」


 スッと目を開けたシスターは、聖堂を見上げ勇ましく言った。


「自分の勇気に、です」


 ***


 大聖堂はあの時と少しも変わっていなかった。空間全体が重々しく神聖な気に満ちていて、息苦しささえ感じる。ひんやりと冷たい石材で造られた内部は、月に一度教皇による説法も開かれるため大人数が収容できる構造になっている。中央あたりで仕切りの柵が設けられ、そこから後ろの傍聴席には教会に多額の出資をしている貴族家の顔がずらりとならんでいた。


「……」


 その中に養父のエーベルヴァイン卿を見つけ、脇の通路を歩いていたネリネは顔をしかめた。向こうもこちらに気が付いたのか鼻に皺を寄せにらみ付けて来る。

 彼の立場がその後、教会内でどうなったかは知らない。だが、自身の家から聖女を排出するという野望が断たれた怨みは全てこちらに向けられているようだ。ふいと顔をそらしたネリネは険しい顔のまま歩みを進める。


 貴族家の前列にはヒナコが呼び寄せたという大量の記者が入っていて、明日の朝刊の見出しを少しでもインパクトのあるものにしようと鼻息荒くペンを構えていた。


 そしていよいよ裁きの場へと立たされる。半周する腰ほどの高さの柵の中に入ったネリネは、両手を前で重ねて姿勢よく正面を見上げた。

 聖堂の前面は観衆と向かい合う二階構造になっている。上の段の中央には白いたっぷりとした布を纏う教皇が椅子に座っていた。落ち着いた様子の彼は無感情にこちらを見下ろしている。

 そしてその左、陽の差し込む位置にヒナコが居た。冷たくこちらを見下ろす彼女の隣では、ジーク王子が威嚇するように肩を怒らせている。


 役者はそろった。教皇が手にした錫杖をカーンと足元に打ち付ける。そのよく響く音を合図に裁判が開始された。


「ホーセン村教会付きのシスターコルネリア、神の御前に嘘偽りなく真実を話すと誓いますか」

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