第12話
クラウスのカゴに入っていたもの。それは今まさにネリネが探しに行こうとしたイラカの花の束だった。ツル性の植物で長い一本から枝分かれするように黒い花が四方に向けて咲いている。その中の一つを摘まんで悪魔は口を開いた。
「ちょっと自信はないけど多分あってると思う。間違ってたら言ってくれ。また探して来るよ」
渡されたカゴを照らして見分する。見た限り、必要としていた量は揃っているようだ。ネリネは震える声で問いかける。
「どうして……」
「私はこのぐらいしかできないからね」
ここで照れ隠しをするように頭を掻いた神父は、少しおどけた口調で続けた。
「まあ曲がりなりにもここの神父だし、それに点数稼ぎかと思われるかもしれないが、君と仲良くなるためにそういった下心がまったく無いといえば嘘に――ネリネ? どうした?」
カゴをぎゅっと抱きしめていたネリネは、何も言わず俯いてしまった。そうなるとクラウスからは彼女の頭しか見えない。艶のある灰色の髪が微かに震えている。
具合でも悪いのかと手を伸ばしかけた時、彼女は顔を上げた。にらみつけるような強いまなざしにぶつかり思わず怯む。
予想外の感情をぶつけられ、さすがの悪魔も驚いて彼女の次の言葉を待つ。静かな廊下では、わずかな衣擦れの音さえ立てるのがためらわれ、指先一つ動かせない。ジジッとランプの芯が燃える音だけが響いていた。
ネリネは泣いてはいなかった。だが今にも決壊してしまいそうに顔を歪ませ、やがて消え入りそうな声が震える唇から零れ落ちる。
「どうして、あなたは……っ」
「え……」
言ってしまってからシスターはハッとしたようだった。いつもの愛想のない仮面を瞬時にかぶりなおすと、踵を返して食堂へと向かう。
「すみません、何でもないです。これで次の段階に進めますね」
「ネリネ」
何かを言いたそうに手を伸ばすクラウスだったが、彼女はさっさと行ってしまう。だが、扉に手をかけたところで彼女は足を止めた。
「今からわたしがいう事は世間的に見れば間違ってるかもしれない。でも」
何を言われるのかと悪魔はギクリと身構えた。微妙な沈黙が駆け抜ける。口を開けては結ぶを何度か繰り返していたネリネは、背を向けたままやっとの事でその一言を発した。
「ありが……とう、たとえあなたが悪魔だろうと、わたしはあなたに感謝します」
あっけにとられて固まっていたクラウスだったが、扉の向こうに彼女が消えていった後でようやく言葉の意味を理解する。
ちょうど空にかかっていた雲が流れ、廊下に月明りが差し込む。その光から逃れるように悪魔は壁に背を預け、片手で顔を覆い隠した。
「礼を言うのは私の方なんだよ……ネリネ」
***
実験室、もとい台所に再び籠もったネリネは成分抽出の為に手袋をしてイラカの花を慎重に刻み始めた。だがその脳裏では先ほどのやりとりが幾度も再現されてしまう。
嬉しかった。ありがたかった。なのに、手放しで礼を言えない葛藤がネリネを苛ませていた。
どうしてクラウスは出会いがしらに自分が悪魔であることを明かしたのだろう。もし知らずに居たのなら、もしかしたら自分は彼を――
(ダメ、今はこっちに集中しなさい、コルネリア)
意識が逸れそうになる自分を叱責し、目の前の乳鉢に集中する。刻んだ花をすり潰しアルコールに浸ける、そして時間を置いたところで不純物を濾して煮詰めていく。
それを気の遠くなるほど繰り返し、やがて出来上がった透明な液体を目の前に持ち上げてランプの灯に透かす。ほんの一舐めだけでも死に至る猛毒を作り出してしまったことにゾクリとするが、気を引き締め直して次の手順に移る。出来上がった親液に蒸留水からなる希釈液を加え、倍々に薄めては計算式に書き込んでいく。
夜通しの作業は続いた。不思議なことに、時間が経過するにつれてネリネは妙な高揚感に包まれていた。次はどんな薬草が必要かと考えたかどうかのタイミングでひらめきが脳を駆け巡る。
(あぁそうか、これを足したら副作用が抑えられる……待って、だったらあっちも利用したらもっと効能の高いものが――)
それまでの経験が手をつなぎ、アイデアが次々と洪水のように溢れて来る。途中からはもう、苦しむ患者のことも、真意の読めない悪魔も、教会も聖女も全て忘れていた。ただ創作欲求を満たす為、ひたすら良い薬を開発することだけを追い求める。
途中で何度か誰かが入ってきて食料を置いてくれた気がしたが、そちらに目を向けることもなく無意識に口に押し込む。そして限界を感じたら自室に戻り仮眠をとる。
……そんなサイクルを何度繰り返しただろう。体感で言えばおそらく三日後。ハッと気付いた時、ネリネの手には一本の小瓶が握られていた。
「でき……た?」
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