第10話
驚いた声が背後から上がり、おそるおそる振り返る。ブランケットをこちらに掛けようとしていた神父はそのままの体勢で固まっていた。肩の力を抜いた彼はこう続けた。
「ああ驚いた。こんなところで寝ると風邪を引くよ」
「……」
そうだ、ここはホーセン村の教会で、自分はこの荒れ放題の台所で新薬の実験をしていて――暖かい夢から急に冷たい現実に引き戻されたようで、ネリネは知らぬ間に滲んでいた涙をこっそりぬぐった。
もう一度、神父が毛布を掛けようとしてきたのでやんわりと拒否する。いつもの真顔を取り戻した彼女は頭を振って声を奮い立たせた。
「ありがとうございます。でも、寝てる場合じゃないんです、起きます」
言葉とは裏腹に足にまったく力が入らない。何とか気力をかき集めようとしていると、
「根を詰めすぎだよ、村人を救う前に君が倒れてどうするんだい?」
「……」
「薬師が潰れてしまったら元も子もないじゃないか」
もっともな意見だったが、思考が短絡的になっているネリネにその言葉は届かなかった。頭を振りたくった彼女は独り言のように呻く。
「それでも、みんなが助けを求めてるんです。約束したんです。ここで逃げ出したら今度こそ――」
嫌われてしまうと言いかけて言葉を呑みこむ。結局は己のために頑張っているのだろうかと自分に対して少し嫌悪感が湧く。だが、慎重に言葉を選んだネリネは自分にも言い聞かせるよう低く呟いた。
「今回の毒は自然排出されないみたいです。わたしがここまで分かっている、もう少しで何かひらめきそうなんです……やらなきゃ、やらないと……」
グッと握り込んだ拳が震えている。頑固なシスターを眺めていた神父は、ふぅっと息をつくと彼女の隣の椅子をひいた。静かに腰掛けるといつもの深みのある声でゆったりと話しかけて来た。
「手がかりを掴むまでは意地でも寝なそうだね。一緒に考えてみようか」
「一緒に……?」
「私は地上の植物に関しては素人だけど、話している内に何か分かることもあるかもしれないだろう? たとえばこういう薬草はどういった目的で調合しているのかな」
問いかけにのろのろと視線を上げたネリネは、試してダメだったその草の効能を思い出す。
「それは……胃の洗浄です。入眠を促すハーブに、そっちは一時的に感覚を麻痺させて自然治癒での効果を期待した薬。ぜんぶ根本的な解決にはなりませんでした」
毒素がどこにとどまっているか分からなかったので、とりあえず経口摂取した場合のルートを洗ったものだ。と、なると毒花の胞子は別のところに入り込んで悪さをしているのだろうか? ネリネはクマのひどい目元をこすりながらブツブツと独り言を呟く。
「神経系? 吐き気や頭痛が引き起こされるのもそれなら説明がつく? でも、そんなものどうやって取り除いたら……」
寝不足ゆえか考えがまとまらない。だが、ネリネの独り言を聞き留めたクラウスは何やら考え込むような仕草でこう言った。
「神経に作用する? んー」
「何か?」
心当たりでもあるのかと藁にもすがる思いで問いかけると、神妙な声色が返ってきた。
「……見当違いだったらごめん。魔界だと二日酔いの時は強い酒をぶつけるんだ」
「酒」
いきなり何の話だと胡乱な目を向けると、魔界出身の悪魔は実に楽しそうに笑顔で人差し指を立てた。
「そうそう、魔界の酒は超強烈で、とくに特上品の辛口なんか飲むと神経がギチャギチャに焼き切れるようでね。中には痛みのあまり自然発火しだす悪魔とかも居たよ。その悶え苦しむ様を酒の席で見てみんなで笑うんだ」
「悪趣味な酒の肴ですね」
一言でバッサリ切り捨てる。精神的に参っている時に聞く話じゃないと終わらせようとすると、クラウスは慌てたように続けた。
「待った、ここからが本題なんだ。だからその、迎え酒じゃないけど、毒には毒をぶつけるとかできないかな?」
「毒には、毒?」
「それが人間に効くかどうかは分からないけど……」
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