第9話
ネリネの戦いは始まった。台所を占拠した彼女は自前の庭から摘んできた大量の薬草を持ち込み、調合を開始する。
(要は身体に残留してしまった毒素を排出すればいいのだから、体内環境を正常・活発化させれば……)
刻んでは乳鉢ですり潰し、アルコールに浸したチンキを作成する。その作業を繰り返し、いくつかのエキスを作ったネリネはあーでもないこーでもないと調合作業を繰り返す。
「できた!」
調合は夜通し続き、目測をつけていた試作品の第一号が完成した頃には外はすでに空が薄っすらと白み始めていた。できたての薬を握りしめたネリネは喜び勇んで台所を飛び出す。そして、こちらも一睡もできなかったらしい患者の元に膝を着くと、その薬を差し出した。
「飲んでみて下さい」
受け取った患者は感謝の言葉を口にして喜んだ。これで助かるのだと誰もが信じていた。
だが、どれだけ時間が経とうとも回復のきざしは見られず、患者たちは苦し気に呻き続けていた。焦ったネリネは手当たり次第に効きそうな薬草を調合したが、成果は出ない。
……。
三日経ち、苦しみ抜いた末に老人二人が死んでしまった時、教会内は絶望の底に突き落とされた。死因は飲み物さえ受け付けないことによる脱水症状だった。
「ダメ! どうして効かないの!?」
皆の前では気丈に振舞っていたネリネだったが、台所で一人になった瞬間に頭を抱えた。碌に休息を取っていないせいか、元から陶磁器のように白かった肌がいまや青ざめている。
(なんで、何がいけないの?)
焦りと不安が冷たい手となり、ひたひたとうなじの辺りをなでるようだ。悪魔に飽き足らず死神までやってきたというのだろうか。
そんなことを考えていると目の前がかすみ、視界が揺れる。ここまで一睡もせずにいたツケが回ってきたらしい。机に突っ伏したネリネはテーブルクロスをぼんやりと眺める。十分、いや五分だけ目を閉じよう。と、そんな事を考えるか考えないかのタイミングで意識が落ちていく……。
***
次に意識のピントが合ったとき、ネリネの目の前には暖かい森が広がっていた。
(ここは……)
直観的にここは夢の中だと悟る。なぜなら、視線の先には今は亡き母がこちらに背を向けしゃがみ込んでいたからだ。
『おかーさん危ないよ! それ、さわっちゃいけないおはなだよ!』
自分の口が勝手に動き、舌足らずな警告を発する。これは……子供の時の記憶だろうか?
母の手には、触ってはいけないと彼女自身から教えられた黒い花が握られていた。焦った自分は、両手を振り回してすぐさま捨てるよう母を急かす。
『――――――』
微笑んだ母は口を動かし何かを話すのだが、彼女の声を忘れてしまったネリネにその声は届かなかった。だが、遠いぼんやりとした記憶の中で、『正しい知識さえ持っていれば大丈夫』と安心させてくれた気がするのを思い出す。
しばらく不安そうにしていた自分だが、本当に何でもないことを確認すると納得したように笑った。
『そっかぁ、おかあさんはすごいんだね』
記憶の中の母は今の自分とよく似ていた。差し伸べられた手に飛びつくようにしがみつく。暖かな手のぬくもりが懐かしくてなんだか泣きそうだ。
家へとたどる森の小道を二人で並んで歩いていく。午後の陽射しが木洩れ日になり、悩みも苦しみもなかったあの頃の世界をキラキラと輝かせている。
たとえ怖いことがあったとしても、暖炉の傍で大好きな母親の膝にしがみついていれば安心できた。小さな自分の世界は絶対安全に守られていた。
見上げた先の母の笑顔は優しく、嬉しくて繋いだ手を大きく振る。
***
(お母さん……)
自分が眠ったという自覚さえなかった。だからこそ肩に何かが触れた時、弾かれたように彼女は跳び上がった。
「うわっ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます