第8話
「じゃあこれも同じ物なのかい?」
コンコンと、ガラスを指の背で叩いたクラウスは興味深そうに覗き込んでいる。ネリネは難しい顔をしながら首を横に振った。
「わかりません。花と葉の形は聞いていた物と似ていますが、花の色が違いますし、なによりこんなに強い毒性では無かったはずです」
頬杖をつき、うーん、と考え込んでいた神父は、真剣な顔をして一つの可能性を挙げた。
「水質に問題はなし。なのに、何十年と植えられていた花がいきなり毒性を持った。……杞憂ならいいんだが、作為的な何かを感じないか?」
考えたくもない可能性にぶるりと身を震わせる。誰が、何のために? 正体の分からぬ悪意に背筋が冷たくなるが、ネリネは不安を押しやり勇気を奮い立たせた。机に手を突くと今後の方針を固める。
「とにかく、わたしは解毒するための方法を探してみます。北西地区はしばらく立ち入り禁止にするよう村長にお願いし、花の方は見回りのパトロールも兼ねて、周りに水をじゃんじゃん撒きましょう。もしこの仮説が当たっているなら大地を洗えば徐々に普通の花に戻っていくはずです」
「それがいい、本部に報告するために立証は必要だからね」
柔らかい微笑みに思わずつられそうになるが、慌てて表情を引き締めてコホンと咳払いをする。まだこの悪魔を完全に信用したわけではないのだ。
***
やるべきことを定めたネリネの行動は早かった。庭の薬草畑からありったけの薬草を詰んでくると、カゴを手に患者たちが寝ている聖堂内を走り回る。
「頭痛を軽減する薬と、少しでも気分をスッキリさせる薬草です、どうぞ」
一人ひとり丁寧に回って、症状に合わせて薬草を処方していく。すっかりやつれた患者たちは、ランプを片手に回ってきたネリネにすがった。
「シスター、わしはどうなるんだ、まさかこのまま死ぬんじゃ……」
枯れ枝のような指をした横たわる老人に、袖口をクッと引き留められる。不安なのだろう。無理もない、自分も患った時は弱気になる。
(病は気から。弱気は病状を悪化させる。なら、いまわたしが確実に出来るのは、彼らを勇気づけることじゃないだろうか)
はるか昔、まだ教会の仕組みもロクに整っていない頃、かの初代聖女ソフィアは疫病に苦しむ人々の前にあらわれ、献身的な世話をし特効薬を恵んだと言う。
自分は聖女ではない。だが教会に属する者としてソフィアの遺志は継いでいる――すっくと立ちあがったネリネは、その場に居る全員に聞こえるように声を張り上げた。
「皆さん聞いて下さい! この病気に心当たりがあります。本部にも応援要請を出しました。いまわたしが急いで特効薬を調合していますので、もう少しだけ頑張ってください!」
自分のどこからこんな大声が出たのかと驚くほど力強い声が出る。少しでも信じて貰えるよう腹の底から声を出した。
「必ず! 助けます!」
患者の目に少しずつ光が戻ってくる。祈りを捧げるよう手を組み、涙を流す者も居た。
「おぉ、頼むよ……この村を救ってくれ」
「シスター、わしらにとっちゃあんたが聖女だ……」
期待と言う名の重圧が肩にのしかかってくる。だがネリネの中に迷いはなかった。力強く頷いて患者たちをまっすぐに見つめる。
もし、過去の自分に忠告できるのだとしたなら、数日後の彼女は間違いなくこの時の自分を止めただろう。この村に来るときに決意したではないか。これから先は地味に大人しく生きていくのだと。調子に乗って聖女の真似事などするべきでは無かったのだ。
後にひどい後悔に苛まれるとも知らず、ネリネは強い正義感を胸に立ち上がった。
それは奇しくも、首都ミュゼルの大聖堂で、聖女ヒナコが伝令を受け取ったのと同時刻であった。
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