第2話 君を幸せにするために来たんだよ

「!」


 ガタンと馬車が停まった衝撃で目が覚める。いつの間にか眠っていたようだ。

 目をこすりながら窓の外を見ると、辺りはすっかり明るくなっていた。どこまでも広がる畑が見知らぬ土地に来たことを痛感させる。

 身の回り品だけ詰めたトランクを持ったコルネリアは馬車から降りた。首都ミュゼルから西に数えて三つ目にあるホーセン村。ここが彼女の新天地だった。


「では、自分はこれで」


 年配の御者はたった一人の乗客を降ろすと素っ気ない一言を残し行ってしまった。残されたコルネリアはため息をついてトランクを持ち直す。


 ホーセン村はほぼ真四角の形をしており、メインとなる道が街中を十字にクロスするよう走っている。寂れてはいないが活気があるわけでもない、よくある田舎町といった印象だ。

 コルネリアは人目を避けるように裏道をたどり、東の外れにあるはずの教会を目指す。その胸中では密かにある決意を固めていた。


(もうこれからは極力目立たないよう、大人しく生きていこう)


 濡れ衣を着せられ、体よく追い出されたのは腹立たしかったが、正直ヒナコが聖女になるというなら勝手にすればいいと思った。

 元々コルネリアは平民の出だ。高い地位や名誉にそこまで執着があるわけではない。たまたま先代聖女が亡くなった日に生まれた女の子の内の一人だったというだけだ。

 九つの時にエーベルヴァイン家に引き取られ、これまでの半生を傍迷惑な運命に振り回されてしまった。だが、こうして縁を切られたわけだし、これでようやく普通の生活を送ることができる。地味に大人しく生きて行けば、神さまも悪いようにはしないだろう。


(だからもう、忘れよう……)


 胸の内でくすぶる感情に布をかぶせて見えないふりをする。タイミングよく曲がり角の先に教会が見えてきた。


 街の外れに建つその白い建物は、首都の煌びやかな大聖堂を見慣れたコルネリアの目には妙に可愛らしい物に映った。それでも周囲の家よりははるかに大きく、鐘塔のてっぺんに下げられた釣り鐘を掃除するのに苦労しそうだなとぼんやり思った。

 門扉を押し開けて敷地内に入る。鐘に気を取られていたせいか、ふわりと甘い香りに驚いて足を止めた。周囲を見回すと、門から教会に至る道の両脇にはたくさんの花の植え込みがされていた。鮮やかな花たちはよく手入れされているようで、赤レンガ敷きのアプローチに華やかな色どりを添えていた。

 花が好きな職員でも居るのかと思っていると、庭の片隅で誰かが立ち上がる気配があった。


「やぁ、おはよう」


 柔和な笑顔を浮かべて歓迎してくれたのは、薄汚れた前掛けを着けた濃い茶髪の男性だった。年はコルネリアより一回り上だろうか、花の手入れに使っていた剪定鋏を手にしたまま、彼は肩にかけたタオルで顔を拭った。布が汚れていたのかその頬に泥がベッタリと付く。


「あれ? あれれ?」

(変な人……)


 近所の農夫が庭師も兼ねているのかと考えたコルネリアは、丁寧な口調でここの主の行方を尋ねた。


「こんにちは、本日からこちらでお世話になるシスターのコルネリアです。クラウス神父様はどちらに?」

「案内しよう、こっちだ」


 庭師は手近なベンチに鋏を置くと、前掛けを外して歩き出した。その作業着の下から黒い聖職服が現れてギョッとする。彼は気配に気づいたようで、肩越しに振り返りながら穏やかに笑った。


「神父が庭の手入れをするのはおかしいかい?」

「いえ、そのようなことは」


 居心地の悪い物を感じながら言葉を濁す。

 まずい。できるだけ無難にやっていこうと決めたばかりなのに、上司となる神父との初対面から失敗してしまった。

 いや落ち着こう。彼は花を愛でるし見るからに優しそうだし、コミュニケーションが苦手な自分でも上手くやっていけるに違いない。そう己を鼓舞したコルネリアは案内されるまま入っていく。


(居心地の良さそうな教会……)


 玄関ポーチを抜け、身廊と呼ばれる中央の通路を進むと教会の内部が見えてきた。外観は白が基調だったが、内側は暗めの木材を多用していて重厚感がある。アーチを描く高い天井。両脇のステンドグラスは窓からの光を色づかせ落としている。整然と並べられた長椅子は年季が入っていたが、よく磨きこまれているのが見て取れた。


「私も数週間前にこちらに赴任して来たばかりでね、掃除は苦手だから君が来てくれて助かるよ」


 段差を上がった神父は、祭壇の前で振り向いてこちらを見下ろす。暖かみのあるブラウンの瞳にぶつかり、ついいつもの癖で視線をふいと逸らしてしまった。

 人の目が怖くなったのはいつからだろう。目が合う度に愛想のない子供だとため息をつかれたせいかもしれない。

 これから少しずつでも変えていけるだろうか。こっそりため息をついたコルネリアは、静かに問いかけた。


「先ほどは神父様ご本人とは知らず失礼しました。あの、ここで働く前に一つお伺いしてもよろしいですか?」

「一つと言わず、いくらでもどうぞ」


 飄々とした返しに戸惑いながらも、どうにも分からなかったことを尋ねてみる。


「どうして、わたしを引き受けて下さったんですか?」


 ライバルとの聖女争いに負けた候補者が、その後シスターとして生きていくことはよくある話だ。だが、払い下げられたいわゆる『聖女落ち』は我が儘でプライドが高いことが多く、大抵の神父が煙たがる存在だった。

 ましてや自分は不名誉な資格剥奪者であり、どこか遠くの――それこそ神父すら居ないような辺境の教会に、建物の管理者として飛ばされるのがオチだろうと覚悟していたのだ。

 ところが、目の前の彼は真っ先に名乗りを上げてくれたと言う。世間から後ろ指をさされるのは目に見えているのに、何故なのか。


「何だ、そんなことか」


 落ち着いた深みのある声が福音のように祭壇から降ってくる。この声で行なわれる説法はさぞ心地が良いのだろうなと、場違いな考えがふと浮かぶ。

 だがその考えも、次の発言が聞こえてくるまでだった。


「ネリネ、私は君を幸せにするために来たんだよ」

「……はい?」


 なんだその言い方は。まるで天から遣わされた天使のようなセリフ――いや、それ以前に、なぜネリネという誰も呼ばなくなった愛称を知っているのか。

 一度にいくつも浮かんだ疑問にかられ、思わず視線を上げたネリネは口をあんぐりと開け固まった。


「いずれバレてしまうだろうからね。この姿を見るのは初めてかな?」


 数秒前までそこに居たはずの神父クラウスは消えていた。代わりに出現していたのは圧倒的な存在感を放つ『人ならざる』者だった。

 赤みを帯びた黒いコウモリのような大きな翼。頭の両脇に生えた禍々しい角。神父服の裾からはとがった尻尾が覗いて揺れている。

 身体こそ先ほどの男と同一であったが、決定的に纏う雰囲気が違った。妖艶に弧を描く口元と、妖しく光る紅い眼差しから視線を逸らすことができない。

 朝の神聖な光が差し込む教会内に彼を中心として赤く光る灰が舞う。その内の一つが床に落ちジュッと音を立てる。その瞬間、ネリネは盛大な悲鳴を上げていた。


「あ、悪魔ぁぁ!!」

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