【書籍化&コミカライズ】失格聖女の下克上~左遷先の悪魔な神父様になぜか溺愛されています~(web版)

紗雪ロカ@「失格聖女」コミカライズ連載中

第1話 コルネリア、断罪される

 ガタガタと揺れる馬車の窓枠に頬杖を着き、コルネリアはぼんやりと外を眺めていた。

 明るく賑やかな都は遥か後方に消え去り、馬車は暗くとっぷりとした闇の中をひた走り続けている。

 今夜は月のない晩で、どんなに目を凝らしてもガラスに映るのは自分の顔ばかりだ。


 ふと、ガラスの向こうの自分と目が合う。見慣れたはずの顔は、思わず笑ってしまうほどやつれたものだった。沈んだコバルトグリーンの瞳も、ゆるく波打つ灰色の髪も、貴族の令嬢としては驚くほど華やかさに欠ける。

 いや、自分はもう貴族令嬢ではないのだ。ため息をつきながら顎の下で切りそろえた髪に手をやる。これから修道女として生きていくには、このくらいの長さが適切だろう。


 固い背もたれに深く座り直し目を閉じる。もう忘れようと思っていたのに、人生が転落し始めたあの日の事が思い出された。


 ***


「この場を以ってコルネリア・フォン・エーベルヴァインとの婚約を破棄する!」


 厳かな大聖堂に王子の高らかな宣言が響いた時、コルネリアの全身は打ちひしがれたように感じた。

 視線を上げれば、聖堂の上段には肩までの輝く金髪を振り乱した一人の男性が居る。スッと通った鼻筋に凛々しい眉。その下にあるマリンブルーの瞳は嫌悪感をこれでもかと含んでこちらを見下ろしている。

 典礼用の豪奢な白い服に身を包んだ彼――たった今、自分との婚約を解消したジーク第一王子は一呼吸置く間もなく、その理由を高らかに言い放った。


「こいつが聖女候補などと笑わせる。この女はジルを精神的に追い込み、自ら死を選ぶまでに至らせたのだ!」


 まるで身に覚えのない話に、手の中がじとりと汗ばみ始める。

 誓って言うが、コルネリアは自分と同じ聖女候補であったジルをいびった事など一度もなかった。彼女が塔から身投げをしたと聞いた時はショックで丸一日寝込んだほどなのに、どこからそんな濡れ衣が。そう反論しようとしたところで、王子は振り返る。そして愛おし気な声で背後に控えていた女性に声をかけた。


「そうだろう? ヒナコ」


 おずおずと進み出てきた美しい少女に、聖堂内はほぅっとため息をつくような声があふれた。

 腰まで伸ばしたサラサラとなびく栗色の髪。ぱっちりと上向きのまつげで縁どられた茶色の瞳。華奢で抱きしめたら折れてしまいそうな細い腰。

 涙を浮かべ、胸の前で両手を握りしめる彼女は、つい最近『異世界』からやってきて――そしてジルの生まれ変わりだと主張するヒナコだった。

 彼女は一度クッと息を詰まらせたかと思うと王子の胸に泣きつく。


「ジーク、やっぱり止めます! 私、断罪だなんてそんなこと望んでませんっ」

「何を言う、あの女はジルを……前世のお前を裏切って死に追いやったのだぞ! 証拠も上がっている。お前の言う通り、ジルの部屋を検めたところコルネリアからの嫌がらせの手紙が大量に出てきた!」


 高らかに叫んだ王子が、懐から取り出した紙束を宙にばらまく。足元に滑り込んできたそれを見下ろせば、思わず眉をひそめたくなる誹謗中傷が山のように書かれていた。筆跡とサインはコルネリアの物によく似せてはいるが、もちろん書いた覚えはない。

 反論しようとするが上手く言葉がまとまらない。一方、弱々しく肩を震わせたヒナコは、真珠のような涙をこぼしながらしゃくり上げた。


「でも、でもっ……ジルだった時の私が苛められたのにも何か原因があったのかもって……」


 ここでわっと顔を覆った彼女は大げさに自分を責め立てた。


「ぜんぶ私が悪いんです! 国外追放なんてひどすぎます! お願いです、コルネリアちゃんをどうか『許してあげて』下さい!」


 そこまであっけに取られてみていたコルネリアは口もきけなかった。許されるも何も心当たりがなさすぎる。だが、王子はここぞとばかりにヒナコの後押しをした。


「おお、なんと情け深い。皆に問う! こんなにも清らかで美しい心を持ったヒナコと、前世の彼女を自殺に追い込んだコルネリア。どちらが聖女にふさわしいかは明白ではないだろうか!?」


 誰かが小さく手を叩き始め、次第にそれは盛大な賛同の拍手になっていった。

 コルネリアはそこでようやく察した。これは最初から仕組まれたシナリオだったのだ。教会はパッとしない『残り物』を、さっさと処分し、彗星のごとく現れたヒロインを新たな聖女に仕立て上げたいのだと。

 なんとか打破を、状況を変えてくれないかと救いを求めて視線を巡らせる。すると、養父であるエーベルヴァイン卿と目が合った。割れるような拍手の中、コルネリアは一縷の望みをかけてそちらに手を伸ばす。


「お、お義父様……たすけ」


 一度小さくひっと息を呑んだ卿は、周囲の冷ややかな視線を感じた瞬間、金切り声を上げた。


「知らん! 私は知らんぞ!! 全部コルネリアが一人でやったことだ!! ウチとは何も関係が無いっ!」


 しん……と、聖堂内が鎮まる。卿はでっぷりとした身体で転げそうになりながら、柵を乗り越えこちらにやってきた。


「見損なったぞ、この寄生虫の穀潰しめっ、涼しい顔をしてまさかジル様にそんなご無体を働いていたとは! なぜウチの家紋を着けている!!」

「ひっ……」


 手を振り上げられ反射的に縮こまる。養父はコルネリアが羽織っていたケープを剥ぎ取った。エーベルヴァイン家の紋章が刺繍された礼装用の外套だ。


「貧しい出のお前を誰が引き取ってやったと思ってるんだ! 恩を仇で返しおって!」

「ち、違う……誤解です……おねがいはなしを」

「まだ言うか!」


 すがる養女の頬を卿は力いっぱい叩く。細身のコルネリアは簡単に吹き飛び床に崩れ落ちた。壇上から教皇の窘める声が響く。


「エーベルヴァイン卿、神聖な場での暴力行為は控えるように」

「へ、へへ、すみません。どうしても怒りが抑えられなかったもので。おお神よ、お許しください。この娘と私はもはや何の関係もないのです」


 ヘコヘコと腰低く傍聴席へと帰っていく卿は、最後に倒れているコルネリアの足を蹴っていくことを忘れない。小さく呻いた彼女は、誰にも手を差し伸べられないまま悟ってしまった。


(この場に居る全員が、わたしの有罪を望んでいる……)


 そう、この聖堂でコルネリアは独りだった。言葉を失う彼女に向けて、教皇の無感情な声が掛けられる。


「さてコルネリア、申し立てることはありますか?」


 あるはずもなかった。足掻いた所で難癖を付けられ、さらに状況が悪くなるのは目に見えている。

 じっと俯いていた彼女は、用意された悪役を受け入れる他なかった。うなだれる様子に、発端である王子とヒナコは『慈悲深く寛大な心』を演出する。


「心苦しくはあったが、公明正大を信条とする教会としてそなたの悪行を見過ごすわけにはいかなかった。だが素直に認めるならば神の思し召しもあるだろう」

「コルネリアちゃん、私、信じてるですよ! 罪を償ったあなたと、いつかまた手を取り合って笑顔で笑いあえる日が来るって!」


 きゃぴきゃぴと弾む声にギリリと頬の内側を噛みしめる。そうでもしなければ罵詈雑言が飛び出してしまいそうだった。


「では、コルネリアから聖女候補の資格を剥奪。ヒナコ殿の恩情により国外追放は取りやめ、修道女として一からやり直し、己の罪を悔い改めさせることとする。よいですね?」

「……」


 教皇の言葉を、コルネリアは無言で聞いていた。

 最後に視線を上げるとヒナコと目が合う。彼女は涙をためて口元に手をあてていた。だが、一瞬だけ目を細めにんまりと笑う。彼女は確かにこちらを見て笑ったのである。

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