夜が明けて

「芳一、こんなところで寝てしまったのかい?」

 和尚の声で芳一は目を覚ました。

 いつの間にか夜は明け、朝日が庭に差し込んでいる。


「和尚さま、お帰りになったのですか?」

 縁側で眠ってしまっていた芳一は寝ぼけながら聞いた。

「遅くなってしまったから泊って行けと言われてな。ひとりで淋しかったであろう」

 和尚は芳一をいたわる様に言う。

「いいえ。小さなお客様と話していたので、淋しくはありませんでした」

 小さな芳一が嬉しそうに言った。和尚を気遣って嘘を言っているようにも見えなかった。


「はて、客?」

 和尚に思い当たることがない。

「六日間滞在されるとおっしゃっていました。今宵も来て下さるとのこと。とても楽しみです」

 嬉々として芳一が言う。

 しかし、それを聞いて和尚は眉をしかめる。

「客はおらん」

「え?」

「いるとしたら、盆で墓に帰って来た霊くらいだ」

 六日と聞いて和尚はそう言った。夏の盆の間、浄土から現世にやってきた霊は、六日間、墓や馴染みの場所へ帰ってくる。


 芳一が昨晩のことを話すと、

「それは、安徳天皇かもしれん」と和尚は言った。

 安徳天皇は壇ノ浦で亡くなった幼い天皇だった。

「だからご自分のことのように壇ノ浦の戦いの話をしていたのですね」

 驚いていたが、芳一は腑に落ちた。


「無邪気で、愛らしいお方でした」

 嬉しそうな小さい気配を芳一は思い出した。

「憐れとは、このことなのかもしれません」

 芳一はぽつりと言った。


 真夜中に幼い子供が寺の庭を歩いていたことはおかしいと思っていた。ふつうなら子供は寝ている時間だった。でも、寺に招かれた高貴な子供ならそういうこともあるかもしれないと自分を誤魔化すように言い聞かせていた。

 和尚に客がいなかったことを聞き、昨晩会った子供が生きていなかったことを知り、芳一は改めて『憐れ』という言葉の意味がわかったような気がした。


「和尚様、少し平曲を聴いていただけませんか?」

 芳一はそう言うと、和尚の返事も聞かずに琵琶を弾き出した。

 そして、壇ノ浦の段を聴かせた。

 和尚はその様子を見て聴いて驚いた。


 いつものように、気張っていない芳一。

 はじめはそんな頼りなげで琵琶が弾けるのかと和尚は思ったが、芳一は生来の感性なのかゆるやかに琵琶を弾く。

 和尚が目の見えない芳一を寺に住まわそうと決めた才能が、ちらりと現れていた。


 哀しい旋律だった。

 幼い細い声が、その音と合わさる。

 芳一のいたわりと癒しが和尚にもわかった。


 弾き終わると、

「びっくりするくらい上達しておる」と和尚が言った。

「本当ですか?」

 年相応な笑顔で芳一は喜んでいた。


「でも、まだまだなんです。当時の想いは、これでは伝わらない……」

 琵琶を持ったまま、芳一はつぶやくように言う。


 芳一は再び壇ノ浦の段を弾き出した。

 夜に訪れるであろう幼い霊から教わるために。


 和尚は芳一に才があることを知っていたので、特に何か言うことなく、そっとその場を離れた。

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