不変の輝き①

「ようやく、会えた」

「———」



 しんと静まり返った戦場。

 一種不気味なまでに物音ひとつしないこの場で、ルリア・アールマティは彼女と向かい合っていた。


 鮮やかな金髪と金眼。右目を覆う眼帯。帯電する紫電。槍。

 長きに渡って馳せた想いの成就は、死の香る花園めいた甘い腐臭を漂わせていた。

 臭い。鼻がひん曲がりそうなほどに。

 ここは死者の匂いで満ち溢れている。


 その中心にいるであろう彼女からは当然、凄絶なまでに濃厚な死の気配と、異質なほど甘い匂いが発せられていた。

 危険な、一瞬でも気を許せば取り込まれてしまうであろう甘い罠。

 ならば、それに吸い寄せられた私はただの蜜蜂か?


 否。決して、断じて否。



「あなたを連れ戻しに来た。大丈夫、私がなんとかしてみせるから」



 想像していたものより遥かに酷い状況だけれど。

 身に積み上げてきた覚悟が揺るぐほどの、酷い姿体だけれど。



「それでも、私が——」

「ルリア、なんか変わったね」



 静かな決意を遮ったのは、場違いなほどに抑揚の高い声。笑顔。

 不死種アンデッドに堕ちようともなんら変わらないカルラの笑顔がそこにはあった。



「背も伸びた? 大人びた感じがするよ。老けたってわけじゃないけど、なんかこう……うん。取り残されたような感じがする」

「それは……うん、そうかも。私だけ、七年くらい進んでるから」



 にへらと破顔するカルラ。懐かしいその笑みに、ルリアも昔と同じように言葉を続けた。



「ふふ、はは。なにそれ。まあでも、納得はいくよ。とてもかっこいいしかわいい。大人の女って感じで羨ましいよ。あーしは、そういうタイプにはなれないし」

「そんなことない。カルラも、変われるよ」

「そう? でも自覚はあるんだ。——でもまあ、お互い変わったよねえ。たとえるなら、ルリアはプラスの方向に。あーしはマイナスの方向に。

 見た目からもわかんじゃん。まあ昼職か夜職かの違い? ルリアが働いている頃にあーしは寝て、ルリアが帰宅したらあーしは仕事に行く。そんな感じ」

「私は、カルラと同じだよ」



 確かに、お互いに変わってしまった部分はある。

 けれど、根底にある想いだけは、なにも変わっていない。

 それは己がここに立っていることこそが、何よりの証明。



「同じ人間で、同じ女の子で、同じ想いを持ってる。たとえその一部を踏み躙られようと、また取り戻せばいいだけの話」



 無くしたものは返ってこない。そんなのは、諦めてしまった人たちの言い訳だ。

 こぼしてしまったのなら、拾い集めればいい。

 見つかるまで、見つけるためならば、何度だって地べたを這いずりまわる。

 それほどまでに、大切なものだから。


 彼女それに比べたら、誇りも身分も、この命さえも蟻のようにちいさく見えるほどに。

 

 だから、



「私は取り戻したい。またこの胸に抱き締めたい。一緒に居たい。だから」



 だから、今は剣を。



「そっかぁ。ルリアなら、一緒に来てくれると思ったのに」

「ありがとう。あなたはいつも、私の腕を引っ張ってくれていた。だから、今回は私があなたの手を引く番」

「あーしに剣を向けるの?」

「それが、必要なことだから」

「……そっか。そうだよね。

 いつまでもずっと、前を歩くことなんてできないよね」



 困ったように囁いた彼女のいらえは、まるで己の足で立ち上がった妹の成長を讃えるようでいて——



「それが、ルリアの想いなら仕方がないよ。すれ違ってしまうのもわかる。

 でもあーしは——ルリアと陛下と、三人での交わりを夢見てるんよ」



 手を離れた雛鳥に向ける嘆きは一瞬。

 カルラの表情を彩ったくらい歓喜が、紫電と共に咲き誇る。



「あーしにはあーしのやりたいことがある。それを邪魔するのなら、一回死んでもらおうかな」

「許しは乞わないよ、カルラ。私も、これだけは譲れないから」



 剣と槍。互いの得物を互いに向け合って、二人は息を合わせたかのように地を踏み締めた。瞬間、爆ぜるように交わる刃。

 互いの背後を駆け抜けていく衝撃。驚いたようにカルラが身を退いて、稲妻が走る。



「思えば、こうして直接戦ったことはなかったけど……強いね。それも、あーしの想像以上に」



 背後にまわったカルラが槍を突き出すよりも早く、牽制の一閃を放つルリア。

 確かに速い。それこそ、本来の稲妻のように。

 けれど、



「あなたならこのレベルに達していると



 カルラの言う通り、手合わせはしたことがない。加えて、彼女は稀有な魔術〝雷〟を人目に晒すのをはばかっていたから、本気の彼女を知らない。精々が槍の腕前と、第三位界にまで達しているという情報のみ。


 だが、いや、それだけで十分だった。

 信頼と言い換えてもいい。飄々ひょうひょうとしていて、その実裏では努力を怠らない彼女を知っているからこそ、いま足を掬われない。


 これぐらいのことは当たり前。いいや、



「もっと強いはず」

「言ってくれるじゃん。すこし生意気。でも」



 嬉しそうに笑い、途端にギアが一段階上がる。



「あまり油断してると、サクッと逝っちゃうよぉ?」

「っ」



 文字通り目にも止まらぬ速さで繰り出された刺突が、特大の電流を撒き散らしながらルリアの横髪を掬い上げる。

 すぐ後ろを突き抜けていく衝撃波。死体を焼き焦がしてもまだ足りない熱量の雷が眩く戦場を照らした。


 そして、次に迫る刺突はあくびのように緩慢なものだった。

 先の超速度を目にした後ゆえに余計遅く感じるその刺突が、次の瞬間には鼻先にあてがわれた。



「———!」

「お、躱すねえっ!」



 上から、正面から、背後から、息つく暇もなく攻め立てられる。

 その一つひとつが器用なことに速さを変え、対処する速さも自ずと変わってくる。


 しかも、刺突すべてが先のような特大の威力を孕ませているから一瞬たりとも油断できない。徐々に体力だけでなく、精神力が削られていく。


 ——と、分析を終えたルリアが足を前に踏み出した。



「——っ!?」

「私はね、カルラ」



 鼻先が触れる。目の前には、驚愕に溺れたカルラの顔。



「あなたの全力ぜんぶを受け止めたいの」



 槍を繰り出すその前に、自ら距離を詰めることによって間合いを潰す。

 言葉にすれば簡単だが、それを実戦でやってのけるには相当の実力差がなければできることではない。


 卓越した技量を平然と見せつけ、しかも遠回しに本気で来いと挑発のダブルパンチに、カルラは怒るでも苛立つでもなく冷静に距離を取った。



「全力、全力……ねえ。あーしはこれでも大事に思ってるんよ。味がしなくなったガムは吐き捨てる。だから、味が長く続くように優しく噛んでいたいんよ、あーしは」

「ふふ、そういうタイプだったかしら? あなたは、味がなくなったガムをずっと噛み続けるような女だと思ってたけど」

「人間だった頃はそうだったよ」



 懐かしい思い出を走馬灯のように巡らせながら、カルラは目を閉じる。



「あの頃が、いつまでも永遠に続けばいいと思ってた」



 大好きな人と、大好きな学園で、好きなように遊んではしゃいで、たまに怒られて。



「いつもの日常ってヤツが、あーしはとても好きだった。それをくれていたルリアが、とても大好き。それは今も変わらない」



 だから、いつまでも続くようにと祈った。

 それがたとえ、慣れというものに味を奪われてしまったとしても。

 飽きることなんてなかったし、飽きたことなんてなかった。

 心の底から、愛していたから。



「あーしはいつまでも……それこそ永遠に、ずっと同じ日常に溺れていたかった。ルリアが隣にいる時だけ、あーしは幸せだったから」

「なら、取り戻しましょう」

「無理だよ」



 カルラは笑う。



「もうダメなの。知ってるでしょ。あーしの秘密。実の父親に薬漬けにされてまわされて、赤ちゃんまで産んで。そんなの、知ったらドン引きでしょ」

「そんなことない」

「そんなことあるよ。ルリアはそうでも、あーしは無理なの。もう、元には戻れないよ」



 笑っていた。カルラは、笑っていた。咽び泣くように。

 その表情を見て、ルリアは胸が痛くなるのと同時に、安堵した。



「ううん……大丈夫だよ。手遅れなんかじゃない。だって、カルラ……まだ人としての感情があるから」



 心まで不死種アンデッドなら、人だった時の記憶に泣いたりしない。

 後悔も恥も外聞もない、血の通わない冷酷な化外けがいにそんなことはできないから。



「まだ、やり直せるよ」

「そっか。そうだね。そうなるといいかもね。

 でも、あーしは……」



 悲しい笑みを奥に潜ませて、カルラは眼帯に手をかけた。



「あーしはもう人間じゃない。だから、

「!?」



 剥ぎ取った眼帯の奥。

 〝9〟と掘るように描かれた瞳孔が空気に触れて、カルラはえん然と表情を歪めた。

 青白い肌に熱が宿る。上擦る蒸気。発情した犬のようにとろんと目を蕩けさせて、カルラは口角を上げた。



「ここからは不死種アンデッドとして——陛下の愛人であり〝逆十字〟の九席として、ぐちゃぐちゃと下品に喘がせてあげるからね、ルリアちん♡」



 空気が変わる。暴力的なまでに冷たい風が、ルリアの頬を撫でた。

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