百女鬼 柳來は堕ちたくなかったよ……⑦
僅かに時間は遡り——
「——行くぞぉぉぉッ!!」
絶剣によりもたらされた聖絶な光を纏い、何かが駆け抜けた。
「——それは」
それは、光の竜だった。
約三メートルもの体躯を誇る、神々しい
勇ましく美しい竜種の光速による
「ああ……これは、痛いな」
痛い。痛み。痛覚。
かの竜種の突進を受けた全身が、燃えるように熱い。服もろとも肌が焼け爛れ、さらに奥の奥、魂にまで痛みが響いている。
尋常ではない聖気を内包しているのだろう。高位
「美しい」
感嘆と称賛。
「百年前なら、五十年前の俺なら殺すことができただろうに」
未だ地層に穴を穿ち続ける俺へ迫る天竜と、その背に乗るS級
輝かしく、美麗で、神々しく涙さえ滲み出るほど。
ああ、生きていてよかった。
死者が生を尊ぶなどおかしな話だが、認めよう。俺は、
俺は今、生きていることに対して初めて感謝の念を抱いた。
「——
「っ!」
故に、紡ぐのはありったけの讃美歌。
死者であるこの身だからこそ、生への尊さを理解できる。
生者は生を
故に、わからせてやる必要があった。
失ってからこそ気付く美しい刹那というものを、抱擁の中で噛み締めるといい。
「あえかに笑え。死を想え——万象、寿ぎ謳え」
滲み出る黒。渦を巻く極黒の螺旋が、俺の手から放たれた。
「
第六位階禁忌指定黒魔術。生者のパラメーターを著しく下げ、精神を蝕み壊す冥王の抱擁。
転じたばかりとはいえ、吸血鬼の真祖であるルカヌスを圧倒したジュリアス・メアリィを一瞬で狂わせた魔術だ。
加えて、詠唱も施してある。
漆黒渦巻く冥王の凶手は、進行方向上のあらゆるモノ全てを抱いて、その生に幕を閉ざす。
「乗り越えてみせろ。おまえの覚悟を、勝利への執念を俺に魅せてくれッ」
むしろその瞳には自信さえあった。
「掻き消せ、ラグエルッ」
号令と共に、竜種が
口腔より収束し、一秒と経たずして放たれた聖なる息吹が漆黒の抱擁を相殺した。
「第六を相殺か! ハハッ、いいな! 絶剣! 素晴らしい!!」
「——地上に引き摺り出してやる」
爆炎を突き抜け、音の壁を数段蹴破った
突き立てられた牙。ルカヌスとは違う、こちらを殺す気満々に猛った竜種の口腔奥で、眩い光が収束した。
「さあ、寿げよ。生者を舐めるな、
「くは——ッ」
咽び笑う声を掻き消す、埒外に膨れ上がらせた聖気の
奈落から天上へ、突き上がる光の柱。
柳來の宣言通り、地下から地上へ、太陽の下に晒された俺は無様に地面を打った。
「これで終わりだ——
「そうかい?」
大地に背を預けた俺へ、容赦なく突き立てられる刀。
まるで紙切れか何かのように刀が俺の首が刎ね、胴体と分かたれる。追い討ちをかけるようにして、竜種が俺の首を咀嚼した。
*
「斃した……私は、勝った……ッ」
砂のように掻き消えていく
勝った。勝った。私は、勝った。
正直なところ、心根の部分では敗北を予期していた。敵わない。私では、勝てないと恐々としていた。
だが、結果はどうだろうか。私は、勝ったのだ。勝利。
完全なる格上に対しもぎ取った勝利という蜜は、ああ、なんて極上なのだろう。
「私はまた、強くなれた。かなりギリギリだったが、それでも勝利は勝利。私はまた高みに近づいた」
相手がまだこちらの振れ幅に対応しきる前に殺せたのは、運が良かったからか、はたまた相手の浅はかさ故か。
とにも、魔力の消費も体への負担も激しい絶剣での戦闘は、長期戦には向いていない。そこに気付かれでもしていたら、敗北していたのは間違いなくこちらだった。
「……フラジールは、無事か?」
肉体の損傷は秒速で回復するが、精神まではケアできない。
何度殺されようと死なないが、それを許容できるだけの精神力はそうそう養えるものではない。
「私も今向かう……それまで耐えろ……ッ」
こちらも精神的に余力は少ないが、二人掛かりならやれないことはない。
「全員で帰ろう……」
まさか教皇十三番隊の中でもより凶暴、殺し屋などと畏れられた七番隊が、こうも無様を晒すなんて。他の隊に知られたら、舐められるに違いない。
そう、乾いた笑みを浮かべて、歩き出そうとした刹那。
『
低くしゃがれた声音がこだまする。
『ククッ、前戯で満足するなよ。俺はまだ、逝ってないぞ』
「———」
破裂する
禍々しい、なんて言葉では到底言い表せられない凶悪な魔力を四方に放ちながら、頭蓋骨が浮いている。
知らず、私は一歩後ろへ下がっていた。
そんな。そんな。そんな———!
終わったと思っていた悪夢がまだ続いていたかのような、そんな絶望を浴びながら、私は声も出せずただ、
『ラミレス・ペドロ・キュルテン・ルーカス・ミハイル・ジル——
約二日か。いささか遊び過ぎたが、まあその分良いものを見させてもらったよ。
これは礼だ。第七位階というヤツを見せてやろう』
第七位階——
その言葉を呑み込むことができぬまま、噴水のように溢れていた黒が集まり固まって、やがて凝縮された掌大の黒球が、完成と同時に弾け飛んだ。
「ぁ———」
向かった先は、私の背後。数キロ先にある結界。
ぞわりと声を漏らしたその刹那に、私の視界は黒白に色褪せた。
眩い黒と白。
気がつくと、私は地べたに座り込んでいて。
「あ、あ……ぁぁ」
伸びた爪先。そのわずか一センチから向こう側が、なくなっていた。
大きく抉れた……?
違う。クレーターなんて生やさしいものではない。
私の前方、いや……私の半径一メートルを除いて、大地というものがなくなっていた。
周囲には、深淵が広がっているばかり。
どこにも足の踏み場などない。どこまでも永遠に続く穴だけが、そこに広がっていた。
「———」
呆然と、言葉も出ぬまま立ち尽くす私の視界で、紫色が弾けた。
「あ、れは……!」
遠目から見て、二人。
紫電を纏い、稲妻のごとく空を疾走する金髪の少女と、その背後に掴まる紅の女。
向かう先は、前方——結界に穿たれた、大きな穴だった。
「まさか、そんな……」
第七位階の、しかも千人の聖職者たちによる祈りの力で紡がれた神聖なる結界に、穴が空いている。
そしてそこから、二体の
「あり得ない……いや、それは……どちらに対して……」
結界に穴が空いたことか。あるいは、深淵を創り出した魔術に対してか。
そんなことが、どうでもよくなるほどの気配を感じて私は振り返った。
振り返って、私は心臓を握られたかのように固まった。
「さぁ、唄い踊れよ。余所見をする暇はないぞ。何も考えるな、何も背負うな。
おまえは、純然たるおまえとして俺に献上されろ」
天から、深淵の上に降り立つ一人の男。
それはまるで、神が遣わした天使のように煌びやかで、嫋やかで、力強く、また凶悪だった。
「腰振って誘えよ。その淫らな体はなんの為にある?
その目も、唇も、胸も腕も足も、おまえの心臓も何もかもを使って俺に媚びろ」
腰元まで伸ばされた黒髪。吊り上がった黒眼。
赤と緑で彩られた、どこか民族衣装を連想させる派手な衣裳に、飾り付けられた宝石の数々。
身なりは、どこかの大貴族のそれだった。
けれど、それが身にまとう気配、魔力、そしてその顔立ちは、決して忘れられるはずがない。
「エル……マクシミリアン……ッ」
「ほぅ。初見で俺を俺だと理解するか。——まさかおまえ、俺のファンか?」
若々しい溌剌とした顔と声音。
先ほどまで対峙していた
「俺を殺した女はおまえで二人目だ。故に、極上の愛をくれてやる。大歓喜だろ、嬉し涙を噴かせよ柳來。
ああ、私はもう、ダメだ。戦えない。
彼の影が伸びる。
こんなの、勝てるはずがない。
ただでさえ、筆舌に尽くし難い強さだったのに。
今の彼は、もはや力の次元が違う。
「申し訳……ございません」
それは、誰に対しての謝罪か。
多分、それは故郷に残してきた者たちに対して。
色々と迷惑をかけました。ごめんなさい。
笑う。
私は、もう。
みんなには会えないから。
私、やっぱり勝てなかったよ。
だから、ごめんなさ
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