百女鬼 柳來は堕ちたくない③
「——フラジール……」
「
巨大すぎるスケルトンの胸骨から、奈落のように続く漆黒の穴へ身を落とす。
その間際、柳來の右腕であるフラジールの悲痛な叫びが聞こえてきた気がした。
「フラジール様が心配ですか?」
「いや……ここはすでに結界内だ。どれだけの致命傷を負ったとしても、死ぬことはないしそう簡単にやられる女じゃない」
フラジールは七番隊副隊長であり、等級はAだがSに迫るほどの実力者。
それに長いこと柳來によって鍛えられている。パラメーターの上では黄金の化け物に劣ってしまうが、この世はパラメーターが全てではない。
それに、先にも言ったおとりここは第七位界の術中。負ける道理はない。
「それよりも、自分たちの無事を祈っておけ」
「……!?」
永遠と思われた奈落の底。神話の魔物、
冷たい。そして、重苦しい。
はるか遠い頭上から差し込む光の温かさが、凍っていくような感覚。まるで地獄の最下層。
伏魔殿——そう表現するに相応しい闇が、この空間を支配していた。
その暗闇の奥で、男が嗤う。
「随分と舐められたものだな。その人数で、よもやこの俺を仕留めに来たとは言うまい」
目線よりやや上、不気味に光り輝く黒の方陣から、声は響いた。
「S級の聖女が最低三人……そうでなくともS級が十人は揃えられていると思ったが」
方陣の上。屍と宝石であしらわれた玉座に腰掛けるのは、一人の男。
宵闇の中でもはっきりと目立つ黒装束に、目深に被った
ゆっくりと開かれた翡翠の瞳が、柳來と重なる。
瞬間、
「……っ」
体が震えていることに気がついた。
「震えているぞ。それはアレか、武者震いってヤツか? まあ、そうでなくてはかなわん。百年ぶりのS級だ。しっかり愉しませてくれよ、なあ?」
「———」
問うまでもなかった。眼前のあの男こそが、
まさか、これほどまでとは。
冷汗が額を濡らす。かつての
勝てるのか?
そんな疑問が湧き上がってくる。
「は、は」
息が荒い。裏腹に、口角は釣り上がっていく。
「は、は、は、は、っ」
肉体、魂の内側から迫り上がってくる熱が、指先を痺れさせた。
熱い。激っている。熱湯に全身を浸しているかのようだ。
だから、
「おまえら、手出しするなよ」
「……っ!? ゆ、柳來様、正気ですか!?」
「正気かどうかなんて知らん。私は、アレと戦いたい」
負けるとか勝てるとか、そんなのどうでもいい。やる前に考えたって仕方がない。
私は、アレに挑みたい。
アレを斬りたい。
アレを斃したい。
そのために全力を。
決死を尽くして、向こう側の景色を拝みたい。
故に、刀に手を伸ばす。触れて、確かめる。
「——おまえなら、あるいは私を殺してくれるかもしれない」
「ほぅ……単騎で挑むつもりか。この
玉座から立ち上がることもなく、余裕気にこちらを見下す不死王へ。
柳來は、一息と共に駆け出した。
「——では、後ろの方々はわたくしが」
「!」
疾走を始めた柳來とすれ違うようにして、耳元で女が囁いた。
遅れて
その気配、高密度にまとう魔力の
ああ、確実に後ろの連中では歯が立たないだろう。
けれど、助太刀するなんて考えは毛頭ない。
無論。眼前の獣が、それをゆるさない。
すでに術中。手中に捉えられた柳來は、咆哮とともに刀を抜き放った。
「
「
「!?」
音速を超えて放たれた凶刃は、しかし突如として奔流を始めた魔力の渦によって堰き止められた。
のけぞるように刀を弾かれた柳來。体が、固定されたかのように動かない。
「小手調べに、霊装の強度を確かめてやろう」
どれだけ力を込めても、指一本動かせない。まるで金縛りにでもあったかのような硬直を受けて、柳來はただそれを見守ることしかできなかった。
不死王が、詠う。
「——ラミレス・ペドロ・キュルテン・ルーカス・ミハイル・ジル。
飢えた
狙った獲物は逃さぬゆえに、血と精の中で果てるがいい。
ああ、濡れた白よ。我が色に染まれ————
紡がれた呪詛の完成を持って、頭上より影が蠢いた。
それは、雨だった。
「がっ——ぁッ」
黒く、黒い……悪魔の雫。幾千、幾万もの呪いに満ちたそれは、槍のように鋭く、人間の頭部ほどの大きさで降り注ぐ。
全身、余すことなく雨が柳來の体に突き刺さる。
皮膚を突き抜ける衝撃。痛みで頭がどうにかなりそうだった。
凄まじい刺突を一秒の間に百も受けていると言うのに、体は虚空に固定されたまま。
落ちることも、逃げることも、声をあげることもできぬまま、いったいどれほどの時間が経っただろうか。
どこか遠いところで、ガラスの割れる音が聞こえてきた。
「案外早かったな。それに予想通り、即死耐性の他に呪い耐性も備わっているか。いい霊装だ。破られた際の補助もしっかりできている」
「——ッ」
霊装が粉々に砕ける。それと同時に、体のコントロールを取り戻す。
柳來が与えられたS級霊装には、耐久力を失った際に、周囲の魔術の効果を打ち消す式が刻まれている。
それが功を奏した。体が思うように動くと刹那のうちに感じとった柳來は、痛みを置き去りに刀を振るった。
狙うは、首。
必殺の好機。
この機会を、柳來は逃さない。
「シィッ!!」
「退かず攻めたか。さすがはS級。精神力も強靭だ。それに、外の連中も行動が速い」
首筋に
獲った——そう思ったのも束の間。
「……な」
刃は、確かに不死王の首に届いた。しかし、
「もう霊装が復活したか。ククッ、外の支援は厄介だな。とはいえ、アレを破るには相当の時間がかかる」
まるで城壁にナイフを突き立てているような、そんな感覚が手のひらから伝わってきた。
硬い。硬いなんてレベルではない。堅すぎる。
不死者の体とは思えない異常すぎる耐久力に、柳來は慄く。
「約一日といったところか。なに、それまでは遊んでやるから精々、俺を飽きさせるなよ」
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