迷宮街砦の闇堕ち防衛線⑪

「少しだけ、懐かしい話をしよう」



 俺にとってはつい昨日の出来事のように感じるが、この世界からしてみればもう、百年も前の話だ。

 俺は一度、殺された。

 S級聖騎士パラディン、ルミカ・アールマティの手によって。



「彼女は俺の恋人だった。

 その時代の聖女の一人となったルミカは、その格を与えられた直後に俺と会敵した」



 理由は明白。俺が、禁忌に手を伸ばしたから。

 俺は当時、死んだ妹をよみがえらせるために必死こいていた。

 それがたとえ世界を敵に回す行いだとしても、止まらなかったし止まれなかった。

 事実、教会に目をつけられた俺は、幾度となく聖騎士と激突した。何人もの聖騎士を殺し、黒魔術によって複数の町を滅ぼした。


 実験に実験を重ね、試行錯誤を伴いながら聖騎士を欺き、出来損ないの不死種アンデッドを使役して、俺はあらゆる人間種ヒューマンを殺して、殺して、目的に向かって手を伸ばし続けた。



「そうこうしているうちに不死種にまで目をつけられたよ。ことごとく返り討ちにしてやったが、俺はとうとう世界から見放されたんだなって、そう感じた。まあ一抹の寂しさはあったが、割り切るのは容易かった」



 誰も味方がいない。まあ、当然だろう。

 それも、自身が選んだ道。俺は、妹の死を諦めきれなかった。

 時間が必要だった。

 教会から盗んできた黒魔術の禁書と、返り討ちにした不死種の魂から奪い取った知識から、それが可能だと知った。


 ただ、それを為すためには時間が必要だった。

 今の俺では届かない。地獄を手中に収めなければならなかった。



「焦りが積もっていた。時間が経てば経つほど、蘇生も難しくなる。加えて、今の俺は不死種からも魔王認定されていた。S級聖騎士の聖女らがいつ襲ってくるかもわからない状況に、不死種連中が差し向けてきた魔神に手を焼く日々」



 そこまで来ると、研究に向かうことも難しかった。

 来る日も、来る日も迎撃に追われ。

 戦って戦って、殺して殺した。

 三日三晩を費やし七柱の魔神を封印。教会最高峰、最強のS級聖騎士をようやく退け、そしてその日を俺は迎えることとなる。



「とうとう彼女が俺の前に現れた。流石に堪えたよ。彼女とだけは、会わないよう気を張っていたんだが。七日続いた連闘に、俺は肉体的にも精神的にも、限界を迎えていたようだった」



 俺の前に現れた彼女は、とてもうれしそうに笑っていた。

 昼下がりの、共に紅茶を嗜んでいたあの時のような笑顔で、声音で、彼女は俺に言った。



「一緒に帰ろう。私はあなたと一緒なら、世界だって壊せるから——……馬鹿な女だよ」



 恋人である彼女を放っておいて、死んだ妹にかまけていた俺に、ルミカはまだ愛想を尽かしていなかった。

 いやむしろ、いつものように、ルミカは俺に手を差し伸べた。笑いかけて、愛おしいひだまりを見せてくれた。

 だから、俺は。



「彼女にならいいと思った。彼女になら殺されてもいいと思った。だから、殺されることにしたんだよ。死後、不死種アンデッドに堕ちるよう自身に呪いをかけて」



 まさか、不死種の最高位種である不死王リッチに転生するとは思わなかったが。

 僥倖。これで研究に臨める。



「それから百年、俺は黒魔術を極め、研究に研究を重ね、地獄の門を開いた。そこに己を同化、接続することによって無限の魔力を得て、死者の復活をも可能にしたわけだが——なに、俺は感謝しているんだよ。おまえの祖母にあたるルミカには、今も昔も変わらぬ愛を注いでいる」



 背後から絡みつく不可視の重さを噛み締めるように感じて、俺は眼前で膝をつく少女に言った。



「ほら、聞こえないか? ルミカが喜んでいるぞ。孫であるおまえの成長を、彼女は喜んでいる」

「……世迷言を」



 彼女——ルリア・アールマティに外傷はない。多量の魔力消費による疲労感で膝をついたに過ぎず、瞳に諦めた様子もない。

 まだ戦える。彼女の瞳はそう物語っていた。



「わたしの大好きなお祖母様を、不死種であるあなたが語るな……!」

「ああ、その熱意で俺を恋焦がしてくれよ。魂の一片たりとも残さぬほどに、俺を燃やし尽くしてくれ。——どうした? 早く立てよ。次の策を魅せてみろ。威勢がいいのは口だけか? なにを使っても構わんぞ。空掌の補充を済ませろ。色仕掛けか? 魔力を回復し、霊装を遺憾無く発揮し、俺を殺し尽くしてくれよ。さあ、早くしろハリーぃ!」

「っ……!」



 首筋に注射器を打ち付け、魔力を補充したルリアが駆ける。

 彼我の距離、約十メートル。

 そこらに突き刺さる武器を空掌に収めながら、距離を詰めたルリアは剣を振り下ろした。



「それはさっきも見たぞ」



 上段の一閃を杖で受け止める。と同時に、俺を囲むようにして開かれたいくつもの虚穴。そこから、洗礼を受けた武器が射出された。



「それともあれか? ネタ切れか?」

「くっ……!?」



 放出された数十の武器は、俺にあたらない。

 それどころか、意志を持つかのようにしてルリアへとはしる。



「下位の霊体を憑依させた。聖職者らしく祓い清めろよ」

「——接続アクセス我が主よマイ・ロード



 宙を駆け回り、ルリアを追い詰める幾重もの剣、槍、矢が、彼女から発せられた祈りの霊気によって速度を落とした。



不浄なる者どもよ、遠くへ、遠く遠ざかれへカス・ヘカス・エステ・べべロイ



 紡がれる祝詞のりとが武器に憑依していた霊たちを引き剥がす。



「一章節で俺の召喚した霊を剥がすか。聖職者としても一流らしい」



 次いで、彼女は唄いながら俺へ迫る。



「ゆえに火の業を支配し、荒れ狂う海を清め水を撒かねばならず。

 そしてすべての幻影が消え去り、のちに飛翔する聖なる無形よ。

 ——汝、火の声を聞け」



 渦を巻く聖火。太陽にも似た輝きを放つ炎が、ルリアの剣を染め上げる。

 第三位階白魔術『赤十字の聖別アエネーイス』。

 並の不死種アンデッドならば、剣に触れられなくとも、近付いただけで滅せられるであろう聖火を剣にまとわせて、肉薄する。



「せぁぁぁッ!!」

焼き焦がせフランメ

「——!?」



 逆袈裟に放たれた刃は、しかし割り込むようにして射出された炎が壁となり防ぐ。



足引く沼底タルデ



 続く第二位界緑魔術が、ルリアの足元を奪う。

 泥沼と化したそれに足首まで沈めたルリア。そこから抜け出そうともがくルリアの腹部へ、今度は不可視の鉄槌が食い込む。



吹き抜ける風槌エア・ハンマー

「が、はッ」



 沼からくの字となって転がり、追い討ちをかけるように彼女の背後に土壁を錬成。堅牢なそれに衝突し、ルリアの霊装が音を立てて割れた。

 光の粒子が消え、ルリアを守っていた衣服が失せ、彼女は全裸となった。



「ようやく耐久がなくなったか。相変わらずいい性能をしてやがるよ」



 これら霊装を、たった一人で鍛えている聖女は必ず欲しい。

 敵に置いておくには厄介すぎるし、味方にしておけば多大に貢献してくれるはず。

 近いうちに堕としに行くとして、ともかくは目先のことから片付けよう。



「さて、いい感じに乱れたようだし、そろそろ交渉と行こうか」

「く、ぅ……っ」



 地面に這いつくばるルリアの顎に手を添えて、無理やりこちらを向かせる。

 唇を噛み締め、俺を射殺さんばかりに睨みつけてくるルリアの表情は、なぜだか赤かった。

 一瞬、脳裏に生前のジュリアスの顔が過ぎったが……気のせいだろう。いやまさか、そんなはずはない。

 あいつは少しだけ特殊な性癖を持っているだけで、ルリアはきっと全裸となったから——いや、ともかく。



「おまえに選択肢を与えてやる」

「な、にを……」

「自らの意志で、俺に体を委ねろ。魂を渡せ。さすれば、おまえを永遠に明けぬ夜の中で愛してやる」

「……断ったら?」

「無論……」



 断っても断らなくても、おまえは不死種アンデッド堕ち決定済みだ。安心して、好きな方を選べ。

 俺の微笑みを受けて、ルリアは盛大に顔を引き攣らせた。

 

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