迷宮街砦の闇堕ち防衛戦⑧
「おい、ルリア」
「は、はい!」
「マルティーヌ」
「へ、へい!?」
突然マティルダ様に声をかけられるわたしとマルティーヌ様。驚いて上擦るわたしたちを一瞥し、彼女は静かに告げた。
「貴様らまで惚けるな。とっととアレを片付けてこい」
「……!」
そこでようやく、砂塵が晴れていることに気がついた。
晴れた砂塵の向こうでは、燃え盛る
その違いはきっと、結界内にいるか外にいるか。
延々と、それこそこの世界全体を覆ってしまったかのような炎界だが、その実は精々が一キロ圏内。
一キロも魔術の範囲を広げられること自体、尋常ではない技量と魔力量なのだが、そこに関して称賛する時間はなかった。
「生き残った聖騎士と連携し、
「し、しかし、マティルダ様! アレを一人で相手にするなんて無謀すぎます……!」
わたしなんかが烏滸がましい。けれど、言わずにはいられなかった。
相手は強大すぎる。未熟なわたしでもわかる。わかってしまう。嫌なほどに。情けないほどに。
だからと言って、マティルダ様の敗北を感じたわけではない。それ以上に、マティルダ様なら勝利を掴み取ってくれると信じている。だが、けれど……
「烏滸がましいぞ、ルリア」
「それは……承知の上です」
「ふん……つくづく、貴様という奴は」
そこで、マティルダ様の表情が一瞬だけゆるんだ。
常に殺伐としたお顔のマティルダ様が、めんどくさそうにわたしを見て、
「邪魔で敵わん。そこにいられては本気を出すことができないんだよ」
「それなら……」
「黙れ。貴様の価値を見誤るな」
短くなった葉巻をこちらに投げ捨て、マティルダ様は視線を悪魔に戻した。
「わかったら行け。わからなくてもここを離れろ。それで、殲滅が終わったら加勢しに来い」
そこが、せめてもの譲歩だと。
それ以上は譲る気はないと、マティルダ様は言った。
なら、わたしが取るべき行動は。
「わかりました。いえ、自分の価値などわかりませんが、すぐにマティルダ様の加勢に参じますので」
「……生意気な女だ」
最後にそう笑ったのを見届けて、わたしたちは走り始めた。
*
第五位界赤魔術『
結界を前にして右往左往していた
「屍食鬼を殲滅するわよ! なるべく固まって動いて!」
マルティーヌ様の言とともに矢が疾る。瞬きのうちに放たれた矢の数は三つ。それぞれ貫通効果を乗せられた矢が屍食鬼の脳天を貫き、勢い殺すことなく次の標的へと駆け、爆ぜる。
屍食鬼の固まった地点で聖なる光が弾け、不死者たちは頽れていく。
「ルリアちん、あーしから離れないでね」
「それはこっちの科白よ」
カルラの槍とわたしの剣が迫る屍食鬼を穿ち、斬り飛ばす。さらに返す刃で屍食鬼を上段から真っ二つに裂く。その向こう側で、同じく屍食鬼を切り捨てたテオドールと目があった。
そこには先ほどまでの不安定な表情はどこにもない。
だが……
「テオドール。あなた、あの悪魔を知っているの?」
「……!」
わたしの質問に、彼は表情を歪ませた。柄を握る力が強まっている。
まさかとは思うが、もしもの場合は彼を切らなくてはならない。
近づいてくる屍食鬼にも注意を向けながら、わたしは彼の返事を待った。
程なくして、
「——ジュリアス・メアリィ。彼女は、A級冒険者だ」
「冒険者?」
「昔、おれと彼女は同じパーティにいたことがある」
絞り出すように言った言葉。その表情から、嘘をついているようには到底思えなかった。
「彼女は歴とした人間だ。そのはずだ。彼女の両親はシュティリアの貴族で、公爵家の三女だ。それは、実際にこの目で確認している」
「シュティリア……帝国の公爵? それが本当なら、なぜ彼女はあのような」
脳裏に蘇る、悪魔の妖艶な表情。
ジュリアス・メアリィと名乗るあの
吸血鬼は、異種族の血を吸うことによって種の転換を行い、自身の配下に加えることができる。屍食鬼がその典型で、下位吸血鬼の存在を示している。
けれど……
「彼女は悪魔……そして事実なら、
これもまた真実。
悪魔に体を乗っ取られた、とかいう段階はとうに超えている。
あれは悪魔そのもの。悪魔祓いでどうにかできるレベルではない。
「人間を悪魔に転ばせることなんてできない。死後、呪いによってスケルトンや下位の
「わかってる。だから、それは後で問いただすとして、だ」
テオドールが苦虫を潰したような顔のまま、周囲を見渡した。
「静かすぎないか?」
「え……? それは、どういう」
「思い出してみろ。屍食鬼の後方で、生き残っていた聖騎士が暴れていたろ」
確かに、と頷く。数までは視えなかったけれど、確かにわたしたちが今いるこの場で、何者かが屍食鬼と戦っていた。
よくよく観察してみると、周囲に戦闘痕だってある。しかし、
「そいつらはどこに行ったんだろうな」
「………」
寒気が背筋を襲った。
「前方に戻ったんじゃ?」
「戻る理由がないだろ。敵の数も未知数。それならこちら側に撤退して合流したほうが得策なはず。何せ、背後では第五位界の結界が張られてる。多少熱いが、霊装があれば真夏の海水浴とそう変わらない程度で済むし」
その例えはどうかと思うが、テオドールの言は
霊装が守ってくれている。それこそ、不死種でなければ熱に晒されても問題はないはず。あの悪魔が脅威とはいえ、マティルダ様が相手にしているのだ。こちらを気にする余裕なんてないだろうし、結界の端なら戦闘の被害も少ない。
そこまでのことを考える余裕がなかったのか。あるいは、マティルダ様との共闘は初めてか。
「ともあれ、この先に——」
「二人とも、何か——来るわ」
「「!」」
マルティーヌ様が囁く。わたしとテオドールは、瞬時にその方角へ目を向けた。
「なに……これ」
雑木林の奥。薄暗い闇の中から、確かに一つの靴音が聞こえてきた。
生唾を飲み込む。
なんだ……この異様なプレッシャーは。
足音が近づけば近づくほど、全身に圧力がのしかかる。
尋常ではない、黒い気配。
一体、何がやってくるの?
「……!」
冷汗が背筋を撫でる。暗闇の向こう、蠢く黒い輪郭が月の光に当てられ、赤くその姿をあらわしていく。
それは、一人の壮年の男だった。
足が止まるのと同時に、右手に持つ
「ああ——」
息を吐き出す。低くしゃがれた吐息が放たれたその瞬間、わたしの体は動いていた。いや、わたしだけではない。
カルラの槍が、テオドールの剣が、それらよりも速くマルティーヌ様の矢が男に向かって放たれていた。
正体を問うまでもない。本能が激しく鳴り響いている。アレは、やばいと。
早々にどうにかしなければならないと、本能が訴えかけている。それはどうやら、この場にいる全員がそう感じているようで。
だから——
「懐かしい顔がそこにある。愛おしい、我が恋人よ」
その声を聞いて、その瞳に充てられて。
わたしの中の何かが熱く蠢いた。
これまで、一度も感じたことのない熱。
カルラに触れられるよりも心地いいそれが一瞬、わたしの内側を駆け巡った。
瞬間、
「それ以外は邪魔だな」
「———」
言葉が発せられたその瞬間、黒い疾風のようなものがその場を駆け抜けた。
その風力に矢とわたしたちの得物が押し返され、
「ルカヌス」
「——御意に」
そんな言葉とともに、テオドールとカルラの体が左右へ吹き飛ばされていった。
地面を抉り、何度もバウンドしながら止まることなく、雑木林の奥の奥へ二人が消えていく。
何が起きたのか、全く理解が追いつかない。
混乱の境地において、微かな呻き声を聞いてわたしは振り返った。
「……マル……ティーヌ様……」
振り返って、目にしたのはマルティーヌ様の
血溜まりに沈む体。その傍らで、マルティーヌ様の首が持ち上げられていた。滴る血液。それを浴びるように飲む何者かが、そこにいた。
黒い髪。褐色の肌。それに、アレは……霊装?
神聖さの欠片もないが、身に纏うアレは間違いなく霊装で。
「そういえば、眼鏡っ子は一人もいなかったな」
「はい。主様」
「よし、回収しておけ」
「仰せのままに」
何を、言っている?
回収? それは一体、どういう——
「——さて、数奇なことだが」
「……!」
目の前でマルティーヌ様の姿ごと掻き消えた女。それを見計らって、壮年の男が口を開いた。
「アールマティの血筋か。皮肉なものだ」
「——!? なぜ、わたしを……」
「お前のことは知らん。だが、お前によく似た女なら知っている」
言って、男は微苦笑を浮かべた。
「まるで生写しだな。また、俺を殺しに来たのか?」
「あなたは……一体、何者なの……?」
「俺は、敵だよ。今も、昔も」
「そんなことは、わかってる」
聞きたいのは、そういうことじゃない。
剣を油断なく構える。すでに射程内。いつでも懐に潜れる。あの首を獲れる。その距離に相手がいるのに、何故だろう。彼を殺すイメージが湧かない。
「あなたは……
「その確信があったから、攻撃を仕掛けてきたんだろう?」
その通り。前提として、こんな危険地帯に一般人が紛れ込むはずがない。
「だが、そうだな。別に隠す必要もない。どうせお前も、こちら側に足を踏み入れることになる」
言って、男は名乗った。
その名に、わたしは危うく剣を落とすところだった。
だって、その名は。
「エル・マクシミリアン——ただの
お祖母様の時代に死んだはずの魔術師であり——
お祖母様が愛し、その手で殺した恋人の名前だったから。
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