迷宮街砦の闇堕ち防衛戦⑥
アレは、間違いなく
どこから現れたのか、前方の防衛線を担当していた
「あたしがやるわ。貴方たちは周囲の警戒を」
言って、マルティーヌ様が弓を構える。
矢を必要とせず、魔力を注げばその量によって矢を生成する『霊装弓カーテナー』。
弦に指を添わせ、引き絞る。
白金の光が矢を形造り、放たれたその瞬間には不死種の額を射抜いていた。
対不死種の霊装故に、本来なら特別な過程を踏まなければ殺せない吸血鬼の末端でさえも一撃の元で葬り去ることができる。
二十四時間にもわたる聖女の祈りによって創り上げられた霊装は、あらゆる不死種の弱点と成り得るのだ。
「
後ろへ倒れる不死種。それとほぼ同時に、夜が訪れた。
「な……っ!」
夕暮れ間近だった空が、一変する。塗り変わるように夜へ堕ちた空。星の煌めきすら映さない漆黒に、今にも地上に降り立ってしまいそうな紅の満月だけがそこにいた。
「こ、れは……魔術?」
カルラが震えた声で呟く。
「魔術? だとしても、昼夜を入れ替えるなんて、そんな魔術……!」
「いや、昼夜を入れ替えたんじゃない……これはおそらく、塗り替えた。一種の結界か」
まだ比較的冷静なテオドールが満月を睨みつけながら分析する。
「しかし、これだけ広大な範囲に届かせるなんて……下手したら第五位階を越える魔術かもしれない」
「第五位階? そんな人間離れした魔術を扱える奴が、向こう側にいるってこと?」
「わからないし、そんなことを考える暇もなさそうだ」
「!」
テオドールが前方を睨みつける。薄暗闇の中から、無数もの人影が現れた。防衛線Cと定められた雑木林から、概算して百を越える不死種の群れが雪崩れのごとく駆けてくる。
「ここ数日で襲われた被害者たち……? 趣味の悪いことやってくれるじゃんね」
「どうやら、それだけじゃないみたい」
マルティーヌ様が弓を再び構える。
「目視できるだけで一〇人の聖騎士が屍食鬼になってる。前の防衛線は壊滅したと考えたほうがよさそうね」
「そんな……!」
「悔しいし腹立たしいけど、あたしたちもああなるわけにはいかない!」
引き絞られた矢が音を置き去りにして不死種の群れへ突き刺さる。着弾と同時に閃光が瞬き、周囲の屍食鬼たちが絶叫と共に地に伏していく。
「ここが最終防衛線よ。ここを突破されれば、罪のない大勢が殺される」
マルティーヌ様の言う通りだ。殺され、挙句の果てに不死種へ転ばされるという筆舌に尽くし難い屈辱を、後ろの民たちが味わうかもしれないのだ。
そのような無慙無愧、決してゆるされる行いではない。
「――俺たちの手は必要かい?」
無数もの蠢く不死種たちの軍勢を前に、勇ましい男の声が響いた。振り返ると、そこには二〇人の冒険者たちが各々の武器を片手に集まっていた。
「貴方たちは……」
「俺ら冒険者も戦えるぜ。不死種とやり合ったことだってある。黙って女の子らの背に隠れてるなんざ、性に合わんし恥ずかしくて死にそうだ」
「肉壁が必要かい? なら俺たちがそれを担おう」
「美女揃いの聖騎士とお近づきになれるなら、地獄だって開拓してみせるぜ」
口々に頼もしい言葉を飛ばす冒険者たち。皆がB級という猛者だ。かなり心強い。
「なんだ、あの数は。悪夢でも見てるのかしら?」
「前の奴らは全滅か? 冗談かなんかと思って冷やかしに来てみたが……」
左右を担当していた聖騎士の班もこちらに合流する。これでこちらの数は三〇を超えた。しかし、依然として戦力差は覆らない。けれど、
「――ふん。全滅だと? 甘くみるなよ小娘ども」
そんな威厳に満ちた声が上空から聞こえてくる。あれは、いやあのお方は……
「マティルダ様……!」
「メスみたいな声を出すな、ルリア。犯すぞ」
「い、いえ……なんか申し訳ありません」
都を守る砦壁の上、そこに葉巻を加えたマティルダ様がいた。
「まあいい。ともあれ、アレを視ろ」
「……?」
視線で促す先は、今なお勢いを衰えさせずこちらに迫る不死種の群れ。
「貴様には視えないか? あの輝きを」
その瞬間、不死種の後方で爆発が起きた。
何が起きたのかはわからない。ただ、この肌身に感じる気迫が証明していた。
「そう簡単に全滅するものか。我らは神の裁きそのもの。いわば神の代理としてこの地に立っている。異端なる
「ええ。マティルダ様の言う通りです」
頷いて、わたしは手のひらを重ねた。
「尊き主がお傍におられる。ならばもう、勝利は揺るがない」
空掌を行使する。
地響きのごとく空間を歪め、開かれた穴は百。
「いいだろう。開幕の合図には遅過ぎたが、まあ相応しいよ」
穴から覗くのは、これまで蓄えてきた霊装の数々。聖女の祈りが込められた、対不死種武器。
それぞれB以下のランクとはいえ、屍食鬼程度なら必殺足りえる。
「みせてみろ。かの英雄の力を」
一斉射出――わたしの念に応じて放たれる無数の剣、槍、あるいは矢、弾丸が不死種の上部より降り注ぐ。一瞬にして砂塵と暴風が視界を奪い、けれど止むことなく滂沱の雨が続いた。
やがて投擲用の武器を出し尽くし、静寂。
呆気に取られる周囲の方達の視線を浴びながら、わたしは空掌を閉じた。
「これで三割は削れるといいのですが」
「いや……いやいやいや」
あんぐりと口を開いた冒険者の方々。他にも、わたしの空掌を知らない聖騎士の皆さんとテオドールも、驚愕に目を向いて言葉を失っていた。
「七割、いや八割は死んだでしょうね」
「いやいや、全滅でしょ~う」
呑気なカルラとは違い、マルティーヌ様は油断なく前方を見据えている。
しかし、
「すっげえな! 嬢ちゃん、あんた何モンだ?!」
「あれも魔術か?! その歳で、こりゃあ歴史に名を残す魔術師になるに違いねえな!」
すでに漂う戦勝ムード。褒められて悪い気はしない。ただ、こうなると不測の事態に対応できなくなる。
まだ砂塵は晴れていない。敵をどれだけ滅することができたのか。あるいは、どれだけ生き残っているのか。それを目視するまでは、喜べない。
「下級の霊装は出し尽くしてしまいました。霊装ではない武器がまだ三百ほど残っていますが、念のために射出を……」
と、わたしは壁の上に立つマティルダ様に目を向ける。
マティルダ様は、咥えていた葉巻を足下に落とした。
「なんだ……あれ、は……」
震えて……いるの?
あのマティルダ様が、狼狽えている。
ガクガクと、全身を震わせて。何かを目にして、震えている。恐れている。
その恐怖がこちらにまで伝播したかのように、わたしの体にも震えが走った。
「いったい……何を」
瞬間、ぐちゃり――と、嫌な音がすぐそばで鳴った。
「え」
同時に、地面を揺らす衝撃でわたしは吹き飛んだ。
何が――?!
慌てて体制を整え、身構えたわたしは言葉を失う。
つい寸前まで、立っていたそこに紅の花が咲いていた。
それは、手だった。足だった。そして二つの首だった。
不自然に胴体だけがなくて。いや、そこにあった。潰れていたのだ。まるで木の枝から落ちた果実のように、べっちゃりと。確かに、そこに人間だったものが二つ、あった。
片方は知っている顔。冒険者のリーダー的存在感を出していた男だ。
もう片方は、以前に一度だけ組んだことがある男性の
「………ぁ」
「初めまして、こんばんは。ようこそ、皆々様方」
声が出ないわたしに代わって、欲情を誘う甘い声音が夜に走った。
「今宵は愉しい夜にしましょうね。ええ、そのために三日も待ったのですから」
声の場所は、すぐにわかった。
上空――真っ赤に染まった満月を背に、その女は立っていた。
「男性には無慈悲な死を。女性には栄誉ある抱擁を。選別としての役割を担わせていただきます。わたくし、名をジュリアス・メアリィ――種としての名は、
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