新生のルカヌス②
「腹は減っていないか? 喉の渇きは? 瞳孔が開いているな。食事を必要としているみたいだが」
「あの、私……こんなのなかったのに」
「いい機会だ。迷宮の外に出て、眷属を増やして来い。食事も兼ねてな」
私の肩に手を置いて、不死王は言った。
「さ、触らないでっ!」
その手を払い除けて、私は壁に背を預ける。不死王は、至って冷静に私を見つめた。
「わ、わた……私に、何をしたの……!?」
「見ての通りだが」
「わ、わからない……わからないわよ、こんなの……!」
力任せに片方の八重歯を抜く。血が床に滴った。もう片方の八重歯を抜こうとして、気付いた。今し方抜いたはずの歯茎から、何かが生えている。
「う、そ」
この再生力に特徴的な部位。
こんなの、まるで私が——
「認めろ。おまえはもう、
「―――」
崩れ落ちる。床に落ちた八重歯が鈍く光った。
認めたくない。認めたくない。こんなことって、こんな……
「おまえは——」
「言わないでよ……!」
「
自分の口から悲鳴が漏れた。
吸血鬼。
生者の血を啜り、卑しくも永遠を生きる化け物。
私が、その吸血鬼に?
冷たい地面に転がる八重歯と、ジンジンと熱が灯る歯茎の感触がそれを証明していた。
それからの行動は速かった。
「――よせ」
「止めないで、私はッ」
ベッドの傍らに置いてあった剣を抜き、首に突き立てる。皮を裂き、肉に届くその前に剣は静止した。いつの間にか目前に来ていた不死王に、手首を掴まれていたからだ。
「その程度の銀剣では真祖たるおまえを殺すことはできない。悪戯に痛みを負うだけだ」
「嫌、嫌いや……! どうして私を化け物にしたの!?」
懇願にも似た問いかけに、不死王はただただ冷酷に答えた。
「死んだおまえをどう使おうと俺の勝手だ」
「っ、……!?」
「なぜなら俺は
「そん、な……」
もはや剣を握る力すら出てこなかった。
私はこれからの永い時を、穢れた体で過ごさなければならない。そう思っただけで、体内の血液が沸騰しそうだった。
「真祖であるおまえは日の光にも耐性がある。滅多なことでは死なないが、念のために命じておこう。――自害を禁じる」
ストン、と下腹部で何かがハマる感覚。
そして理解する。自死は選べない。考えようとすれば思考がモヤのように掻き消されていく。
何をされたのかなんて、考えるまでもない。
不死種は、生みの親たる不死王の言葉に従わなければならない。
そうした制約が課せられるのだと、授業で習ったことがある。
「さて、いささか落ち着いたようだし俺の……いや、俺たちの目的を教えようか」
パチン。不死王は指を鳴らすと、背後の扉から二体のスケルトンがやってきた。それぞれ黒板の端と端を重たそうに持っている。二体が不死王の隣までやってくると、勢いよく肩の高さまで持ち上げた。
「俺たちの目的は二つ。一つは生者の転覆だ」
黒板に
「生と死を逆転させ、死者が永遠に蔓延る世界を創りたい。――はい、質問あるひと挙手」
「………」
こちらを見つめてくる不死王。私は唇をキツく結ぶ。
「ふむ。強情だな。――質問があれば訊け」
卑怯だと思った。硬く閉ざしていた唇が、意思に反してあっさりと開く。
「なんのためにそんな世界を?」
「うむ。それは俺の性癖に依るところが大きい」
「性癖?」
「俺は、アンデッドしか愛せないからだ」
「――は?」
真顔で、真剣なトーンでそんなことを言い出した不死王。私は自らの意思で彼を蔑んだ。
「俺がまだ生きていた頃。憎き生者たちによってトラウマを植え付けられたんだよ。知ってるだろ、俺の人生が舞台化されてるのなら」
「……最愛の妹を殺されたから?」
「加えて、愛してきた人たちに裏切られたから。壮絶な手のひら返しを受け、果てには恋人に殺されたんだ。トラウマの一つや二つ、仕方がないと思わないか?」
「それは……」
「何よりも、勃たないんだ」
「……は?」
「男として大事だろ?」
被害者面で肩をすくめる彼に、少しだけ同情した自分を殺してしまいたい。
恋した物語の主人公。それの本性と現在を目の当たりにして、私は激しい怒りを覚えた。
「ということで、世界を死者一色に染め上げる。そして全てを俺の支配下に収めたのちに、争いのない世界が実現される。死者だからな。誰も死なないし、俺によって争いは禁じられているから永劫平和。
まさかの不死種が世界平和を求めているなんて誰も考えやしないだろう。そのための力も、この百年でつけてきた。あと必要なのは、そう」
不死王は手をこちらに差し出した。
「二つ目の目的――アンデッドの嫁だ」
「嫌よ」
首を左右に振って断固拒否する。たとえ穢らわしい不死種になったとしても、不死種に体を委ねるようなことだけはしたくない。
それに世界平和?
不死種ごときが、世界滅亡の間違いではないのかそれは。
そんなもの、絶対に完成させてはならないし早くこのことを誰かに伝えなければ。
「意固地な女だ。……いいや、そういうものか。洗脳を怠るとこういう反応が楽しめる、と。支配は容易いが、もう少しだけこのツンデレというヤツを味わうとしよう」
「わ、私に命令したって無駄よ。体はあなたのモノになっても、心だけは渡さない!」
そもそも、私は年上好きじゃないのだ。誰がこのおっさんの嫁になるものか。
それに、
「百以上も年下の女口説いてんじゃないわよ、このロリコン!」
「ぐは……ッ」
四つん這いとなって胸に手をあてる不死王。息苦しそうに呻いていた。白魔法並にダメージを与えられたのかもしれない。
「……俺にこうも生意気な態度を取れる不死種は希少だからな。よいぞ、おまえの全てをゆるそう。そうでなくてはいけない。そうでなくてはな。おまえは特別なのだから」
しかし、と不死王は気取った口調で続ける。
「そろそろ食事を摂らねば自我を失いかけない。真祖の吸血鬼に暴れまわられては、こちらとしても堪らん。よって、ルカヌスよ。第一王妃よ。命を授ける」
「いつの間に私の名を――って、王妃とか呼ばないでッ」
しかも第一ってなに? 第二、第三もつくられる予定?!
……いや、やめよう。そんなことを気になり出したら、嫉妬してるとでも思われておしまいだ。耐えるしかほかない。
どのみち、彼の命令には逆らえないのだ。不死種の王たる彼には。
「迷宮の外に赴き、おまえの力を試してこい。不死種となったおまえの力を」
「仰せのままに――」
意思に反して片膝を折り、恭しく首を垂れて命令を承った。
「眷属の作り方、食事の仕方等々。本能に身を任せれば問題はないだろう。初陣を血で染め上げろ」
帰還を楽しみに待っている。
そう告げて、瞬間――私は眩い光に包まれていた。一瞬の浮遊感。気がつくと、私は迷宮の外に立っていた。
転移魔術か。しかも長距離転移魔術。扱える術師などこの国に一人もいないほどに習得が困難かつ危険な魔術を、詠唱もなしに使ってみせた。
「流石はマクシミリアン家史上、最強と謳われた天才魔術師……」
黒の王、エル・マクシミリアン。
都市一つをまるごと地獄に変え、復讐に燃えた悪しき魔術師の力は健在のようだ。
「まさか不死王として生きながらえていたなんて。教会に報告したいけれど、不死種となった私じゃ誰も相手にしてくれない……」
それどころか、神罰の対象として抹殺される。
聖職者として神に仕え、聖騎士として魔を滅ぼしてきたこの私が、魔に堕ちた。耐え難い屈辱であり、死んでも死にきれないほど腹立たしく筆舌に尽くし難いが。精神の壊れた肉塊とならないのは、主人であり絶対的支配者である彼の命令がある故。
彼が存命のうちは、自死どころか棒立ちだってゆるされない。
「……今は考えても仕方がない」
不死王の気配が消え、静寂に包まれたことで湧き上がってきたモノがある。
それは、飢えだ。
腹が減っている。空腹なのだ。しかもそれは、物質を腹にぶち込めば癒えるような類じゃない。
いわば、精神の飢え。
掻きたくても掻けない。痒いのに、そもそもどこが痒いのかわからないといったもどかしさ。
加え、腹部の下あたりが熱い。これは、発情か。
「嫌な体……卑しくて、穢らわしい」
艶かしく吐き出す息を殺しながら、私は殺伐とした森を歩み始めた。
生者の血を求めて。
ふらふらと。不確かな足取りで。
けれど、目的地ははっきりとしていた。
ここから南、森を抜けた先に大きな町がある。三つの迷宮が隣接する特殊なこの土地は、数多くの冒険者を招いている。迷宮から一番近い町。多くの冒険者はそこを拠点としていた。
「血……血が欲しい」
無意識に絞り出た言葉。まるで夢でも見ているかのような朦朧とした中。
微かな人間の匂いを辿って、私は歩いた。
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