過去話 景 前編 【私に名前はないけれど】


 物心ついた頃、とある施設にいた。


 生まれは知らないが、育ちはここ。

 お父さんだか、お母さんやらそんな生き物が私にいたのかも正直分からない。まぁいない訳ないのだけれど、

 今だから思うがただ言える事、それは私にとってあの生活がさも当然かの様に思えてしまっていたということだけだ。

 当たり前のようにそこで育ったのだから仕方ないだろう。


 だから、


「おい”十二番”行くぞ」

「はい」


 思考することを辞め、無気力に生きていた私にも”十二番これ”が一人の人間としてまともな名前ではないことだけは分かっていた。


 まぁどうでも良いことだけど、


 自分の名前が呼ばれ何もない真っ白な部屋からこれまた白い廊下を抜け、大きな部屋の中心に置かれた固定器具の付いた椅子に座る。


「十二番……健康状態良好。新薬結果____無し」


 渋い顔をした男はしばらく考える素振りを見せ、次はこれだ、と赤黒い液体の入った注射器を私の腕へと刺した。


「……」

「よし終わった。結果が出るまで時間が掛かるから連れて行け」

「はい」


 何やら大人達が話しているがよく分からない。


 そうもうお分かりだろうがこれ”十二番”がここでの私の名前だ。

 気付いた時には殆ど消失していた痛覚も今にして思えばラッキーだっただろう。


 何故なら、


「いやーー!! 嫌だ嫌だぁぁぁぁぁ!!!」

「大人しくしろ!! おらっ!!」


 遠くで泣き叫ぶ子の声と男のドスの利いた声が聞こえたと同時に打撃音、正直毎日必ずあることだからなんとも思わない。


「ほらいくぞ」


 大人しくしている私が例外なだけで基本はこんな感じだ。

 起きて検査をし、よく分からない薬を打って、結果が出るまで待つ。何年もこれを繰り返しているが彼らのしたいことが全く分からない。


 常に暇で大人しくしているから罰を受けず、やることのない日々。


 そんな日々に飽き飽きしていたからだろう。私は研究者の目を盗んで施設を抜け出した。



「お腹空いた……」


 脱走してからしばらく、人気の無い森にあった施設から離れ続け、何処へ行くかも分からないトラックの荷台に紛れ込み辿り着いた場所はなにやら綺麗な街だった。


 初めて見る景色ばかりで見て回りたい気持ちはあったが、自分の姿を確認するとその気持ちも消え失せる。

 泥や埃でボロボロになった元々白かった服や、物心ついた頃には付けられていた相棒の大きな首輪は絶対によろしくないだろう。


 なので、


 「ふんっ!!」


 相棒の首輪を外そうと掴んでみた瞬間____バキンッ、という金属特有の鈍い音と共に相棒はあっさり砕け落ちた。


「あれ……え、こんな脆いの? んー……」


 まぁ細かいことは良い、正直うざかったので相棒とはここでさよならといこう。

 これで私も自由……、とはならなかった。


 ぐぅぅ……、と情けない音が鳴る。発信源はもちろん自分の腹からだ。

 施設から脱走したことや、捕まった時にされるであろうことを考えているとアドレナリンが出たようで、先程まで何も気にならなかった私の身体は空腹に苦しみ。


 見知らぬ地で廃バス内に座りこんで途方に暮れてしまい、このまま野垂れ死ぬかもしれない。


 そう思った時____


「決めた!! ここを俺の秘密基地にしよ!!」


 突然聞こえてきた男の子の声、この子との出逢いが私の人生を変えた。


「俺の家来るか?」


 そう言って私に手を差し伸べてくれた彼のことを一生忘れないだろう。







 男の子の名前は”雨上 透”というらしい。

 初めは警戒したけれど、このお人好しと共に暮らすようになり思いの外居心地が良いから何週間か経ち。


 その間にプールで遊んだ際には名前を教えようとしたが、残念ながらおそらく人としての名前がない私は透に名前を言えず、もっといっぱい遊びたかったが施設からの追手を警戒して満足に透と出掛けられなかった。

 

 そしてあの日が訪れる。


「なんだよいきなり足踏んできてさ……おー痛……」

「ふん、さっき低学年の子に言い寄られてデレデレしてたじゃん。そんなにあの子と遊びたいならあの子と海に行けば?」

「別にデレデレしてないって……」

「どーだか」

「えぇ……」


 本来ならば明るい時間に出掛けることはなかったが、透に言われ明るいうちに海へと向かっていた。

 正直恐怖はあった。けれどここしばらく追手の気配を一切感じなかったから諦めたのだと思ったのだ。


 そしていよいよ海間近という時、コンビニへと買い物に行ってくれた透を少し離れた場所で待っていた時、遂に恐れていたことが起きたのだ。


「やっと見つけたぞ」

「……ッ!?」


 大丈夫だと、もうアイツらは来ないだろう、と勝手に根拠の無い考えを巡らせていたお気楽な私は突然目の前に現れた男達の存在を受け、自分の置かれた現状を理解した。


『逃げなきゃ!!』


 既に囲まれてはいたが最後の抵抗……いや、透に一言伝えたくて走り出そうとした……が、そんな抵抗虚しく身体に突然走った痛みのせいで身体の自由が奪われてしまう。

 見ると男が待つ手に高電圧で相手の行動を制限する物が、施設でもよく使っている姿を見たことがある。


 つまり私は身体を上手く動かすことができない状況だ。


 でも、それでも……


『せめて透にお別れを言いたい……』


 薄れゆく意識の中、最後まで私が思ったことはただどこまでもこの夏を共に過ごした男の子のことばかりだった。










































 ____私に名前はないけれど、いつか貴方に伝えられる日が来るならば____



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