116 食欲無双再び
かくして大聖堂で発生した事件は終息を迎えた。
しかしそれも、あくまで『世間的には』という言葉が付けられる。大きな謎を残したままであることは確かであり、大聖堂にとって大きな爪痕が残ってしまったこともまた、免れられない事実となっていた。
とはいえ、騒ぎそのものが収まり、平和な時間が戻ったのもまた事実。
故にその功労者を称えるための『宴』を催すことは、至って自然なことと言える。
だが――
「ん~♪ んん、んんんぅ~、ん~んぅ、んん~♪」
心から幸せそうな笑顔を浮かべているのは、主に一人だけだと言えた。その張本人を囲む周りのほぼ全員が、こぞって唖然とした表情を浮かべている。
――バクバク、モグモグ、ガツガツ、ムシャムシャ!
皿に盛りつけられていたはずの料理が一瞬にして消える。煌びやかな光景が、あっという間に無数の積み重ねられた『惨状』と化す。
大皿だろうと何だろうと関係ない。
全て平らげるという点で意味は一緒。だからどうということはない。
そんな強引で無茶苦茶な理屈を、白髪の少女は当たり前のように通してしまう。実に蕩けそうな笑顔で。
「うんまぁ~い♪」
大きな骨付き肉を豪快にかぶり付くヤミ。肉汁やソースが顔や服に付くなど、全く気にも留めていない。
積み重ねられた皿は定期的に片付けられていくが、その空いたスペースに何枚もの皿が立て続けに積み重ねられる。もはや永遠に繰り返されるのではないかと、そう思えてしまうほどの勢いを見せていた。
「お姉ちゃん……そんなにお腹空いていたんだ」
「きっとあの不思議な力のせいだよ。たくさんエネルギーを使ったんじゃない?」
「あーなんか納得」
数日前にも似たような光景を見ていたせいだろうか、双子たちの反応も割と淡白なほうであった。
ついでに言えば――
「くきゅくきゅ」
「きゅるる、きゅるきゅるー」
「ふふ、シルバちゃん、美味しい? わたしが食べさせてあげる♪」
「ノワールも、いっぱい食べていいからねー」
二匹の小さな竜の面倒を見るのに夢中となっていた、というのもかなり大きい。今ではすっかりノワールも、双子たちに馴染んでいる様子であった。
この数日で着実に接してきた成果だった。
おかげでこの場にいるもう一人の『魔族の兄』も、ゆっくり食事を堪能することができている。
「――ヒカリよ。お前さんも遠慮せんでいいからな」
「うん。ありがとう、トムさん」
トラヴァロムと笑い合う魔族の少年ヒカリの存在は、この場にいる大聖堂の他の貴族たちを多いに驚かせた。
話には聞いていた。
しかしまさか、このような公の場に同席させるとは思わなかった。しかも大神官の友人として、彼の隣に座る形で。
別の意味で理解しがたい状況ではあった。
下手をすれば、改めて大聖堂の歴史をひっくり返してしまうのではないかと、そう思えてしまうほどに。
「――何を狼狽えている? そんなに驚くようなことでもないだろう」
呆れたようにため息をついたのは、ヒカリとは反対側の、トラヴァロムの隣に座る黒髪の青年だった。
「二人は昔からの知り合いという話ではないか。なんだったら我には、祖父と孫のような関係にすら思えてくるがな」
「ラ、ラマント殿……」
黒竜の群れのリーダーも、この会食に参加していた。最初はラマントも断ろうとしていたのだが、トラヴァロムが是非にと誘ってきたのだった。
あくまで黒竜たちは、アマンダの策に嵌められただけに過ぎない。
言ってしまえば彼らも立派な『被害者』なのだ。
しでかしたことに対する謝罪も、そして復興作業を手伝うことでケジメと見なし、大聖堂と黒竜たちの間における『和解の印』という意味も込められている。
そこまで言われてしまえば断れない――ラマントもありがたく受けたのだった。
「ヒカリは悪い魔族などではない。それは少し見れば分かる話だ」
未だ納得していない様子の貴族たちに対し、ラマントは改めて『見ろ』と言わんばかりに視線を促す。
そこには――
「きゅるるー♪」
「ん? これ食べたいの? 分かったからちょっと待って。小さく切り分けるから」
「くきゅ、くきゅー!」
「はいはい。シルバはこっちね。あんたの分もちゃんとあるよ」
ヤミとヒカリ、そしてシルバとノワール。その光景はもはや、小さな子供の面倒を見る父と母の姿そのものであった。
「小さな竜があれほど懐いている……悪人であれば、まずこうはならんよ」
「えぇ。それは同意します」
答えたのはラマントの隣に座っているアカリだった。
「ですがその……ラマント様は、あの子の……」
「ん? あぁ、あの小娘の食欲の件か? それならよーく知っている。以前も我が里の食糧貯蔵庫一つ分を、丸々空っぽにしてくれたことがあった」
「……えっ!?」
それを聞いたアカリは唖然とする。彼女の隣に座るベルンハルトも、そして他の貴族たちもまた、目を丸くして顔を青褪めさせていた。
トラヴァロムはそこまでではないにしろ、複雑な表情でヤミに視線を向ける。しかし当の本人は全く気付かず、ヒカリが何かを察して苦笑していた。双子たちも視線には気づいていたが、その真意は分からず、すぐに二匹の小さな竜の面倒を見る考えに戻ってしまう。
「も……申し訳ございません」
声を震わせながら、アカリが頭を下げた。
「娘が、大変失礼なことを……あの子の母親として、お詫び申し上げます」
「気にすることはない。ただ大いに驚かされただけの話だ」
ラマントは手を左右に振りながら気さくに笑う。
「むしろあの小娘には色々と世話になった。感謝こそすれど、怒りを覚えたことなど一度もない。数年ぶりに顔を見ることとなったが、存外変わってないようで、思わず嬉しくなったほどだ」
そのしみじみとした口調からは、気を遣っているなどの類は全く見られず、本心で語っていることが分かる。
だからこそアカリは驚きを隠せなかった。
「その……娘とは一体、どのような経緯でお知り合いに?」
「別に大したことではない。我らの問題に少し巻き込んでしまい、小娘のおかげで事なきを得た……それだけの話だ」
「問題?」
「あくまで我らの問題ゆえに、あまりここでその詳細を話すつもりはないが――」
ラマントはニヤリとした笑みを浮かべる。
「小娘らしく盛大な立ち回りを見せてくれた――とでも言っておこう」
その言葉は決して大きな口調で放たれたわけではないが、妙に大きく響き渡ったのも確かであった。
故にこの場の殆どの者が聞こえている。
トラヴァロムもベルンハルトも、そして他の貴族たちもまた、苦々しくもどこか納得したかのような表情を浮かべていた。
だろうなぁ――と。
そして娘を強く想うアカリは、穴があったら入りたい気持ちでいっぱいとなり、頭を下げたままか細い声を出す。
「……あの子の母親として、本当に恥かしい限りです」
「そこまで思い詰めることもなかろう。むしろ小娘らしくて面白いではないか」
「けど、やはり私は……」
「そもそも」
ラマントが強めの口調でアカリの言葉を遮る。
そして――
「お主は『母』と呼べるほど、あの小娘に何かしてやったわけでもあるまい」
淡々と、それでいて容赦なく言い放つのであった。
改めてラマントが視線を向けて見ると、アカリは呆然としながら顔を上げ、わずかに身を震わせている。
「な、何を言って……」
「我の目は節穴ではないぞ? お主と小娘の関係性など、少し見れば大体分かる」
「そんな……けどあの子は、私が生んだ……」
「たとえ深い血の繋がりがあろうと、それだけで親子を名乗れるというのなら、誰も苦労などせんよ」
スッと細くしてくる目は、まるで全てを見透かしてくるかのようであった。見た目は若い青年だが、その眼力に勝てる気がしない。ヒトよりも長く生きた『経験値』の差を感じさせるのだった。
いつもなら庇う発言をするであろうベルンハルトも、今回ばかりは息を飲む以外に何もできそうにない。他の貴族たちも同じく、緊張を走らせるのみであった。
しかしここでラマントは、目を閉じながら視線を逸らす。
「まぁ、我も所詮は赤の他人に過ぎん。お主らの関係について、これ以上の関わりは避けておくとしよう」
そして完全に会話を打ち切り、残っている酒を一気にあおるのだった。
ちなみに――
「あれ? なに? なんかあったの?」
「くきゅー?」
食べるのに夢中となっていたヤミは、今の一連の流れを全く把握しておらず、首を傾げるばかりであった。
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